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石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和8年4月 石巻の総合プロデューサー

 私の手元に「石巻市市制施行40周年記念 カンタータ大いなる故郷石巻」というLPレコードがあります。第1部「英吉と達」の第1話で紹介した50周年記念レコードの10年前に作られたものです。なぜ、私がこの中古レコードを手にしているのか、それは第4楽章「祝祭」の最後に「石巻風景」という歌が取り入れられているからです。

 レコードの解説には「昭和8年石巻市市制施行記念に作られた『石巻風景』を少年少女合唱隊がかわいらしく歌い、最後に近代的な工業港、十余万の市民がみんな幸せになるようにこの大いなる故郷石巻を讃えようと歌う大合唱で終わります」と書かれています。この歌を作ったのは第3話で紹介した歌人であり、石巻日日新聞の記者(戦後に社長就任)佐藤露江です。

1 市制施行40周年記念のレコード (1)

市制施行40周年記念のレコード

 子どもたちの「日和が丘のさくら花 かもめのどかにむれ飛びて 霞がくれの真帆片帆 あなおもしろき春景色」で始まるこの歌は、夏、秋、冬と続きます。間奏後から大人の声になり、最後は「香り豊かな町愛すべき人の町 大いなる海の故郷 みんなみんな幸せを 大いなる故郷石巻を讃えよう 大いなる故郷石巻を讃えよう」で終わります。

 初めて聞いた時は涙があふれてきました。それは、柴田郡沼辺村(村田町)出身の露江が歌詞の中に石巻の素晴らしさを見事に取り入れ、未来の石巻の発展を願う気持ちがものすごく伝わってきたからです。

 露江は、昭和8年に市制が施行され初代市長に石母田正輔が就任した時、市民歌とは別に市民愛唱歌として「石巻風景」を作ったのです。同年に石巻市章の選考委員もしていました。

 露江とともに仙南出身で石巻の発展に尽くし、達と交流があった人物には、以前紹介した渡辺忠右ヱ門(白石市)、小室十郎(角田市)がいます。露江のことをよく知る佐藤信男さんは「石巻の仙南出身者が、東京から来た同郷の達を迎え入れ、各分野の人たちとつないだのだろう」と言っていました。私も同様のことを考えていたので、この話を聞いて納得しました。

2 露江が作詞した田代小中学校の校歌

露江が作詞した田代小中学校の校歌

 信男さんは昭和48年の「カンタータ大いなる故郷石巻」の初演のエピソードとして、「石巻風景を聞いた時の感動は、忘れられない。演奏終了後には、満員となった会場の観客が総立ちになり、割れんばかりの拍手が巻き起こった」と話してくれました。

 上演の2年前に亡くなっていた露江自身は40年前に作った歌が楽曲の最後に取り入れられ、多くの市民を感動させたことを知りません。しかし、石巻を愛する心は、壮大な楽曲と共に生き続けていたのです。

 「石巻風景」は市制施行50周年でも歌われています。いつか令和3年開館の複合文化施設のホールで「石巻風景」の歌声が響き渡る日を夢見ています。

※豆情報 露江は石巻港節(作曲・後藤桃水)や田代小中学校校歌(作曲・海鋒義美)なども手掛けています。「カンタータ大いなる故郷石巻」は震災後にCD化されました。CDは橋通りにある石巻ニューゼで見ることができます。



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