見出し画像

”使える(Available)” というワード

注意:以下「モーダル・インターチェンジ」を「M.I.」と略します。

 私がどちらかと言うと「悪書」だと思っている、『コード理論大全』という書籍があります。

―― Ⅳ-maj7はⅣ-7に似た構成音を持ちますが、~(中略)~このコードはメロディックマイナーの第五モード、ミクソリディアン♭13からのモーダルインターチェンジコードで、――

清水響(2018).『コード理論大全』リットーミュージック、p155
注:「-maj7」と「m△7」は同じ。

参考】←の0:37~の譜例の Cm△7 は、Gメジャーキーにおける Ⅳm△7




M.I. は「分析の道具」か?


 私は M.I. というコンセプトについては、必ず
実験的な、創造目的のアイデア」として紹介します。

 一方、ジャズ系の理論(まさに chord-scale ベースの理論のこと。多分)は、M.I. という発想を「(その音楽的ボキャブラリーが)”使える”、つまりその耳馴染む ”根拠”」であるかのように、暗に発言してしまいます。

――Ⅳ-maj7はⅣ-7に似た構成音を持ちますが、~(中略)~このコードはメロディックマイナーの第五モード、ミクソリディアン♭13からのモーダルインターチェンジコードで、――

二重に晒す。清水響(2018).『コード理論大全』リットーミュージック、p155

「コード理論」てネーミングなのに、条件反射的にスケールの話したがるのも悪い。
そこについてを「前置きしなくとも良い」と信じ込んでるのは最悪。



M.I. 論法の中身と、存在意義を問う


 特定の耳馴染んだ(人によるじゃん)スケール、
例えばここでは melodic minor scale の上行系ですが、

「耳馴染んだスケール」の開始位置を変えて作り出せる全ての音組織=内包される全 ”モード” は、同様に全て耳馴染む(”使える”)ものである。
(さらに、その音組織の内部で自然に成立するダイアトニック・コード群であるならば、さらにそのパラレルな音組織の内部でも ”使える”。)

ここでの ”モード” の意味合いは、私の記事で説明した「旋法」ま た 違う(派生用法)。
なのでダブルクオーテーション。また記事にしないといけない。

ちな melodic minor scale の上行系の、この「上行系」の意味合いを取り払ったもの
(=このままの音選びで下行も何でもする)を、”jazz minor scale” と呼ぶらしい。
ジャズでしか積極的に意識しない概念なんだからジャズの人以外は耳馴染まないよ

 という論法なんだと思います。
ここまで筋道立てて明言した人を見たこと無いですけどね


……これってまさに、「中心音」という(世界各地の音楽で自然発生する)存在を、全く度外視しています。

 言うなれば「アイオニアンもロクリアンも、全く同様に使い物になる」という主張が、まず真っ先に成り立たないといけない論です。
今そうなってないやろ。

”使える” のは、 ”使われてきたから” です。先人の開拓精神に感謝し、あなたも開拓して下さい。

 M.I. は、どう好意的に見ても「開拓的・チャレンジ的な発想」です。
「良い感じに聞こえる理由」を釈明する道具とするには不適切なはずです。(中心音の問題があるから)(あと旋法を自作し出したらキリないから)

 その意味で、「この和音とこの和音は M.I. です」というのが、果たして「分析した」ことを意味するのかどうか、ひどく疑問です。

 あなたの中で「M.I. の使い方(のパターン)」とでも呼べるものが固まっているということなら、「M.I. です」は「(あなたにとっての)ボキャブラリーの整理」ではあるでしょうね。

 ただ、先述の通り(そして当たり前に実感されている通り)、M.I. の発想で「”使える”」ということになってるコード群の全てについて、同じ要領で導入すれば ”うまくいく” ものであると考えるのは、かなりの無理強いです。

 実際 件の書籍でも「パラレル・ロクリアンからのM.I.」との言で ♭Ⅵ7 というコードを紹介しています(p157)が、続く「M.I. の使用例(p159)」の中に当然、出て来ません”使え” ないじゃん

実例として A.C.Jobim の『Wave』を挙げる人が居るかもしれないが、
この Ab7 というのは、恐らく「最も多数派的な解釈」を(努めて)考えた場合にも両義的で、
そのいずれにしても「C Locrian」の出る幕ではない、と私は考える。

一つは ドッペル(= D7) の裏コード。古典的解釈(つまり裏コード ”化”)で以下。
g: Ⅴ9 [D F# A C Eb] の根音省略・5th下方位 (A → Ab)・の2転。加えて5th上方転位 (A → Bb)。
すなわち Gb は元来 F# で、g: 組織からの借用。この解釈に於いて C Locrian は関係ない。

もう一つは Gb音 がブルーノート化した音であるという解釈。
Locrian の第5音を、本当に ”blue note” と同一視して良いのか」という難題があるのと、
前者の説を完全否定しない限りは、ここに "合う" のは Db に優先して D♮であるように思われる。 するともう、少なくとも C Locrian ではない。
”C Locrian#2” とかいう微調整が入るなら、もはや教会旋法スタートで考える意義が迷子。
先述「M.I. は実験的・創造目的のアイデア」とはこういうこと。


 「M.I. の発想のコードの中には、使い易いモノと使いにくいモノがある」というスタンスならば、包括的な言い方での「これは M.I. です」という注釈が、それ単体で「分析」行為に相当するとは思えません。

