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今も眠る古代の記憶 渡波の須田さん化石発見 中生代のロマン求め

 中生代白亜紀末に絶滅したとされるアンモナイトの化石は、世界各地で発見され、教科書や図鑑などで一度は目する知名度の高いものだ。国内でのアンモナイトの化石について学術的研究がスタートしたのは、石巻市井内。三畳紀(2億―2億5千年前)の「伊里前層」があり、採石場などから数多くの化石が見つかっている。稲井地区と同じ地層が通る渡波地区でも近年発見が相次いでいる。【横井康彦】

 石巻とアンモナイトの歴史は1881年までさかのぼる。「ナウマン象」で知られるエドモンド・ナウマン博士が井内でアンモナイトの化石を採取。ドイツの学者モイシソビッチ氏に標本として送り、1888年に同氏が「石巻産三畳紀アンモナイト化石」として学術論文を発表したことで、石巻を含む北上山地周辺は、中生代の地層研究の聖地となった。

アンモナイト① (1)

佐須地区で化石が発見されている

 1970年には、南三陸町の歌津の地層から日本最古の魚竜「ウタツサウルス」の化石が見つかり、その後、雄勝荒地区でも同じ魚竜の化石が見つかった。牡鹿半島では、恐竜が最も栄えたジュラ紀の地層や海洋生物の化石も確認されるなど、石巻は古代の象徴と深い縁を持っている。

幼少の探求心に火

 今年3月、渡波佐須地区に住む須田敏雄さん(70)が、自宅近くなどでアンモナイトの化石を発見した。須田さんは、生まれも育ちも佐須地区で、長年船乗りとして汗を流してきた。

 数年前、自宅近くの沢でアンモナイトの化石が見つかった。台風などで岩肌が崩落した影響とみられる。化石は「ホランディケス」と呼ばれる井内地区で最も多く見つかっている種類だった。

アンモナイト②

須田さんが見つけた三畳紀のアンモナイト

 幼少の頃、地域内でアンモナイトの化石を見つけた記憶がよみがえった須田さん。これをきっかけに「自分でも化石をもう一度見つけてみたい」と、地域内で化石を探索したところ、3月までに自宅前や海岸付近の岩肌から2種類のアンモナイトと8千年前の貝の化石を見つけた。

 アンモナイトの殻は巻貝のような等角らせんの渦巻状になっており、縫合線と呼ばれる模様が等間隔で浮き出ているのが一般的。須田さんの見つけたアンモナイトは、年輪のように渦巻と同一方向に模様が伸びている「スツリア」と呼ばれる種類のものだった。

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岩肌にはほかにも数種類の化石が顔をのぞかせている

 「死ぬ前にまた見つけてみたいなという思いが強かった。この場所は太古に海だったことや地形の変動があって今に至っていることも想像できる。次は魚竜の骨を、とロマンが広がる」と童心に戻ったように熱弁をふるっていた。

 実際、恐竜や魚竜の化石が眠っているのか。東北大学総合芸術博物館によると「牡鹿半島で見つかっているジュラ紀の地層からは恐竜などの化石が発見されていないため、可能性は低いと思う。だが、佐須地区で見つかったアンモナイトは三畳紀のもの。それだけ化石が多数確認されているのであれば、可能性はある」という。

 石巻圏域を含む北上山地には、古代の記憶が多数眠る。従来は砕石場などから複数見つかるケースが主だったが、東日本大震災や台風19号などの影響、風化などの影響で身近な岩肌に古代の地層が表れることも。ロマンの探求に終わりはない。


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