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起こっている、起こったこと
世界にも類をみない波及力、波及のカタチをほこる同調力をもつわたし
各所の場所で検証されたそのチカラは
求め合った出逢いの吸引力に増強されて
惑星(ほし)の、大きなうねりの時代のこえに導かれて大きく大きく拡がっていった。
それを、たった誰かのおかげだと瞳を尖らせてうそぶく人がいるだろうか。
もちろん、誰かだけひとりで成せることでもないけれど、確かな裏付けのあるその大きなチカラがあって、大き
誤解される淋しさとは
人に対して何かを抱くとき、どこからどんな風に想うことだろう。。
これまで生きてきた中で体験したことは、あまり一般的ではなく、なかなか人と共通することが少なかったと思う。
人の在り方、身体の鍛錬と探求から、生命の深遠を何度となくくぐり抜けてきたりもした。
設定が、前提がそんな、『現実は物語より奇なり』であったためか、本当に現実でも不思議な出来事に遭遇することが多かった、おかげ(?)さまで。。
コミュニケーション・ギア~深さと、つながり~
ひとには、頭、こころ、身体、意識があり
それらを一つものとして扱っているかどうか
「どう感じ、どうしたいのか」
ひとにとってそれ以上にたいせてなことはない。そんな話しのたくさんの応用、時間軸、感覚軸、
価値、
思い込み、
そんな話しをたくさんたくさんお伝えさせていただいてきました。
頭の声、身体の声、意識の声、
どれほど丁寧にたいせつに、向き合い、扱い、応えてゆくか、いるか、問うか
使命、それはつながりの先へ
平和、調和、
日本人として、この時代に生まれ
戦争を、被ばくを、過去の記憶として抱き、そして
すべてをつなぐ未来へと、意識を想いをつなぐために
現れ、つかわされた。
数か月のこうぼうの中で、あらぬほうこうに
ここ1年の、出遭いとやりとりの中で
人生はつ体験だらけ
こんな選択、ありかた、生き方を、46年したことなぞなかったから、
いつも笑顔に囲まれ、無限の可能性をいき、そして
ひとびとを開放に導
We are sorry ~海に浮かぶ小瓶のような真実~
こころと身体、意識のつながり、
無意識へのアプローチが
エンパシーの力が絶大なわたしにできる、最大の人類への貢献だと
宇宙(そら)が一緒に舵をきったことで、
瞑想体験から、呼吸や、生命維持にかかわるすべての指令系統が、極限まで崩壊されていたとき、
本氣で、整えなおそうと試みていた。
けど、『そうじゃない』
瞑想がなくちゃダメな選択では、反対だ。
がんばらないでうまくいくのが、はたらくのが『他力
らしさ ~本当に感じること~
改めてしみじみと感じているます、
「ほんとうのこと」のたいせつさを。
それは、いま、を大切に自分をいきることと
❝目先❝にとらわれることの違い、でもあったりする。
いまを生きる。いましかないんだ。と、言葉でいわれてしまうと、つい、ややしく感じてしまうことの意味を体感できたのだと思う。伝わらない、誤解が生まれる要因のひとつ、に違いない。
目先、と、いまは180℃級のちがい。
似て非なるもの。
担い、サポートし、そしてあたたかい見守りの中、生き暮らしているいま
存在としてもたらされたチカラの大きさから、
出逢いの中で、更にその広がりに実を持たせるにいたって、
余計なつながりと動きをふかしてしまったため、生命の危機に陥ったのは、一年と数か月前のことだ。
何度も心臓がとまりかけ、動きのすべてを失いかけた。
こころと、頭、意識の豊かで太いゆるぎないつながりを必要としている、いま、だ。
そんななか、新しい未来に向けてのことに、ついていけないと感じるひとたち
与えられたgift 使命を生きる~音がもたらすシンクロ~
わたしが、シンプルに発した音は、
世界に現実のものとして「そう」なる。
道が、ひとが、
地域が、そのように動いてゆく。
感情が、感じていることが、如実に気温や空気、天候として現れる。
またその逆もしかりで、月の満ち欠け、巡りの影響も多少なりとも受ける。
危機的なものごとを感じると、世界でも、地球でも、日本でも、そのような事件や事故、災害が起こったりする。
それは、生まれた時から、小さい時
音と主体的に連動して生きるということ~序文~
わたしが音を司り、発する音が世界にしんくろして響き、起こってきた、起こっていることについて書いてみたいと思う。
それが、いったいどう起こり、どうしてなっているのか。
そのためにまず、音と表現しているものが、あなたの身体の、意識のどれにあたるのか、わかるように解説していきたいと、一つまえの投稿を書いていましたが、消されてしまったので、改めてのちほど、その部分についても書いてゆきます。
音をつか
音(からだの声)で司る世界~主体的選択のもつ力~
頭の声、こころの声、からだの声、があるのは、わかっていただけるだろうか。
idea、思考、考え、これが「頭の声」
感じていること、そのものつまり感覚が、こころの声
おこっている、とか悲しいとかそれはすでに言葉での表現に置き換わってしまっていて、その人、その存在自体が感受しているものとはすこし、その人、その存在がもっている思い込みによって左右されてしまう部分も大きく、必ずしもそれ自体が「こころの声」
感じていること おなじで違い~大丈夫だよ~
同じでありたいと、思うとき、それは、
本当は自分は「違う」ということを感じているから。
そしてその時、違いに
ひとはあなたはどんな意味を見出しているだろう。
そこに居ること、出逢ったこと
既にそこには宇宙(そら)の意味があり、意図があり
本当は争ったり奪い合ったりする謂れはまるでないのだ、け・れ・ど、
残念ながら作られた習慣、【 くせ 】によって、そう半ば自動的、
半自動的反応として そう