 「これは 頻出の M.I. コードの一つ です。」が、実例分析としての最低限でしょう。ただし先述の通り「整理」でしかありません。
 そしてここに ”M.I. 由来の” と加えるのは、多くの例ではおこがましいと思いますね。作者の気持ちが分かるのか

 そんで、頻出のそれらって、同主短調の奴ばっかです。
サブドミナントマイナーなり、準固有和音なりの名称を使っときゃ、9割は事足りるんじゃないでしょうか。
 その他の頻出のものは、「ドリアのⅣ」とか「ピカルディ」とか、個別の名前が有名でしょう。

極力そうやって個別に取り扱った方が良い。用法が個別なんだから
本記事執筆のきっかけになったコメントの一つ。あざっす。

 耳馴染む音響が耳馴染む理由については、「それを繰り返し聴いたから」よりも影響力のある要素は他にありません。アヴォイド・ノートをじっくり毎日 聴き続ければ、その内 気にならなくなります。微分音だって。
 それが「耳が肥える」ということです。
 それが「音楽文化の違い」です。

 感性が「研ぎ澄まされる」ことと「痩せ細る」ことは同じだし、
 感性が「幅広くなる(寛容になる)」ことと「鈍る」ことは同じです。

 これはたった1次元の直線スペクトル上の話で、人はただ「最も自分らしくあれる座標」を探求し、自らを置く(or 行ったり来たりする)だけです。

この話はいつか詳しく話しましょう。

ここから一層 口悪くなるパート


 本書の特徴は、記載されているすべての理論について、必ず理論が導き出される”理由”が書かれている点にあります。~中略~ ”Ⅱm7の場合はテンションに9thが使えて、Ⅲm7の時は使えない”という事実のみを暗記するのではなく、”なぜそうなるのか”を理解することによって~後略~

清水響(2018).『コード理論大全』リットーミュージック 「はじめに」より

 よくその口で言えたな

 ”使える” とは、”available” とは何なのか。そのジャズ理論に特有の文化の存在を相対化も出来ずに、ごく当たり前に通用する感覚だと思い込んでいる時点で、こんな序文、読む価値無しです。

 この本には、「”なぜそうなるのか”」なんて書かれていない。
 それは他の本も、他のサイトも、私のYouTubeチャンネルも同じですが、思い上がるのは話が別です。
 この本は(少なくともあの序文の ”文章の書きぶり” では)、
「決して越えられない一線」を越えられた気になっています。

「正方形の1辺が2倍になると、面積は4倍」になる理屈は説明できても、「1辺 =1cm の正方形の面積が、1”平方cm” である理由」なんて、説明ができることじゃないんです。(尚これの場合は「人間がそう決めたから」)

音楽分野はとりわけここに、慎重に・真摯にならねばならない。
なぜなら官能評価が至上で、そしてそれが「人に依る」ことばっかりだから。

まさか「使える(available) / 使えない」なんて強権的なワードをチョイスしておいて、
「本書の言う ”なぜそうなるのか” とは、前者のような理屈の説明までです」は通らないだろう。

なんならあの序文に「(※既存の理論書では)”なぜ”美しく聞こえる場合とそうでない場合があるのか、といった疑問の解決には至らないケースが多かったように感じます。」とすらある。
少なくとも、言葉選びに無頓着なことが伺える本。

 Ⅰ△7 を「多少華やかさが増すものの、これも落ち着いたサウンドになると思います。(p51)」と思うのは、当たり前の感覚じゃないんですよ。※
 それはジャズの文化の思考回路で「〇7ではないから」という相対化の上で「相対的に ”トニック感” を体現した響きである」という手順を踏まえて説明しなければ、ジャズ界隈の外でまで「当たり前」とはできません。
 「G7 → C△7」じゃ不安定と噂のトライトーンの解決が中途半端じゃん。

 当然のように ””””MELODIC”””” minor scale 上にダイアトニック・コードを積もうとするな。それは暇を持て余したジャズマンたちの遊びなんだよ。基礎編なわけがあるか。

※今(2024年2月)から1年後に、世間の多数派がどう変化しているかは、分かりません。

 あと私ならこの本の文章・本の厚み、半分に圧縮します。
 そもそも「”コードスケール・ジャズへの入信本」なんて、私が手掛ける理由がありませんけどね。

 著者サイトの触れ込み、「全ジャンルの音楽家必携の標準コード理論書」ですけどね。一句一句、一つも合ってなく見えます。

 でも Op.6『ピアノソナタ』は面白い曲そうだな、って思いました。
 こういう人って天才型だから、曲は良いのかもしれないと思って、一通り試聴しときました。いくつなんだ、年上?

 ただ、件の書籍は「どこで勉強しても大体同じ」である内容が書いてあるので、別に「買うな」とは言いません。「役に立つ」とも約束できません。
まぁそれは「本」もとい、勉強なんて全部がそうです。

 でも、私の綴るこの記事の言い分の方が信用できそうに思うなら、そのお金で私のレッスンの一日プランを3回使った方が良い。

 「音楽」なんて、繊細だし良い加減な分野の知識本、「ヒットする本ほど価値が無い」と思います。
私は、”あなた一人だけ” のための説明を書き下ろします。

 「万人向けに作る価値のあるトピック」は、既に動画化しています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?