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教科書は「現場の言葉」

■本では学べない貴重な現場の声
■現場に於けるベテランやリーダーの大切さ
■トップがプロフェッショナルであることの意味


■本では学べない貴重な現場の声

 プロスポーツの世界に身を投じて20年が経った。日産自動車での在籍期間が22年だから社会人生活の半分近くをプロスポーツビジネス経営に費やしてきたことになる。

 始めは何で稼ぎ、何に費やしているのか、どの程度なら優れているのか、それとも更なる努力が必要なのか、全く分からず、言わば名ばかりの社長をやっていた。幸い「知らぬことは聞けばいい」と素直に頭を下げることは工場の現場の方々とのお付き合いで学んでいたので、社員や現場の人達から学ぶために頭を下げることは、然程のストレスにならずに色々なことを吸収してきたように思う。

 今回は、そうした私のマネジメントのベースとなっている様々な引き出しの中でも、選手やコーチングスタッフといった所謂「現場」の人達から学んだことに少しばかり触れたいと思う。時節柄、親会社のあるスポーツクラブでは、プロスポーツビジネス未経験の出向者がクラブトップとして赴任してきているようだが、私が赴任してきた頃を思い出すにつけ背筋が凍るくらい業界知らずであったことを思えば、そうした方々に対しても何かの参考になればという思いも込めて記しておきたい。但し、ここに記されていることは、氷山の一角に過ぎないこと、そしておそらくはどのスポーツビジネスの書籍にもない「生もの」ばかりだということをお含み置きいただければと思う。

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■現場に於けるベテランやリーダーの大切さ

 プロスポーツビジネスマンとして初の経験となるのは日産の子会社である(株)横浜マリノスだった。赴任した年は、日本代表メンバーを数名擁していたにもかかわらず、シーズンを通して下位に低迷し、やっと残留出来たのはシーズン最終戦だった。

 赴任したのが6月だったので、当然のことながらチームは既に固まっており、赴任早々のホームゲームで磐田にステージ優勝を決められた。その年は親会社の日産が再生の真っ最中だったこともあり、マリノスも費用を抑制するために、大規模な主力放出を行った年となっていた。その結果、チームはシーズンを通して残留争いに巻き込まれることになった。幸い夏の補強タイミング前だったので、強化部の意見をもとに穴となっているポジションの補強を行ったのが功を奏しなんとか残留は出来たが、もしそれをしなかったらと思うと今でも身の毛がよだつ思いになる。

 翌シーズンに向けては、親会社から「年間3位」以内という非情なコミットを課せられ、短期間で強いチームに変えていかねばならなかったことから、大規模な補強を行った。結果、年間2位となり、更に翌シーズンも監督を含む日本代表クラスの大規模補強を行い、2年連続で年間優勝を勝ち獲ることが出来た。但し、それは大補強による成果もさることながら、以下に挙げること、即ち必ずしもスタメンに入る選手ではないベテランや、練習や日常生活を含め、チームを牽引出来る選手、そしてそのことを知り尽くしたコーチングスタッフの存在が大きく作用していることを学んだ。

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 この期間、何人かの選手から意外なことを私は言われている。「試合には絡めなくても○○選手は絶対に残して欲しい」「ベテランをバサバサ切らないで」「全取っ替えみたいなことはしないで」…これらの言葉が意味するところは、戦力上数字には表れないが、その選手達がいることで、追い込まれた時のメンタルを安定させたり、フロントのわからないところでチームを一つの方向に向けさせたり出来る選手は、選手達からすれば精神的な拠り所になっているので、軽々に切らないでくれ、或いは、長い時間をかけて培ってきたチームワークを全取っ替えのような形で、また一からやり直させるようなことはしないでくれ、ということだったのだろう。例えばそうした選手達が控え組として形成したチームで行う紅白戦は、実戦さながらの緊迫した良い練習となり、チーム全体の士気、技量、メンタルが高まったことは間違いなかった。

