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さよなら カルボナーラ


深夜4時40分過ぎ。

バカみたいに、ほんとうにバカみたいとしか言えないほどデカい雷が15分くらい前からずっと落ちまくっている。真っ暗にした部屋が一面白光りするほど光が近く、数秒おきに心臓が揺さぶられるような衝撃で身体が震える。それは恐怖からではなく、大きな音に滅法弱いわたしの内耳は心臓とほぼ直結しているからだった。「ビクッとする」という言葉通りの動きを握り拳ほどの臓器が果たしていると思うと、とてもいじらしい。

こんな状況ではどう考えても眠れないので、気を紛らわせるためにとにかく頭に浮かんだまま文字を打っている。


少し前に、パンが食べられなくなった、という文章を書いた。まるっきりそのままの話で、以前まで大好物の代表格だったパンが今年に入ったあたりから食べられなくなってしまった。

グルテン不耐症、という症例に一番近いらしく、グルテンが含まれる食品を一定値以上摂取すると身体に影響が出てしまう体質のようだ。生まれ持ったアレルギーとはまた違い、大人になってから突然現れることも多いらしい。
例えば食パンは何枚以上、パスタは何g以上、と個人差のある一定値は詳しく検査すると分かるようなのだけど、なんとなく自分のボーダーラインが見えてきたので特に検査はしていない。

肌感覚かも知れないがわたしの場合、食パンとパスタはほぼやめておいた方が無難。逆にうどんは毎日でも問題なし。グラタンやドリアのホワイトソースはお子様サイズくらいなら大丈夫。クッキーや焼き菓子は大体1〜2枚で満足。
どうやら小麦粉+乳糖の組み合わせが特にわたしと相性が悪いらしくすぐ異様にお腹が膨らんで気分が悪くなってしまうので、最近はもっぱら和食ばかりを食べ続けている。太らない身体になったし間食もほぼいらなくなったしシンプルな味付けを好むようにもなったので、少し寂しいけど身体にも健康にもいいことなんだと前向きに捉えられるようになった。


突然この体質になったと気がついた頃、真っ先に思い浮かんだのは「さよなら カルボナーラ」という言葉だった。


語呂がいい。語感もかわいい。
でも、もう会えない。

カルボナーラ自体元々さほど好物でもなかったけれど、この先しばらくは食べられないんだなと思うと無性に恋しくて仕方なくなった。

ソースがよく絡む平打ち麺が好きだった。黄身をとろりと崩して、黒胡椒をガリガリとかけて、チーズが固まって重くなってしまう前に熱々のまま食べ切る。

口がべっとりするほど濃厚な幸福感。
どう考えたってハイカロリーの背徳感。



カルボナーラ、という食べ物はなんというか他に替えの効かない食べ物なのかも知れない。

「今日は○○の口だなぁ。」と思っても叶わない場合に代替案があるか、という話だ。

醤油味、ソース、韓国風。
グルーピングされた仲間が代役になってくれる食べ物は多い。

カレーも一見、カレーでしかまかなえないように思うがカレー粉という魔法のスパイスが存在する以上、カレーそのものを作らなくともカレー味を纏った肉や野菜やキノコなどを食すことができるので実はオンリーワンではない。


でも、
カルボナーラは、カルボナーラでしかない。

孤高の存在とも言えるその事実には、ハイカロリーであることを無条件に納得させる力がある。

「だって、カルボナーラだから。」

カッコイイ、なんという渾身の決め台詞。

かわいいとばかり思っていたカルボナーラちゃんは、もはやカルボナーラさんと言った方がしっくりきてしまう。

他にそんな食べ物があるのだろうか。

麻婆豆腐は麻婆茄子・春雨、
おでんは煮物、
ハンバーグはミートボール、
餃子は小籠包、



こうしてどうでもいいマジカルバナナのようなことを小一時間ほど考えていたら、少しだけ雷が遠ざかりようやく眠気が近づいてきたのでそろりと目を瞑ってみる。


また会う日まで、

さよなら カルボナーラ。


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