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おひめさまごっこ



使うのは、親指と人差し指。
目線の高さまでしずかに持ち上げて、まずはその艶やかなフォルムにしばし見惚れる。少し角度を変えてみる。表情が変わる。凹んでいる、装飾が施されている。

鼻先に近づけて呼吸に混ぜ入るように香りを嗅ぐ。つめたい。きりっとした深さと、まろやかな濃度。そして、ところどころに春。

指先につるりとした滑りを感じはじめた頃、そうっと歯を当てる。ほんの数センチだけ、あまり力を入れず。徐々に侵略してゆく過程を味わう。
馥郁とした幸福が舌先から喉元をゆっくりと通り抜けた。あぁ、これがわたしの身体の一部になってゆくなんて。恐ろしいほどに恍惚とする。

終わりが近い。非常にも別れはいつだってすぐに迎えをよこす。慎ましやかに進めていた行為に終焉が見えた今、必要なのは潔さとなった。いじらしく縋ることはしない。一息に、かすかな名残までをも断ち切った。

使うのは、親指と人差し指。知らぬ間に棲みついた記憶を拭う。もう憶い出に変わってしまった。過ぎた時間を憂い、まだ見ぬ明日に心を焦がす。





ーーーゆっくり時間をかけながらチョコレートを一粒だけ大切に食べるようになったのは、つい最近のことだ。
そしてこの耽美な嗜好品を口にするとき、ほんの少しわたしはプリンセスになる。
ドラマ・失恋ショコラティエで石原さとみ嬢演じるサエコさんよろしく、動作のひとつひとつにわざとらしさを付随し、まるで時が止まったかのようにじっくりと味わい尽くす。まばたきさえも音の聴こえそうな速度で。自らのもつすべての力をいまこの瞬間の享楽に注ぐような熱量で。



「おひめさまごっこ」という遊びは、5才のわたしの伝統芸だった。母の影響でなぜか毎日のようにエプロンドレスを着て過ごしていたわたしにとって(教育の発想が斜め上すぎる)ひらひらと裾が揺れることなどもはや日常茶飯事で。おんなのこ用と箱に書かれた200円のおもちゃ付お菓子の中から出てくるルビーやサファイアやダイヤモンドが、いつも首元に、耳朶に、そしてすべての手指にもまばゆく輝いていた。

プリンセスはいつだって優しく、強かった。お友達にはセーラームーンのスティックを貸してあげられたし、緑の野菜も残さず食べられたし(トマトは断念したけれど)、道路を歩くときには決して弟の手を離さなかった。「お姉ちゃん」では頑張れないことも「プリンセス」なら頑張れた。時が経ってエプロンドレスの魔法はとけても、鏡をのぞくとあの時のわたしがいつもそこにいた。そうやって、大人になったのだった。



この1年で、わたしの生活はがらりと変わった。
じぶんを大事にできないひとは、だれかを大事にすることなんてできないのよ。と、小さなわたしをプリンセスに育てたお妃さまが労わるような眼差しでそう言った。

そういえば、最後にじぶんのために時間をつかったのはいつだろう。食べることも、寝ることも、お風呂に入ることも、休むことも、生きるすべてに翌日の目的が必要だった。

一袋のチョコレートを食べ切ることに、3分もいらなかった。もはやそれは享楽などではなく、頭の回転を守るための「糖分補給」に過ぎなかった。エネルギーを蓄えられたら食事などなんでもよかった。どうせすべてが排泄されるとさえ思っていた。パソコンや書類に飛ばさないもの、すぐに電話を取れて返事ができるもの、熱いうちに食べ切らなくてもよいもの。味など二の次だった。
清潔なじぶんでいるためだけにシャワーを浴びて、回復などは求めずに少しでも眠くならないためだけに寝た。休みの日は翌日に疲れを持ち越さないことだけが最大の目標だった。




いま、わたしはおひめさまごっこの最中なのだ。
時間をかけてたった一粒だけチョコレートを口にすること。午前中から電気もつけずにお風呂に入ること。夏の日差しの中でも温かい飲み物を選ぶこと。電車の中ではスマホばかりを見て下を向かないこと。タクシーに乗るときには決して苛立たずに微笑みを忘れないこと。書かねばならないものではなく書きたいものだけを並べた文章を時折綴ること。

SNSにおいて「ていねいなくらし」というハッシュタグが度々物議を醸していることがある。無添加、手づくり、天然素材。そういう類の表面上のものだけが取り上げられているように感じるけれど、何が「ていねい」かなど人それぞれではないだろうか。ケトルに指先を揃えてカップラーメンにお湯を注ぐことだってていねいだし、大の字に寝転んでお昼寝をすることだってていねいだ。


おひめさまごっこをしていると、いまもあの時と変わらず優しく強くなれる。プリンセスが煤の溜まったまっくろな心の中をネズミや鳩と一緒に歌いながら掃除してくれる気がするのだ。

エプロンドレスはもう着ていないけれど、Tシャツとリラコを履いたプリンセスがここにいる。鏡の中のわたしは、口元にチョコレートをつけながら満ち足りたやわらかな笑みを浮かべていた。


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