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できない自分もあっていい

 前回のnoteにも書ように、今は研究を一休みしている。
というのも、最初は一週間で戻ろうと思っていたのだが、
実験を始めるのが怖くなってしまい、一歩が重かったというのもある。

 今日、久しぶりに研究室に行き、同期の仲間とお昼を食べに行った。その中で、自分が思っていたことを仲間に話せたり、逆に、仲間が思っていることを聴けて、一人じゃなかったんだと思えたり、不思議と心が満たされた自分がいた。

 その後の帰り道、一人で歩いているときに、仲間の存在の大きさに感動したし、仲間がいるから頑張れることもあるなと思えた。

 そのときに、『やりたくないことでもやっていいじゃん!』
と思った。ずっとやりたいことを探し、悩んできた自分にとって、
心からやりたいこと(環境教育)を思い出せたことはとても大きなことだった。しかし、同時に『やりたいこと』に縛られている自分にも気づいた。

 一緒にご飯を食べた仲間は、お互いがいるから頑張れているということを言っていて、自分にもそんな仲間がいると思い出せた。

 きっと、やりたくないことをする自分を許せていなかったことが、僕の悩みの原因だったのだろうなと思った。やりたいことを見つけたのなら、やりたいことをやらないといけない。そこまで強くは思っていなかったのかもしれないけど、そのような思い込みに縛られていたことに変わりはない。

 社会に出て、自分のやりたいことを実現する過程でも、やりたくないことは必ず出てくると思う。自分のやりたいことを見つけて、
それを実現することに夢を見ていたのだと思う。
 そんな夢の国はきっとない。歩く過程で、必ず試練とぶつかる。それが心から楽しいことであったとしても。

 できない自分を許せない自分。
 やりたいことを見つけたのに、やりたくないことをやっている自分を、許せない自分。
 こんな風にはなりたくないと他人を見て思って、自分のそのような部分を分離させている自分。

 なんか、どっちでもよくないか。(笑)
 やりたくないことをやっている人がいるおかげで、今の生活ができているという面もあるだろうし、やりたいことをやっている人がいるおかげで、大人になることに希望が持てるという面もある。

 悩んでいる自分やできなくて落ち込んでいる自分がいるおかげで、普通に過ごしていたら気づけないような、日常の有難み(幸せ)に気づけることもある。何かを成し遂げた自分がいるおかげで、試練を乗り越える力になることもある。

 どっちでもいいし、どっちもあっていいんだな。
 どっちもあって、どっちも貴い。

 僕の周りにいる、沢山の貴い存在。同期の仲間や友人たち、
家族、先生、先輩、後輩などなど。
 僕に関わってくれている沢山の人たちに、改めて感謝したい。

 大変な道は、一人で乗り越えなくてもいいんだな。
そう思えた今日の出来事であった!

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