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石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和6年7月㊥ お気に入りの菓子店

 私の手元に昭和初期の「石巻もなか」の箱があります。箱の表書きには「登録商標 石巻土産親玉」「於各博覧会共進会 名誉金銀銅碑 数十個受領」と書かれていています。発売していたのは松泉堂です。本店は陸前石巻仲町にあり、第1・2支店もあったようです。

 昭和6年7月5日、石巻訪問の1日目の夜、町の歌人連の招待会に参列した帰り道、達は、この店へ寄っています。12時近くに宿泊先の渡辺邸に戻っているので、夜遅くに行ったと思われます。達は、石巻を訪問するたびに松泉堂に行っていますが、誰に紹介され、なぜ、お気に入りの店になったのでしょう。

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石巻銘産「石巻もなか」

 石巻市図書館に「海の幸 山の幸」(昭和3年発行)という特産品の順位を記した本があります。巻頭言には「石巻日日新聞社は県東三分郡(牡鹿、桃生、遠田)銘産名物推薦投票募集を試み、入選12名の生産者を発表した。この催しの発案者である私としては、全く無上の歓喜と感激とを覚えざるを得ぬものがある。昭和3年11月下浣(下旬)石巻日日新聞編集局にて 佐藤露江」と記されています。審査会には、この頃石巻商工会長をしていた石母田正輔も参加しました。

 得票数をもとにした1等は鰹節と焼竹輪の店で、2等の1番目に泉正之助が店主の「石巻もなか 松泉堂本店」が入っています。この中で露江は「石巻もなかと松泉堂の繁栄 当地代表的名物」と題してこの店を紹介しています。

 そこには「名物として広く知ってもらうには、生産者の創意と製法研究、宣伝、需要側の嗜好と、さらに販売の適当であることが渾然一致したところに、はじめて名物の価値を生ずるのである。泉正之助氏は岩手県生まれで、奉公を命ぜられて石巻に来た。26歳の時松泉堂を開き、もなかを作る時のあんの火加減や練り方、味付加減、皮の製法に工夫を重ねた末に、独自のもなかを完成させた。もなかの1年間の売上は、数十万個である」と記されています。

54本店 新装

松泉堂本店の新装開店

 達にこの店のことを紹介したのは、歌人連の一員と考えられる露江ではないかと思います。この日の日記に出てくる渡辺忠右ヱ門や木村得太郎も一緒に行ったかもしれません。一般客であれば夜分に店を訪れることはできませんが、知人の紹介ということで立ち寄れたのでしょう。

 達はその後、石巻に来ると必ず松泉堂へ立ち寄っており、連日行くこともありました。達の来店目的は、石巻土産を買うだけでなく、店主の正之助に会うことだったと考えられます。露江の文章にもある、研究熱心で妥協しない正之助の仕事の仕方が自分の作品制作に臨む姿勢と一致していたからではないかと思います。

 昭和初期に松泉堂本店があった場所は、現在のいしのまき元気いちばの辺りです。休日は石巻土産を買う人がたくさんいます。もしかすると、達が来ていた時の「商売の神様」が、今でもいるのかもしれません。


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