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きずあと  #2000字のドラマ



 その面接練習中、あたしの脳内はほとんど右足の踵に集中してたから、だから上手くいくはずなんてなかった。

「・・・明るさが取り柄です、って毎年1000回くらい聞くのよねぇ。」

 強烈なダメ押しの一言とは裏腹に黒木さんがローズピンクの艶やかな唇をニッコリとさせた時でさえ、あたしは「・・・はぁ、」と返事にもならない息を漏らして右足の踵のことばかりを考えていた。

「谷口さんはさ、どんな人でありたいの?」

 マスカラにくっきりと縁取られた眼差しが、心ここに在らずなことなどお見通しかのようにあたしを貫く。

「どんな人、ですか。」
「そう。ポイントは、“なりたい” じゃなくて “ありたい” ね。」
「ありたい、ですか・・・。」

 さっきからおうむ返ししか出来ない無能な就活生だと思われているんだろう。

「ま、考えてみて。面接は再来週でしょ?それまでにまた練習付き合うから。」
「分かりました。すみません、せっかくお時間頂いたのに、なんか、あたしグダグダで。」

 みんな最初はそんなもんよ、と微笑みながら席を立った黒木さんと共にコーヒーカップを片付けてから店の出口へ向かう。外は今にも雨が降り出しそうで、きっと神様の涙を雲が受け止めきれなくなる寸前なのだと思った。

「じゃぁ準備整ったらまた日程候補のLINE頂戴?アヤトにも、大学サボるんじゃないわよって言っておいてね。」

 流れるように口を動かしつつ鞄の中をごそごそと漁っていた彼女から、ハイっと絆創膏が手渡される。

「靴擦れ、就活生の勲章ね。」

 私タクシー拾うからここで、と颯爽と消えてゆく後ろ姿からは今日も良い匂いがした。柑橘とハーブが入り混じった独特なその香りを漂わせる人を、あたしはもう一人知っている。


 駅まで右足を引き摺りながら歩いていると、頬がぽつっと冷たくなった。神様は、どうやらまだ泣き止んでいないみたいだ。



 バイト先の休憩室で踵を消毒していると、頭上から「痛ったそ〜〜」と揶揄うアヤト先輩の声が落ちてきた。

「ホンットやだ。いつまで経ってもパンプスが絶望的に合わない。」

 黒木さんがくれたのは100均の薄っぺらい絆創膏じゃなくて傷が早く治る良いヤツで、慎重にシートを剥がして踵の上からそうっと押さえてゆく。

「あ、今日あれか。百合と練習の日か。」

 大学に入ってから始めた居酒屋のバイトで知り合ったアヤト先輩はひとつ年上で、あたしとほぼ入れ違いで辞めたのが彼よりふたつ年上の黒木百合さんだった。就活に悩むあたしを見かねた先輩が人事の仕事をしている黒木さんを紹介してくれて以来、アドバイザーとしてお世話になっている。

「もしかして百合にシゴかれた?あいつ、仕事絡みになると厳しーかんな。」
「・・・大学サボるんじゃないわよ、って伝言です。」

 私生活も厳しぃー!と笑う顔を、黒木さんはいつもどんな目で眺めているんだろう。優しげに?それとも、愛おしげに?


「アヤト先輩はさ、どんな人でありたいの。」

 バイト前恒例の腹拵えにカップ麺を啜って「んぁ?」と上目遣いをするこの人のことが、あたしはとても好きで、とても嫌いだ。

「黒木さんに今日訊かれて。でも、そんなの分かんなくて。就活生なんか掃いて捨てるほどいるし、もはや違いとかないじゃん。てか、社会人になれたらそれだけでいいのに。」

 タガが外れたように捲し立てたあたしをポカンと見つめてから吹き出したアヤト先輩をじっと睨む。

「ハハッ、グッチごめん。しんどいよな、分かるよ。俺もまぁまぁ苦労したもん。」

 “百合” と “グッチ”。一生かけても縮まらないような距離に、余計苛立って仕方がない。

「俺はぁー、んー、えー、恥ずいな。」
「良いじゃないですか教えてくださいよ。結局内定いっぱい取ったんでしょ。」

 絶対笑うなよ?と釘を刺すアヤト先輩に無言で頷き返して、カップ麺のスープに視線を移した。休憩室の蛍光灯が光って、ゆらゆら揺れている。

「バファリンって、あんじゃん。半分はやさしさで〜ってやつ。俺はさ、それよりもオロナインでありたいと思う訳。」

「・・・オロナイン?」

「そ。ウチの母ちゃんが昔から『なんでもオロナイン塗っときゃ治る』って口癖みたいに言っててさ。だから俺は、その、痛みを止める人じゃなくて、傷を完治させられる人でありたい、って。」

「・・・、っ」

「うわ、クサ、恥ず。・・・って、おい。ちょ、泣くなよグッチ、え、待って待って、俺が泣かせたの?えっ!?」

 眉を下げてあたしの髪をグシャグシャに撫でる体温から、いつもの香りが立ち上る。
 痛そう、の声が聴こえる前からアヤト先輩が後ろにいることは分かっていた。バカみたいに同じ香りをさせて近づくから、振り向かなくとも分かってしまった。


「・・・ふふふっ、あーーー、やば、不覚にも感動しちゃった。アヤト先輩に泣かされるとは思いませんでした。」

 突然泣き出して突然笑い出す奇妙なあたしに困り果てる顔を、少しだけ、今だけ、あたしの特権にしていたい。

「もう、なにお前。焦らすなよぉ。」
「へへっすいません。良い話でした。・・・オロナイン先輩。」

 バカにすんなし、と拗ねたように再び麺を啜るこの人には、彼女から傷が早く治る絆創膏を貰ったことなんて教えてあげない。傷を完治させたいあなたとお似合いだと思ったことなんて、絶対に絶対に、教えてあげない。



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