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サッカーJ3リーグ『カターレ富山』に移籍して

■5回目の移籍/大移動

■二つの驚き

■会社のポテンシャル

■会社の羅針盤作りが初めの一歩

■移籍で得たかけがえのないもの


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■5回目の移籍/大移動

 2021年3月2日お世話になった人達に見送られながら静岡駅をあとにしてから早いもので3ヶ月近くが過ぎた。お世話になった方々への挨拶や、静岡単身宅からの引越し、そして30年間住み慣れた自宅のある厚木を引き払い富山への引越し、その後2ヶ月間滞在した富山のホテルからの大移動。この一連の肉体労働は流石に身体に堪えた。

 仕事の方では、富山に着いた翌日に行った記者会見を皮切りに、株主、スポンサー、行政機関への挨拶回り、今年度方針や予算の見直し、リーグ戦開幕以降は集客促進や、雑誌、新聞の取材等々、通常のライン業務をこなしてきた。そして、4月20日の株主総会、取締役会を経て社長になり、5月7日の就任記者会見で所信表明として「カターレ富山 VISION 2021」を発表した。まさに怒涛の3ヶ月だった。

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 やっと少しだけ時間が取れるようになって…「あれ⁉︎note、書いてないなぁ」ということで、少し今回の移籍について整理することにしてみた。まだあまり例はないにしても、もしクラブ移籍を考えているエグゼクティブクラスの方々には、何かの参考となれば幸いである。

■二つの驚き

 先ず最初に驚いたのは、カターレ富山を取り巻く関係者の期待の高さだった。到着翌日の記者会見では殆どの地元メディアの方々にお越しいただけた。そして、夕方のニュースで報道していただき、翌日の朝刊に掲載していただいた。また、ホーム開幕戦でサポーターが掲出してくれた歓迎の横断幕は桁外れに長く、ピッチ上での挨拶にも好意的な反応をいただけた。「これは半端な仕事は出来ない」と思わせるに十分な歓待を受けたからには、覚悟をもって仕事をせねばと、腹を括った。

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 次に驚いたのは、各スポーツカテゴリーの取扱い順位である。「グラウジーズ(バスケットボールB1)→八村塁(NBAバスケットボーラー)→朝乃山(富山出身力士)→カターレ富山」3ヶ月いて、メディアさんを通じた皆さんの取り扱い順位は、概ねこの序列なんだろうなということが見えてきた。サッカーが盛んな静岡から来た人間からすればバスケットとサッカーが逆の序列になっていて、これはこれでサッカー業界に戻ってきた私としてはやり甲斐のある状況だなと感じている。

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 この序列について考えている時に、はたと気付いたことがある。私は今まで「J2は長く居るところじゃない」と何の疑いもなく考えていたし、降格すれば先ず一年でJ1に戻す経営に腐心してきた。それがここでは、J2は目標とすべきカテゴリーのように語られることが多い。降格して7年もJ3暮しをしているのだから仕方がないと言えばそれまでだが、結果富山スポーツ界の序列が前述のようになったとも言える。ならばこの稼業をしている以上は、今季末をもって元居た世界(J2)に戻し、その上でトップカテゴリーまでの道筋をキチンとつけなければ、オール富山のスポーツによる豊かな街づくりなど先の先になってしまうと、しみじみ感じたものである。

■会社のポテンシャル

 多くのカターレ関係者が、クラブの浮揚を想像以上に期待していたこと、またその思いに反して、カターレの取り扱いが想像以上に低く、街を人を豊かにするどころか、残念ながら街との距離を感じざるを得ない状況であることは、この3ヶ月で嫌というほど思い知らされた。ならばここからは、チームを強くしながら、街との距離を縮める発信力や、ファン、サポーター、市民、スポンサーさんとの関係性を高めていくパフォーマンスを地道に行っていくしかないだろう。そのカギを握る選手、コーチングスタッフ、フロント社員のポテンシャルはどうだろうか。この点については、3ヶ月の執務を通じて、私は少し安心している。

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 先ずサッカーが良い。正直チーム編成に全く関与出来ない時期での合流だったので、大いに心配したものだが、監督の石崎が率いるトップチームは、ハードワークとひたむきさで戦う姿勢を前面に押し出したものであり、それは見る人の心を揺さぶるに十分なものであった。技術的な未熟さや基本的な仕事のミスはあるものの、それを補えるだけのハートは伝えられるサッカーであった。これは大きい。「スタジアムに来てください」と自信を持って言えるからだ。現在首位、そして公式戦7戦無敗、今季ホーム(県総の名で親しまれている富山県総合運動公園陸上競技場)無敗というのも頷ける。

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 次にフロント社員について、総勢13名の小所帯だが、売上高間接労務費率から導き出される人数に近く、増員には増収をしていかねばならないだろう。但し、これから成長をしていく上で、社員に裏表がなくストレートな人間が多いことには安堵している。また、華やかかりし頃のJリーグを経験していない比較的新しいクラブ(2007年設立)なこともあり、妙なおごりやクセのないこともありがたかった。何故なら、これから相当な規模と量で仕事の内容や、仕方を変えていく、或いは創り出していく上でのフリクションが少なくて済みそうだからだ。現時点でも組織改正や法人営業、興行、広報、強化といった業務改善を足早に進めているが、みんなよくやってくれており、来るカテゴリーアップに耐えうる一周り大きな会社にして行ける手応えは少なからず感じることが出来た。

■会社の羅針盤作りが初めの一歩

 さて、移籍後3ヶ月経過した現在は、以下に添付した「カターレ富山 VISION 2021」に従って、予算の見直しを含む各事業への落とし込みや、シーズン中でもあるので、実際の仕事を通じた指針の徹底を図っている。このVISIONは、5月7日に行われた社長就任会見の際に説明させていただいたものの一部であり、富山地域では既出となっているので掲載をした。策定の際、特に心がけたことは、「①チーム、フロントを問わず全てにハードワーク ②発信力、営業力の強化 ③数値化、相対化による現在地の正確な把握 ④今年度重点方針としたJ2復帰への執念⑤なれどJ2復帰が最終到達点ではないこと」である。それ以上の詳細については、現役経営者に戻ったこともあるので、差し控えることとしたい。

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■移籍で得たかけがえのないもの

 本稿を締めるにあたり、今回の移籍で一番強く私の心を掴んで離さない事柄について触れておきたい。それはカターレのホーム開幕戦やアウエー藤枝戦に、静岡で親交を深めた多くのファン、サポーターや財界の方々が駆けつけてくれたことである。また、前職ベルテックス静岡の社員さん達も駆けつけてくれた。

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 今の私は静岡での肩書きは一切持っていない。にもかかわらず左伴を応援してくれると言う。移籍をする時は、普通住み慣れた街や親しくしてくれた人達を失ってしまう。そこも踏まえて決断するものなのだが、今回はモノは失ってもヒトは失わなかった。これほど嬉しくも有難いことはない。

 前述した中で今回の移籍で驚いたことについて触れたが、実はこのことが、今回の移籍で得たかけがえのない最大の驚き、そして心に沁みた出来事だったのかもしれない。今度はここ、富山で同じようにそうした肩書き抜きでもお付き合いの出来る信頼関係を作っていければと、しみじみ思った次第である。それが出来れば、会社の発展にも繋がるであろうし、個人としてもこれ以上は何も望むことはなかろう。

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