注意:以下「モーダル・インターチェンジ」を「M.I.」と略します。
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私がどちらかと言うと「悪書」だと思っている、『コード理論大全』という書籍があります。
【参考】←の0:37~の譜例の Cm△7 は、Gメジャーキーにおける Ⅳm△7 。
M.I. は「分析の道具」か?
私は M.I. というコンセプトについては、必ず
「実験的な、創造目的のアイデア」として紹介します。
一方、ジャズ系の理論(まさに chord-scale ベースの理論のこと。多分)は、M.I. という発想を「(その音楽的ボキャブラリーが)“使える”、つまりその耳馴染む “根拠”」であるかのように、暗に発言してしまいます。
M.I. 論法の中身と、存在意義を問う
特定の耳馴染んだ(人によるじゃん)スケール、
例えばここでは melodic minor scale の上行系ですが、
という論法なんだと思います。
ここまで筋道立てて明言した人を見たこと無いですけどね。
……これってまさに、「中心音」という(世界各地の音楽で自然発生する)存在を、全く度外視しています。
言うなれば「アイオニアンもロクリアンも、全く同様に使い物になる」という主張が、まず真っ先に成り立たないといけない論です。
今そうなってないやろ。
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M.I. は、どう好意的に見ても「開拓的・チャレンジ的な発想」です。
「良い感じに聞こえる理由」を釈明する道具とするには不適切なはずです。(中心音の問題があるから)(あと旋法を自作し出したらキリないから)
その意味で、「この和音とこの和音は M.I. です」というのが、果たして「分析した」ことを意味するのかどうか、ひどく疑問です。
あなたの中で「M.I. の使い方(のパターン)」とでも呼べるものが固まっているということなら、「M.I. です」は「(あなたにとっての)ボキャブラリーの整理」ではあるでしょうね。
ただ、先述の通り(そして当たり前に実感されている通り)、M.I. の発想で「”使える”」ということになってるコード群の全てについて、同じ要領で導入すれば ”うまくいく” ものであると考えるのは、かなりの無理強いです。
実際 件の書籍でも「パラレル・ロクリアンからのM.I.」との言で ♭Ⅵ7 というコードを紹介しています(p157)が、続く「M.I. の使用例(p159)」の中に当然、出て来ません。“使え” ないじゃん。
「M.I. の発想のコードの中には、使い易いモノと使いにくいモノがある」というスタンスならば、包括的な言い方での「これは M.I. です」という注釈が、それ単体で「分析」行為に相当するとは思えません。
「これは 頻出の M.I. コードの一つ です。」が、実例分析としての最低限でしょう。ただし先述の通り「整理」でしかありません。
そしてここに “M.I. 由来の” と加えるのは、多くの例ではおこがましいと思いますね。作者の気持ちが分かるのか
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ここから一層 口悪くなるパート
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よくその口で言えたな
“使える” とは、“available” とは何なのか。そのジャズ理論に特有の文化の存在を相対化も出来ずに、ごく当たり前に通用する感覚だと思い込んでいる時点で、こんな序文、読む価値無しです。
この本には、「“なぜそうなるのか”」なんて書かれていない。
それは他の本も、他のサイトも、私のYouTubeチャンネルも同じですが、思い上がるのは話が別です。
この本は(少なくともあの序文の “文章の書きぶり” では)、
「決して越えられない一線」を越えられた気になっています。
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あと私ならこの本の文章・本の厚み、半分に圧縮します。
そもそも「“コードスケール・ジャズ” への入信本」なんて、私が手掛ける理由がありませんけどね。
著者サイトの触れ込み、「全ジャンルの音楽家必携の標準コード理論書」ですけどね。一句一句、一つも合ってなく見えます。
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でも Op.6『ピアノソナタ』は面白い曲そうだな、って思いました。
こういう人って天才型だから、曲は良いのかもしれないと思って、一通り試聴しときました。いくつなんだ、年上?
ただ、件の書籍は「どこで勉強しても大体同じ」である内容が書いてあるので、別に「買うな」とは言いません。「役に立つ」とも約束できません。
まぁそれは「本」もとい、勉強なんて全部がそうです。
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でも、私の綴るこの記事の言い分の方が信用できそうに思うなら、そのお金で私のレッスンの一日プランを3回使った方が良い。
「音楽」なんて、繊細だし良い加減な分野の知識本、「ヒットする本ほど価値が無い」と思います。
私は、“あなた一人だけ” のための説明を書き下ろします。
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「万人向けに作る価値のあるトピック」は、既に動画化しています。