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Gift / また乾杯しよう後書き



2年前のちょうど今頃。

息苦しい夏の終わり。しずかな秋の始まり。


わたしは、ウェディングプランナーを辞めた。



大きな理由は、体調不良によるものだった。

もうすこし正式に言うと、この時点で体調を崩してしまったのでプランナーの職を卒業して同じ会社の別部署に異動したのだが、その1年後に、今度は完全に身体を壊してしまった。


会社が悪かった訳ではない。
わたしが、自分の限界に気付けなかったのだ。


嘘だ。

気付いてはいたけれど、大丈夫だと思っていた。
そう思いたかった。そう信じたかった。


わたしはそれまでの27年間で骨折はおろか骨にヒビが入ったことすらもなく、人生最大の怪我は捻挫で、最大の病気は高校受験当日のインフルエンザ(看護師さんが待機してるインフルの学生だけが集められた別室で受けた、地獄だった)という、体力と健康には自信あります人間だったのに。


まさか自分がこんなに簡単にポッキリと折れてしまうなんて、認められなかったのだ。


けれど、その強がりを支えていた足元は随分前からもうグラグラでボロボロだったことを、崩れてから初めてきちんと理解した。後悔もした。

そして、同時に何故だかすこしホッとした。



そこから、1年が経った。
わたしは今もまだ、社会から離れたまま働くという行為をおやすみさせてもらっている。


ちらっと触れてきた
けれど、いくつか病気が残ってしまった。

この時の体調不良が尾を引いているもので、もう完治はしづらくなってしまった今、恐らくは今後もわたしの体調のスタンダードに付随するものになるのだろう。


雨の日、雨が近づく日、雨が止んだ日、雨の次に晴れた日、梅雨、秋雨、台風。

日本で暮らしてゆく以上、わたしはずっと気圧の変化とともに体調と気持ちの下降を繰り返す。


これはどうしたもんかと思いながら、社会と関わる境目とその折り合いの付け方を、自分のなかで模索しているところだ。




そんな折、noteと出逢った。

以前も書いたように、noteを始めたのはキナリ杯がきっかけではあったけれど、今までとはまるで違う新たな社会(場所)との関わりを持ちたかったというのも、扉を開いた理由のひとつだった。


新しい世界は、驚きに満ちていた。

表現の自由、感動の宝庫、素晴らしい出逢い。
大人になって見つけた未知なる歓び。

うれしかった。 たのしかった。


だけど、大きな問題にもぶつかった。



いつまで経っても、自己紹介が書けないことだ。



感情解像度に応募して最初にフォローしてくださった入谷さんとカエデさんはご覧になったかも知れないけれど、当時のわたしの自己紹介欄はちょっとイタくて酷かった。

「 日常、感情、マスチゲン一日一錠 」

的な一文を書いた記憶(黒歴史)がある。


ダサッッッッッ!!!!!
そしてナゾの韻!!!!!


「左頬にほくろ」という素性を隠す人物像にこだわっていたのではなく、ただただ、恥ずかしくて何も書けなかっただけなのに。

一瞬は見えるけれどすぐに空気に溶けて忘れてしまう煙みたいにまるで内容が無いその謎の一文は、だけど確かにわたし自身のことだった。



ウェディングプランナーでもない、会社員でもない、社会人でもない、恋人もいない、結婚もしていない、子供もいない。

28歳、関西人、独身、B型、天秤座、女。


肩書きも、特徴も、「わたし」を紹介するものなんて、それ以外に何も無い。透明人間みたいだ。



そんな想いから、ずっとずっと逃げてきた。

感情解像度で芽生え賞をいただいて書いた自己紹介も、わたしのことではあるけれど、表面を浅くなぞっただけのライトなものにした。

どこかでまだ、そうとしかできなかった。




でも、いつか。いつの日か。

わたしがちゃんと自己紹介ができる時がきたら、たった一度だけ、その作品限りで、持ちうる全力を出しきって、ウェディングの話を書こう。


そう、決めていた。



ウェディングプランナーは、わたしにとって「将来の夢」だった。


ブライダルの専門学校を出て、婚礼に携わるアルバイトをして、新卒でホテルマンになったのに婚礼部に配置されずたった2年で転職して、やっとの思いでようやく掴んだ憧れの職業。