 このように、チームをまとめられる、或いは鼓舞出来る選手は、必ずしも主力選手でない、そしてベテランに多く存在する。また、選手達が織りなす繊細なチームワークには大幅な入れ替えではなく、節度を持った新陳代謝に気を配らねばならないという2つの法則は、そうした現場の声なしには学ぶこともなかったと今でも感謝している。

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 エスパルスでも同じことを主力選手達から言われたことがある。2018シーズンに年間8位となり、翌年に年間5位以内の目標を掲げた冬の契約更改で、これまでチームを陰になり日向になり牽引してきた多くのベテランを放出して新陳代謝を図った。一方で、残った主力や若手選手達から「○○さん達がいなくなると、チームが落ち着かなくなるりそうで心配」と聞かされた。そして、そうしたベテラン達とのお別れの場となるシーズン終了の解団式では、人目を憚らず泣きじゃくるベテラン達と、もらい泣きにくれる残った選手達を目の当たりにすることになった…巻き戻せるものなら時間を巻き戻して、もう一度チーム編成をすべきではなかったのかと、今でも自問自答をしている次第である。結果、精神的支柱の不在ばかりではないにしろ、現場の不安は的中し、2019シーズンは低迷を続け、最終戦まで残留を決めることが出来なかったのだから尚更である。

■トップがプロフェッショナルであることの意味

 年間2位を決めたマリノス時代の2002年契約更改の場で、ある選手からその後の私の運命を変えることになる言葉を浴びせられた。「社長はここをクビになっても日産に戻れるからいいですよね。俺らは戻るところ、ないんで。」

 確かに出向者である私には「日産に復職」という退路があった。正直に言うと、当時の私には自分の中でもどこかで「ここで失敗しても日産に戻って巻き返せばいい」という目算がなかったと言ったら嘘になる。しかし、曲がりなりにもマリノスでトップを2年やってきて、選手達の何人かを期間満了でアウトにしてきた経験から「自分だけ退路があって、本当に切れ味の良い仕事が出来るのか」という後ろめたさもあった。ならば私も日産の人間としてではなく、有期雇用で彼らと同じ「今年ダメなら来年の雇用はない」プロとしてやってみようという思いに至った。それ以来私は一年契約のプロとして今日に至っている。

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 有期雇用となって何が変わったか、一番大きな変化は、社員や選手、コーチングスタッフといった仲間を思う気持ちの強さだろうか。「こいつらと仕事が出来るのも、今年で最後になるかもしれない」と毎年年の初めに強く思うようになった。不思議なもので、そういう心持ちになると、自分の持てる力の有らん限りで、みんなと納得のいく時間を共有したいという思いが強くなる。その延長線上にみんなと勝利を掴みたい、報酬を上げてやりたい、もっと喜びを分かち合いたい、という欲求が突き上げてくる。結果、業績が上がり、成績も上がる…とそう上手くことは運ばないが、少なくともみんなを思う気持ちで仕事をすれば悔いは少なくてすむことを体験的に学んできた。

 次に有期雇用者の気持ちが、多少なりとも分かってきたと思う。契約切れ3ヶ月前くらいから「来年、俺はこの会社にいるかな」と不安になることも、雇用に関係するちょっとした人の言葉も心の中でさざ波を立てる…選手やフロントスタッフの有期雇用者が抱いているそうした気持ちを、我が事のように察することは今なら出来る。そしてそうした人達に納得のいく仕事と、それこそ目を皿のようにして見てあげる姿勢を最低限持たねばと、肝に銘じるようになった。プロになって初めて生まれた仲間を強く思いやる心は、とりもなおさず一枚岩や利他の精神の醸成に寄与し、強固なクラブやチーム体質の礎を築いていくという哲学に繋がっていった。

 現場の声、それは時として神の声である。しかもその声はいつなんどきに表れるのか想像もつかない。然るに現場の声には、たとえそれが談笑の場であっても、私には学びの貴重な機会として、今でもいっときたりとも聞き逃すまいとの思いで、大事な大事な教科書と考えている次第である。

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