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「川開き祭り」 ④展望 もっと市民参加の行事を

 限られた事業予算で人を呼び込み、祭りを成功させるには各種行事の見直しや磨き上げも必要だろう。98回におよぶ歴史をひもときながら、この先を展望する。

 平常通り行われたのは令和元年の第96回が最後。街なかにお祭り広場が開設され、目抜き通りでは初日に綱引き大会や定点を移動しながら踊るアクアカーニバルが繰り広げられた。夕方からは震災供養祭や川村孫兵衛翁報恩感謝祭といった祭典行事があり、旧北上川で灯籠流しと供養花火が打ち上げられた。

 2日目は小学校鼓笛隊パレード、縄張神社みこし、大漁踊りなどが続いた。松島基地のブルーインパルスが上空を飛び、水上では前日に続いて孫兵衛船競漕が白熱。6千発の花火で締めくくった。

 これらの行事は10年余り変わっていない。震災以降は期間と規模を縮小し、翌年に大漁踊り、26年には孫兵衛船競漕が完全復活。会期は1日短いままだが、行事はほぼ震災前の内容に戻っている。

 長い歴史では多くの行事が生まれ、進化または定着せず消えたりした。大正6年の第2回はボートと水泳競争、戦時の中断から復活した昭和21年は野球や卓球、仮装大会も。行事を募集した25年は、のど自慢や屋形船、七夕祭りもあったようだ。

次代への軌跡④つけ写真

 現代に続くみこしは、市民が参加できるように要請を受けた青年会議所が45年に開始。大漁踊りは市制40年の48年からで、それ以前には大漁唄い込み民謡パレードが登場していた。孫兵衛船競漕は50年。浴衣姿の大漁踊りは風情あるが、ゆっくりした所作を退屈に思う人もいたようだ。時代に合わせて若い人も、と創作部門を設けたこともあったが、定着せずに平成12年に自由なアクアカーニバルが生まれた。歴史が長いと、変えるのにも労力が要る。

 震災後の来場者は27年のピークに減少していたが、令和元年の来場者は前年を上回った。この年は全国にファンの多いディズニーパレードがあった。お金をかけてよそから人寄せの催しを呼べば、それなりに集客を見込めるということだ。

 それは悪いことではないし、話題作りになる。しかし、見物するだけでなく、参加してこそ祭り。かつてのように行事を募集しても良い。かく言う筆者も2年前の川開きで、一皇子神社のみこしを体験。「もっと市民参加ができる行事があれば、より盛り上がるのでないか」というのが当時の感想だ。【熊谷利勝】


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