「将来の夢」が叶うことなんてテレビや漫画の世界だけだと思っていたのに、本当に夢は叶うんだと、自分で掴み取れるんだと、本気でそう思えた人生を懸けられる仕事。


そんな、かけがえのない大好きな場所だった。



終電で1時前にホームに着いて、その5時間後には同じホームに立っていた毎週末。

最長記録は24連勤。GWは当たり前に全部連勤。
お盆も勤務、年末年始は大晦日も元旦も勤務。

仕事終わりにご飯の約束なんて出来ない。
その日がいつ終わるかなんてお客様次第。

毎日大量のメールがきて電話が鳴った。
休みの日でも対応することが普通だった。

華やかな裏側ではシビアに数字との闘いだった。
一円でも多く、一組でも多く、営業し続けた。

式の2週間前に破談になった日は泣き崩れた。
目の前で喧嘩が始まるのはもはや日常だった。


父親より年上の人も、10代のおふたりもいた。
授かり婚も、お子様連れ婚も、二度目も三度目も、同性婚も、すべてがごく普通のことだった。

結婚式を挙げたくないひと。
親御様に無理矢理やらされるひと。
新婦だけがめちゃくちゃ乗り気なひと。
新郎だけが逆に張り切ってるひと。


たくさんの人生と、宝物と、出逢ってきた。



どれほどしんどくても、しあわせだったのは。


そんな愛おしい人たちが織りなす「結婚式」という空間が、言葉では言い表せないくらいの奇跡みたいな時間だったから。

人生で今まで会ったこともなかった赤の他人の「たった一日」が、自分の特別な記念日に変わるその感動を知ったから。


何度も涙して、何度も笑顔になって。

ウェディングプランナーとして生きてゆく力を、自信を、勇気を、そのたびに授けてもらうことができた。


わたしはウェディングプランナーになれて、ほんとうにほんとうにしあわせだった。





せっかく気合を入れて一度きりのものを書くのだから、より多くの方に目を通していただけるようにしたいと思っていた矢先、大きなコンテストを見つけた。


そんな気持ちを、感謝を、そして胸の奥底で燻り続けていた贖罪と自分自身への区切りを。

この場を借りて、わたしはようやく言葉に代えることができたのだった。



ただ、これを書いているうちに変化があった。

当初は結婚式のあれこれに特化した作品で終わらせるつもりだったものを、わたし個人の話を超えて、もっと鮮やかで色濃くメッセージを持つ特別なものに昇華させたくなってきた。


だから敢えて、喫緊にして最大の時事問題に絡めることにしたのだけど、この作品の中でいちばん伝えたかったのは「あのウィルスのせいで!」ということではない。

文中で固有名詞も出さなかったし(ヴォルデモートの例のあの人みたい)、除菌やらアルコールやらフェイスガードやらそれに関わる詳しいことも極力書かなかった。


※ちなみにすごい余談だけど婚礼にもこだわって忌み言葉も使っていない。「いそがしい」を平仮名にしたりした。地味なポイント。



みんな、もう疲れていると思ったのだ。
皆まで言わなくとも分かるし、聞き飽きたし、何ならまだ続いてるし、終わりも不明だし。


わたしがいちばん伝えたかったのは

「毎日どこかで、がんばっているひとがいる」
「そしてそれは、あなたのことである」

ということだった。


結婚式を生み出しているひとも。
結婚式をする決断をしたひとも。
延期する決断を、諦める決断をしたひとも。

会社に行っているひとも。
家族を守っているひとも。


みんなみんな、「誰か」と「いつか」のために、がんばっている。

間違いも正解もなく、必死に生きている。


そのことを、何よりも伝えたかった。


かつて私もいたあの場所で、きっと今も誰かの夢を叶える為に懸命に頑張り続ける人たちへ。感謝と希望を込めてこの作品を書きました。それぞれの「いつか」の約束が叶うことを願って。


そんな感謝と希望を託すには、他でもなく奇跡が詰まったあのウェディングの世界しかないということが、自分の中で自然に明確に繋がったのだ。




これを書き終えたとき、頭がじんじんして、手が汗ばんで、大きな大きなため息が出た。

きっとこの瞬間のために、あの馬鹿みたいな一文で自己紹介をしたのだとさえ思えた。

神様がとっておいてくれたのだと。
今だよ!って教えてくれたのだと。

自信を持って、緑のボタンを押すことができた。



わたしは今まで「結果はどうあれ」とコンテストを振り返るたびに毎回言ってきたけれど、今回だけは違う。


賞が、欲しい。

今までも出す以上は当たり前にそう思っていたけれど、どこかで「落ちたらハズイ」みたいな自己防衛が働きまくって、予防線をばりばりに張ってはそんなことを言ってしまっていた。

だけど、今回はちゃんと大声で言おうと思う。


もっと沢山の人に読んでほしい。届けたい。

だから、賞が欲しい!!


これで獲れなかったら、その時はその時だ。
たった一度のチャンスに全力以上が出たから、もう何も悔いはない。

やりきった、と心から笑えるだろう。



・・・



28歳(来月で29歳!)、関西人、独身、B型、天秤座、女。


肩書きが、なんだ。


元ウェディングプランナーで、ジャイアンツが好きで、テレビとドラマが生きがいで、圧倒的にインドアで、不眠症で、気圧にすこぶる弱い。


これが、わたしだ。
じゅうぶん、わたしだ。


そんなことを教えてくれたこの作品は、賞を獲っても獲らなくともわたしの大きな財産になった。

自分自身が生み出したものだけれどギフトのような感覚がある。出逢えてよかった、と思う。


諸先輩方にもきっと、そんな宝物のような作品が沢山あるのだろう。良い作品を読むと文章からそれがひしひし伝わる気がする。愛情のような、誇りのような、そんな素晴らしいものだ。



「ご縁をいただきまして、本日担当致します。」

ウェディングプランナー時代に、初対面で名刺を切るときに必ずこの口上を添えていた。


ご縁をいただきまして。

ひとも、仕事も、作品も、言葉も。
すべてはご縁だと、わたしは信じている。


目の前に幾度となく現れるその片鱗をただの糸にするか、ご縁に変えるかは、いつだってきっと僅かな偶然と残りは自分次第なのだと思う。



人生は長い旅だから。

ウェディングプランナーじゃなくなっても、透明人間になっても、それがすべて繋がってまたご縁に巡り逢えるときが来る。


今この瞬間は、present。
過去からの、そして未来への、大切な贈り物だ。


Today is a gift.
That’s why it is called the present.



台風が近づいて心はすこし沈むけれど。

きっとこんな日だって、わたしの「いつか」を叶えるための大切な一日なのだろう。


「 叶えたい未来がたくさん待っている。 」


いつかで待つ自分と、約束のエアハイタッチを。




価値を感じてくださったら大変嬉しいです。お気持ちを糧に、たいせつに使わせていただきます。