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高橋幸宏さんを偲んで①

自分はYMOはもちろんなのですが、ハッキリ言って幸宏さんソロ作品の方からの方が、より大きな影響を受けています…もちろんYMOも大好きですし多大なる影響を受けていることに変わりはありませんが、自分の音楽人生に大きなインパクトとインスパイアを与え続けてきたのは、高橋幸宏という音楽家に他ならないのです。

今でこそ「テクノの登場!」的にセンセーショナルに語られがちなYMOですが、当時は酒屋さんやお米屋さんの軒先のインベーダーゲームが先に台頭しており、繁華街や街の商店街には必ずといっていいほどゲームセンターは存在していたので、YMOが「コンピューターゲーム」をOPに1stアルバムを発表した当時は、衝撃というよりも、ゲーム音や電子音を取り込んだフュージョン・サウンド、極端に言えばイージーリスニング的な捉えられ方だったように記憶します(フュージョン寄りな仕事もしていたYMO3人の出自もあったので、当時はそういう紹介の仕方が一番早かったのかもしれません)。

名うてのプレイヤーによる、新たな「大人の聴く音楽」的な扱いを受けていた側面が強かったYMOのデビューでしたが、一気にPOPフィールドに登場してきたのは、2ndアルバムに収録された「テクノポリス」「ライディーン」のヒットだったと思います。本人達も回想していますが、フュージョン感を排して、当時UKを中心に巻き起こりつつあったニュー・ウェーブ的な疾走感を狙ったことでサウンド全体のPOPさも増し、更にこの2曲がカセットテープのCM曲としてテレビで広く流れたことで、2ndは大ヒットし(ここら辺は現代のタイアップ手法と大きな違いはありません)、ここら辺からYMOがいわゆる「お茶の間」に知られる存在になったのだと思います。


徐々に露出が増え、多忙を極め始めた3人は、YMOと同時にプロデュースやスタジオ・ミュージシャンとしての仕事も並行して行っており、メチャクチャ忙しいはずなのにそれぞれのソロ作品もきっちり発表しています(この辺はwikiの各アルバム項目を参照すると、その仕事量の多さにビックリします…ハッキリ言って今ではあり得ないようなスケジューリングで、3人とも仕事量が尋常じゃないです)。

当時の自分はそんな事情を知る由もなく、ただただ夕飯の前後に「お茶の間」でゴロゴロしながらマンガ読んだりテレビを観たりする普通の子供だったのですが、ある日オンエアされたスーパーニッカのCM曲に心を奪われます…ニューウェーブな手触りと、英詞の心地良さがクールな疾走感と相まってスゲェ格好良い洋楽アーティストだな…と思ってクレジットを見ると、テレビの隅に一言…

「音楽:高橋幸宏

YMOそのものより、これが自分にとって一番の衝撃でした。

インストが中心のYMOのメンバーが、メチャクチャ流暢な英語で、洋楽顔負けのスーパークールなサウンドを鳴らしている…子供だった自分にとって、遥か遠い海の向こうの国と、日本の音楽が完全にシンクロした瞬間だったのです。


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