なぜ洋裁 最終回
前の投稿の続きです。
フランスから帰国し、一旦文化服装学院に復学しました。二年の時の担任の勧めで専攻科という四年時のクラスに飛び級して入れて頂きました。専攻科ではファッションを幅広く、且つ専門性の高いハイレベルな講師の授業を受けることができ、充実の一年を過ごしました。コンテストの作品を作るのに涙を流したこともありました。恐ろしいほどの熱血でした。今思い出すと恥ずかしいくらい。懐かしく思いますが、思い返すとプッと吹き出してしまいそうです。卒業後は夢叶って山本寛斎氏のデザイン事務所でデザイナーとして働くことができました。その時はまだ夢の途中だったからか夢を叶えた!などという気持ちは1ミリもわきませんでした。もっともっと、今度は社会人として学ぶことが多く、毎日がむしゃらにまっしぐらに取り組んでいたと思います。山本寛斎氏はずば抜けたパワーと魅力にあふれたお人柄で、私は人として今もなお尊敬しています。寛斎氏を始め優秀なスタッフの中で働く日々は学びを続けているような感覚で今から思えば大変だと思っていたことも全て含めて幸せな日々だったようです。
洋裁一筋、仕事が1番の私の人生の大きな変化といえば出産でした。結婚しても仕事中心の生活は全く変わりがありませんでした。でも、長女が生まれ、母となったあの日から私の人生は私の頭では想像もできない道を辿っていきました。初めてのことだらけ、わからないことだらけ。仕事なんて満足に出来っこない。でも母となり、一日中子供と向き合っての暮らしを私は望みました。子供を預けて仕事に出るのではなく、子育てしながらカオスのような中でも出来ることを探して仕事にしていこうと強く思ったのです。これが私にとって一番譲れないポイントでした。毎日大変だったけれど、もうダメかもと心折れそうになったこともあったけれど、子供と過ごす毎日は、仕事一筋だった私にとっても幸せな日々でした。一日中子供と遊んでばっかりでいいのかしら〜なんて思ったりしていました。苦労だと思うことは山ほどありましたが、それを掻き消してしまうほどの幸せで楽しいことがいっぱいの日々でした。次女が生まれ、三女が生まれ、東京での子育ては大変でしたが、今思えば涙が出ちゃうくらい懐かしい幸せな想い出がいっぱい。子供たちは私の人生観に大きな変化をもたらし、それまでには得ることのなかったベクトルの成長をさせてもらったのではないかと思います。
子育てしていると子供の人生を見ながら私ももう一度人生をやり直しているような気がして面白いなぁと感じていました。幼稚園に行って、小学校に行って、子供と一緒にまた成長し直しているようでした。私の場合第二の人生って老後からじゃなくこの辺から始まっていたのかなぁと思います。色々大人の頭で子供からやり直して。そうして再成長を体験した私は30代後半くらいだったか、仕事というものについて再びよく考えるようになりました。一回目の人生で言えば就職活動あたりを巡っていたのでしょうか?これから自分はどう働いて生きていこうかとすごく考えました。パートで洋裁以外のこともしてみました。子育てしながら働くという時、何を優先するかといった若い頃にはなかった気持ちの確認や、少しでも社会に貢献したいという要素は重要だと思いました。更に自分だからこそという仕事をしたい。などと考えれば考えるほどどうしたらいいのか分からなくなって若い頃のようにこれだー!なんて突っ走れなくなってしまいました。歳をとったなぁとか聞いたことがあったけれどそれはこんな気持ちのことなのか?なんと悩み多き情けない大人になってしまったのだろうと嘆いてばかりの時期もありました。うだうだ悩む時期はそれはそれは長かったです。10年くらい悩んでいたんじゃないでしょうか、もちろん色々やりながらですが。で、40代も終わろうとしてる頃、ふっと思ったことがストンと腑に落ちたのです。それは、人に迷惑をかけず、好きなことをし続ける人生を送れればそれでいいんじゃないか?それで人の役に立てたり、他者を思いやる心をいつも育んでいけるような自分でいられたら素晴らしいことではないか。洋裁好きを突き詰めることによってそんなふうに生きられたら幸せではないか?今まで私はなんでも洋裁を通して人生の波を乗り越えてきた。人よりちょっと長く続ける事のできた洋裁、自信を持って仕事にしていいんじゃないか、他の人にはすぐには真似できない紛れもない事実がある。長い年月やってきた。それは確かだ。たったそれだけでもそろそろ自分の自信にして頑張れば人の役に立てる洋裁家になれるんじゃないかな。って。そろそろ学んだこと活かさないでいつ活かす気なのか?何か大きな大義名分ばっかり追って考えていたのかな私?と。こんな思いに辿り着くのに何年もかかりました。不器用な人生です。母になり、第二の人生が始まり、本格的に第二の人生をスタートさせようという年頃になった今、私は再び洋裁に夢中になれそうな気がしています。目が衰えたり(老眼)、手先が鈍ったり、老いは否めませんが、若い時にはない熟練ってあるんだなぁと実感しています。自尊心が低くてなかなか自信が持てず、学ぶことばかりに躍起になっていた私ですが、50歳を過ぎてようやく、ずっと続けてくる事ができたおかげで洋裁に対する自信が持てるようになりました。やっとです。遅いかもしれません。でももう遅いやと嘆いて過ごすにはまだまだ人生長そうです。これからの人生でこれをどんどん活かせるものならば活かしたいって思います。それが出来たらこれからも楽しそうな気がします。私にとって洋裁は私の生きている証となるのかな。ありきたりだけどそんなふうに思います。そして私の手は生涯の友。
わたくしごとな長文をお読み下さいましてありがとうございました。
「洋裁と共に笑って生きる」を目標に頑張りたいと思い誓った53の春です。
ヒカオ
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