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『私のせいで離婚する』という、思い込み。

『必要とされてない』

私が小学校低学年だったある日、母は「離婚する」と言った。

そして、妹と弟は、母が連れて帰る。「愛弓は、どちらについていくか、自分で選びなさい」と。


耳に入ってきた言葉は、少しこもって聞こえた。そして、私の体の中にうまくなじまず、胸と喉のあたりが重く苦しかった。

うまく考えられない頭の中で思った。

『私は、母に必要とされていないんだ』と。そして、『父にも必要とされていないんだ』『私は、いらない子だったんだな』と。


どうして離婚するのかがわからなかった。昨日までは、いつも通り、普通の日だったから。

だから私は、『私のことが嫌で、私と離れるために離婚するのかもしれない』と思った。


離婚をすることにしても、どちらかが私を引き取らなくてはいけない。

それを決められなかったから、「自分で決めろ」と言われたのだと思った。

そんな一瞬の思いが、心の傷として残った。

いや、もしかしたら、もともと自分の中にそんな思いがあって、この出来事が印象深く残ったのかもしれない。


私は悩まず、「母についていきたい!」と言おうとした。

言おうと思ったけど、のどが絞まって、言葉が出ない。

頭の中で、考えた。

『妹も弟も母の所にいる。父は、一人になってしまう。父は、一人で生きていけるんだろうか?』と。

父は料理も家事も、何もできない。

母がいなくなった後、父は一人で生活できるだろうか?私には、できないことがたくさんある。だけど、ご飯を作ることや洗濯、掃除はできる。

『私は、父についていくべきなのかな?』と考えながら、答えを出せなかった。


母についていく選択をすれば、父は生きていけないかもしれないし。きっと、父についていくのが、正しい選択だ。

だけど、父についていけば、そこに母はいない。妹も弟も、誰もいない。父と二人の生活は、誰もいない暗い部屋との戦いだと感じた。

私は、答えを出せなかった。


私が答えを出さなかったせいか、私を悩ませたことに両親が罪悪感を感じたのかは、わからなかった。

ただ、離婚の話はなくなり、家族5人で暮らす日常が戻ってきた。

日常が戻ってきたのに、私の心はなかなか戻ってこなかった。

あの時の恐怖感を忘れることはできなかった。私の心の中は、重たくて真っ暗だった。


時間が経つにつれて、あの日のことを思いださなくなり、忘れていった。

だけど、私の心の中には、重たい影が残ったままだった。

大人になった私は

ここ数年、当時のことを思いだす瞬間がある。だけど、母に聞くことだけはできなかった。

父は、外では優しい。だけど、家では恐い。自分のことばかりを考えているような人だった。

そんな父と『別れたい』と思ったのは母だろうし。実際に離婚の話をしていた時にも、父はまだ納得しきれない感じだった。

子供の頃は、父の違和感に気づかなかった。それが普通だと思っていた。

大人になって、父のことに気づきはじめ、母の心の中がめちゃくちゃになっていたのを感じて。私は、後悔した。

あの日、母に離婚させてあげなかったことを。

『私はあの日、母の気持ちを考える余裕なんてなく、自分のことしか考えられなかったな』と、心の中で、悔やんでいた。

原因は、私じゃなかった

昨晩、母に、あの日の話をしてみた。

母は、「そんなことあった?」「夢じゃない!?」と笑った。

あの笑い方は、本当に覚えていないんだと思う。

話しているうちに、母は思いだした。


祖父が、病気で急激にやせ細った時期があったことを。

『危ないかもしれない』と感じた母は、実家に帰ろうかを悩み、『幼い妹と弟は、実家の方の保育園に入れればいい』と考えた。

だけど、小学生だった私のことは勝手に決められなかったらしい。

そんな話を聞きながら、私は思った。

母は「離婚」とは言わなかったような気がする。

「離れる」とか、「熱海に住む」とか、そんな話をしたような気もする。

だけど、私にとって、”この家を出て、父と離れ、熱海の実家で暮らす”ということは、『離婚だ』と思ったんだと思う。

私はずっと、自分の思い込みの中にいて、1人で傷ついていたんだなと感じた。少しほっとした。







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