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石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和6年7月 初めての石巻訪問

 彫刻家・小室達(1899-1953年)は、昭和初期に石巻をたびたび訪れ、多くの人と親交を深めた。日記にはその時々の感想や思い出などがつづられており、当時の石巻の様子を伝える記録としても貴重だ。第2部は達とゆかりの人たちに焦点を当てていく。(全20回)

 「石巻渡辺氏からの書面があった。人間小室は、石巻に好印象を与えたらしい」。私の目の前にある昭和6年の小室達の日記に、こう記されています。

 仙台城址の伊達政宗公騎馬像(政宗像)の制作者である達は、昭和6年に石巻を訪問しています。達の作品制作や人との交流は、しばたの郷土館(柴田町)に残されている、昭和3年から27年まで25年間書き続けた日記や本人が撮影した写真、新聞のスクラップブックに記録されています(いずれも非公開)。

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達の昭和3~27年の日記(しばたの郷土館所蔵)

 私は平成28年から2年間、政宗像制作時代(昭和8-10年)について調べましたが、30年4月に柴田町から石巻市に移ってきたため、達について調べることはひと休みしていました。

 石巻生活が始まって間もない6月、東京にあるギャラリー南製作所で小室達展が開催されました。初めて見る作品が多く見入っていると、主催者の方からの「この続きは、地元宮城の人に任せます」と言われました。そして、この言葉に背中を押され、達についてさらに調べるようになったのです。

 約9千日分の日記と写真、新聞記事などを調べる中で、達の作品制作にかける熱い思いだけでなく、高橋英吉や各分野の人たちとの交流について知ることができました。その中でも目を引いたのが、私にとって新しい生活場所の「石巻」に関することでした。

 昭和6年7月4日の主な出来事にある「石巻に向け出発」が日記に初めて出てきた石巻訪問です。達は、上野駅午後2時半発の急行に乗り、夜9時に白石駅に到着。翌朝、白石の佐藤忠太郎(佐忠)と電車で石巻に向かいました。「佐忠」は、旧制白石中学校(現白石高校)からの親友です。

 石巻駅で渡辺忠右ヱ門の2人の娘さんに出迎えてもらい、渡辺邸で旧制石巻商業教諭の小林長太郎と印刷業を営む木村得太郎を紹介されました。両氏とも地域での文芸活動に力を入れていた文化人でした。

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達展を開催したギャラリー南製作所の図録

 この時の訪問目的は、鹿又村が計画している篤志家、高橋三郎翁の像制作計画について話を聞くということでした。そのため午後2時に電車で鹿又村に行き、小学校で村長、校長、像建設委員に紹介されています。その夜は日和山で町の歌人連の招待会に参列しました。

 達は「日和山は、石巻港と町とを一望の内に納め絶景の地である。自慢の鯛の刺身や鍋飯などで舌鼓を打つ」と日記に記しています。最後に北上川の中瀬方面に向かい菓子店の松泉堂へ寄り、渡辺邸で1泊しました。

 冒頭の言葉は帰宅後に、忠右ヱ門から届いた手紙に書かれていました。達は、その後も石巻を訪問しますが、各分野の人と出会い、作品を残しました。

 これから達が所蔵していた資料と石巻で見つけたもの、人々から聞いたことなどをもとに、達が出会った昭和初期の石巻について紹介していきます。もしも、別な見解や達関連の資料があったら教えてください。連載が終わる時、タイトルに込められた思いが伝わることを願っています。【鈴木哲也】


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