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ジャズを「 理 解 」した話
序文
そうは言っても私、音感が割かし特殊で(作曲には困らないのですが)「ソルフェージュ」が苦手なので、ジャズは耳がついていかないし、即興も出来ないしで、全くもって「ジャズファン」ではありません。
スタンダード曲もあまり好きなのが無いし、好きなプレイヤーも居ない(強いて言うなら Anomalie だけど別に聴かない)し、巨匠や名盤など興味が無い…。
以降は、「とんだ不届き者の戯れ言」だと思って頂いても結構です。
しかし私から申し上げるのは「多くの辻褄が合った」ということのみです。
<注意> 本記事は、砕けているだけで、内容は ”論文” の域です。
以下の語が、7割以上 分かるか否かを、記事をご購入いただくかどうかの参考にして下さい。
<本記事内で説明の無い語>
西欧(西洋)音楽、古典派、十二平均律、不協和音、コード・トーン、コード・アルペジオ(分散和音)、キー(調)、ハーモニック・マイナー、主調、主音、主和音、同主調、コード・クオリティ、トライアド、ダイアトニック・コード、TDS機能、機能和声、ディグリー(音度/度数)、ツーファイブ、テンション(・ノート)、アヴォイド・ノート、コードスケール(・システム/メソッド/理論)、コンピング、”プレイング”、”アプローチ”、和声/和声法(藝大和声)、基礎構成音、非和声音、転位/転位音、全長転位、定位/定位音、声部、声部進行、ヴォイシング、調判定、対位法、対旋律、ポリフォニー、ホモフォニー
なぜ7thまで積むのか
「コードスケールに染まったジャズ」というジャンルが一つあります、と思って下さい。
この世界観では必ず、(理論上)コードネームは 7th まで積みます。
トライアドが忌避されます。
そうする理由と経緯の解明は、中々難しいものがあるとは思いますが、
……まず「転調しまくりたい・キーの諸々から自由になりたい」という欲求が、いつからか西欧の音楽家の血には流れており、そしてそんなことをしていたら、元々 自分たちが大事にしていたはずの「主調」という概念の価値が薄れてきたので、転調する意味というものが、「主調からの相対座標」から「転調する行為そのもの」へと変遷していきました。
「主調」が大事なクラシック的・キー観
:旅行が楽しいのは、家ではない所へ移動するから(→ ”家がある” から)
「主調」がどうでも良くなったポップス的・キー観
:旅行が楽しいのは、移動するから・しているから(流浪の民)
「クラシック的」と言っていますが、いわゆる「古典派」の前後に渡ってある価値観だし、
「ポップス的」と言っていますが、主調以外で終わる曲とかもっと昔からある。
『Giant Steps』は「3つの主音がある」と描写されがちであるが、それはつまり「同着3位、三権分立」なのであって、”唯一性” の解体すなわち、「最早 ”主調が特別” という感覚は無いに等しい」と受け取った方が良い。
◆
そしてジャズでは一時期を境に、「キー」という制度ではなく、代わりに「TDS機能」のみを、起承転結の拠り所にしようとしたっぽいです。
長調の組織でも短調の組織でも、「〇7」というコード・クオリティは、ダイアトニック・コードとしては1か所(Ⅴ7)しか存在しません。
ゆえに「最低限、ドミナントセブンス・コードが1つあれば、独立のキーと見なし得る」という逆算的アイデアが、西欧には(クラシックの頃から)ありました。
―― 一般に、Ⅴ諸和音は唯1個だけで極小調を形成しうる。
注:太字も原文ママ。
トライアドのメジャーコードというのは(長調の場合)Ⅰ、Ⅳ、Ⅴの全てに共通してしまっており、「Dなのか否か」すらも、「主音 / 主和音」という概念・つまり ”キー” の文脈を参照しないと自明ではないものだったので、
「7thまで必ず表示する(加えて必ず鳴らす)」ことによって、「緩急」または「起承転結」を自明化しようと考えたっぽいです。
というわけで、彼ら(ジャズの人々)にとって、コードという存在は常に「TDS機能」を体現――最低限「Dか否か」を体現している存在でなくてはならない、のだという仮説をここに立てます。
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