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【特別寄稿】サン・ファン・バウティスタ号に寄せて 大森信治郎


 2月12日、慶長遣欧使節船の復元船(以下サン・ファン)の解体予算執行の差し止め請求がなされた。解体中止の署名運動に続いて、今まで潜在していた解体反対の声がここに来て一気に顕在化し、国際的な広がりも見せて来た。

 2016年に数回の有識者検討委員会で解体の方針が打ち出され、村井知事にその提言がなされた。十分な検討過程や資料が示されないまま、その存続の期限がやって来た。「何を今ごろ」「もう決まったことだから」という既成事実化に対する、草の根の声がさまざまな形で噴き出して来たのだと思う。

 私もまた解体にあらがう気持ちを持つ者の一人。「まちの誇り」や「人々のアイデンティティ」の大切さに大きな関心を寄せる者として、若干の私見を申し上げたい。

【小さなコラムから】

 サン・ファン・バウティスタ号の復元と言うアイデアが持ち上がったのは、平成元年に県が主催した「文化の風・文化の波おこし懇談会」のことだったと言われる。翌年、石巻圏域で開かれた「われらみやぎの東北学おこし」のフォーラムなどを通して復元の機運は急速に盛り上がり、わずか4年後には復元が実現した。

 しかし、すでにその何年も前の昭和の時代にサン・ファン号復元展示のアイデアを提唱していた人がいる。北上川河畔、内海橋のたもとにあった名レストラン俵屋の店主千葉勇作氏だ。昭和58年5月3日付けの地元紙に「旅のこころ―北上川に洗礼号を―」という随筆が掲載された。

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上皇ご夫妻(当時の天皇、皇后両陛下)が建造中のサン・ファン号を見学された(平成4年10月7日)

 千葉氏は、常長の足跡をたどったヨーロッパ旅行で、コロンブスのサンタマリア号に感動したことに触れ、石巻の人々はこの「洗礼号サン・ファン・バプチスタ号」をもっと誇りに思うべきだと指摘。どこにも真似のできないこの船を復元し、中瀬に展示することを提唱している。

 そして復元船は「その雄姿を川面に映して、21世紀を託す子どもたちに、石巻を訪れる青少年たちに、大きな夢をふくらませ、ロマンをかきたて、昨今忘れられがちな勇気や、冒険心を、いやがうえにも鼓舞するにちがいない」と結んでいる。復元事業の開始に遥かに先行して書かれたこのコラムには見事に復元のコンセプトが記されていた。

【復元事業を巡って】

 復元事業は平成の始まりと共に立ち上がり、実に多くの人々の情熱や英知、浄財が投入された。並々ではない社会の熱量がこの船に注がれたのだ。文化的シンボルへの人々の渇望を吸収するように船は完成に近づいていった。

 そこに大きな「事件」が起こる。サン・ファンの竣工式を目前に控えた平成5年10月4日、復元事業推進の中心的役割を果たしてきた本間俊太郎県知事が贈収賄容疑で逮捕された。この事件はその後のサン・ファンに大きな影を落とした。以後、県政のリーダーはこの船に微妙な距離を置くようになったと感じるのは私一人だろうか。この微妙な距離感は現在にまで及び、今回の解体の決定にもあるいは背景的な影響を与えているのかも知れない。

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中瀬で建造中の船体が完成し、進水式が行われた(平成5年5月22日)

 しかし1993年のこの時、船はもうほとんど完成しており、その圧倒的存在感はこの事件を飲み込んだように思われた。さまざまな文化的・社会的・経済的ベクトルが船を支えた。私もその一つに加勢していた。

 当時、私たちはサン・ファンをテーマにした市民創作劇の制作に取り組んでいた。石巻青年会議所を中心に広く多くの県民とともに劇団「夢回帰船」を立ち上げ、サン・ファンを建造した船大工の物語を石巻市民会館で上演した。船を県民により近しいものとして感じてもらうことを大きな目的とした。

 脚本を書き、音楽を作り、スタッフもキャストも全て自分たちの手で、ボランティアでやり通し、劇は大成功だった。テレビでも放映され、翌年には県民会館で再演された。次は東京で予定されていた世界都市博に船と共に乗り込もうと計画さえしていた。

 私たちの活動は恐らく最も多くの無償の人の時間と労力が注がれたサン・ファンに関する事業だと思う。その後もサン・ファン祭りをはじめ多くのサン・ファンを巡る活動が船を支えて来たはずだ。

 サン・ファンはただ行政が作っただけのハコモノではない。地元紙の小さなコラムから芽を出し、県民が盛り立てて咲いた、大輪の文化的花なのだ。前述の劇に参加した200人余りのメンバーの多くは、30年近くの時を経てもなお、あるいは時を経てさらに、サン・ファンに自分の人生の意義を重ねてみるほど特別な誇りと愛情を待っている。

 サン・ファン解体に実に切ない思いを抱いているのだ。感情論と切って捨てることは容易だろうが、こうした感情こそが文化の基底を支えているのではないだろうか。

【バブル時代的立地】

 誤解を恐れずに言えば、サン・ファンの一つの大きな「不運」はその立地にあったと思う。サン・ファン復元が具体化していく時代はバブル経済の真っただ中、通称リゾート法の成立を受け、日本中が空前のテーマパークブームとなっていた。そしてその多くはバブル崩壊後、破綻することになる。

 サン・ファンの復元事業はバブルが膨らんでいく時代の楽天的気分の中で進められ、多くのテーマパーク(例えば長崎のオランダ村、後のハウステンボス)の施設や立地の在り様から多大な影響を受けた。しかしサン・ファンは、いわゆる通常の商業的アミューズメント・パークやハコモノとは大きく異なる存在理由を持っていたはずだ。地域の歴史、文化的アイデンティティのより所、象徴としての性格を色濃く帯びて誕生した船なのだ。

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イベントで展帆したサン・ファン号(平成18年10月10日)

 考えてみれば、多くの地域においてその地域のシンボルとなる具象は大方、人々が日常的に目にすることができる場所に存在している。城郭であれ、寺社であれ、塔であれ、あるいは自然の山岳であれ、地域の誇りとなる文物は総じて、日々の生活の視覚的認知の範囲内にあり、深く人々の心に浸透して、地域人としての誇りを象徴的に支えている。熊本城や首里城の例を引くまでもないだろう。

 残念ながらサン・ファンは言わばバブル的施設立地の発想に準拠し、人々の日常的認知の域外に立地してしまい、視覚的アイデンティティ効果を十分果たして来られなかったのではないか。千葉氏の指摘通り、北上川河口付近の中州、中瀬が最適な立地ではなかったかと思われる。

 サン・ファン立地論は、当時の市長選の争点にもなったように記憶する。この4月に近づく市長選でも、候補者には立地を含めたサン・ファンに対する考えを明確にし、争点の一つにしてほしい。

【カネの問題】

 解体後サン・ファンは、4分の1スケールのFRP(繊維プラスチック)のミニチュアになるらしい。4分の1プラスチック製とは県民の誇りを随分安く見積もったものだと思う。4分の1の根拠は何だろう。

 確かに広島県呉市の大和ミュージアムの戦艦大和は10分の1スケールだが、それでも世界最大の艦船の全長は26メートル超となり、復元にあたっての最大公約数的縮尺だろう。それに比べてサン・ファンの4分の1は、こんな概念があるなら「最小公約数」とでも呼びたい縮尺だ。言うまでもないが、問題は予算、すなわち〝カネ〟なのだ。

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出帆記念祭で上演された劇団夢回帰船出航プロジェクトの「黒船出航前日譚」(令和2年11月3日)

 現状のサン・ファンパーク及びサン・ファン館を維持、管理するには莫大な経費がかかっているはず。もちろんサン・ファン館は「博物館」としての性格を持つ施設であり、単なる費用や入館者数でその価値を測るべきではないのは当然。しかしサン・ファン館そのものは器であり、当時の仕様で原寸に復元した船という展示物があってこそ価値があるのではないか。それが4分の1のFRPのミニチュアを展示して果たして博物館の役割が果たせるのかはなはだ疑問だ。

 あれだけの施設に実にこっけいとも言えるバランスだ。おそらく誰も、遠来の客を見学に連れていく気持ちにはならないだろう。県民の誇りとしての性格は急速に失われるに違いない。少なくとも私の身近な人は口をそろえて皆「4分の1なら行かない」と言う。

 暴論と言われるようなことを敢えて申し上げたい。〝カネ〟が問題なら、サン・ファンパークやサン・ファン館はむしろどこかに無償貸与し、維持管理をして有効に活用もらえばいいのではないか。

 例えば東北大学、宮城大学などに移管して水産や海洋の研究施設、海に関する新学部のキャンパスなどとして活用してもらってはどうだろう。近傍には水産関係の研究施設や水産高校、立派な研修船もある。これらを有機的に連携して教育・研究の拠点としてはどうなのだろうか。震災の被災地として世界的な海洋災害の研究施設を誘致するという考えもできるかもしれない。失礼を承知で言えば、民間の経営ならとっくの昔にリゾート企業などに売却されているところだ。

 解体費用をかけ、4分の1スケールの船を造る費用をかけ、ミニチュアとなったサン・ファンの展示で来館者の激減した施設をさらに費用をかけて維持して行く意味がどれほどあるのだろうか。〝カネ〟の問題として考えるのならばこの方が全く論外だろう。

【古くて新しい立地戦略】

 そろそろバブル的施設立地は見限って、サン・ファンにもう一度戦略的に活躍してもらえる場を与えてはどうだろうか。現状のサン・ファンをモニュメントとしてでも何とか維持する方法を徹底的に検討し、中瀬に簡便な施設を設けて展示してはどうだろう。

 観光の側面からも二次交通の問題が回避でき、石ノ森萬画館との相乗効果も期待できる。何よりも前述の視覚的アイデンティティ効果は大きい。整備された北上川河畔からも、日和山からも、新しい幾つかの橋からもその雄姿を見ることができるだろう。

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最後のライトアップとなったサン・ファン号(令和2年12月7日)

 繰り返しになるがサン・ファンは歴史文化的意義のみならず、観光をはじめとする地域の活性化の役割、そして人々の誇りと情感などさまざまなものを内包する地域の宝だ。世界史上の大航海時代に日本で唯一参画した船なのだ。易々と解体していい訳がない。4分の1のミニチュアにしていい訳がない。

 解体やむなしなら、むしろスッパリ諦めてしまう方が潔い。平成の時代に復元船があったことを語り継げばそれでもいいのではないか。4分の1ならいらない。

 解体中止を、船の存続方法の徹底した再検討を、切に望むものである。

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保存求め1万人署名 10団体で世界ネット

 「サンファン号保存を求める世界ネットワーク」は、仙台市のハポン・ハセクラ後援会、石巻市のサン・ファン・バウティスタ号を保存する会など国内外の10団体で1月26日に結成。復元船の公開が終了する3月末までに1万人を目標に署名活動を展開している。

 2月12日には、復元船の解体などに伴う公金支出は違法とし、県監査委員会に公金の支出差し止めを求める住民監査請求も行ったが、却下された。

 これを受け、世界ネットでは再請求や行政訴訟も検討しているという。

 世界ネット事務局の問合せは(080-4884-4868)。ウェブ署名、活動内容などはこちら


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