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石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和6年11月 文化人が集った郷土社

 私の手元に「石巻辨(弁)」(昭和7年)があります。発行元の「郷土社書房」は、佐藤露江の「海の門」を発行した書店です。達は昭和6年11月11日に石巻を訪問した際、ここに立ち寄りました。

 石巻駅で降りた達は、まず役場に行き、渡辺忠右ヱ門(渡忠)に会いました。その後、石巻赤十字病院に案内してもらい、石巻日日新聞社を訪問しました。

 この後は第4話で紹介した「郷土社を訪ね渡辺邸へ行く。…郷土社で石母田さんに会った」に続くのですが、郷土社はこの店です。達は石巻に来るとここを訪れ、いろいろな人と交流していたようなので、この店は達にとって重要な場所だったのではないかと思いました。

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郷土社書房発行の「石巻辨」

 石巻市図書館で「郷土社」を頼りに資料を探したところ、この店が発行した数冊の本が見つかりました。しかし、店のことを説明しているものは、見つかりませんでした。

 ある日、昭和の石巻を記録した「グラビア石巻」(亀山幸一著)のページをめくっていると、右から「郷土社書房」と書かれた看板を掲げた店の写真が目に留まりました。そして、下にはずっと知りたかったこの店の説明が詳しく書かれていたのです。

 「郷土社書房は山五呉服店の菅野純一郎が昭和3年に開いた書店である。ここには石巻日日新聞社の佐藤露江氏、後に水脈短歌社を創立した木村得太郎氏、歯科医で市議をつとめた三宅松治郎氏など当時石巻の文化人と目される人々が集まっていた。惜しくも昭和11年に店を閉じた」と書かれていました。達が石巻で知り合いになった露江や得太郎の名前が出ていたのです。

 最近、郷土史に詳しい辺見清二さんが書いた記事で、別なことを知りました。店主の純一郎は、初めは坂下町に開店しました。昭和7年発行、露江の「海の門」の奥付には坂下町と書いていました。その後、店は大町通りに移転し、8年の地図には移転後の場所に郷土社が載っていました。

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現在のアイトピア通りにあった郷土社書房(左下)。壁にローマ字での看板も掲げていた(「グラビア石巻」より)

 「ここ住吉と」(住吉小100周年記念誌)には「石巻文壇史」(木村得太郎 石巻日日新聞)の一部が紹介されていました。

 そこには、純一郎が「素雅潤」という号の詩人だったこと、三宅松治郎は「三宅松堂」、石母田正輔は「石母田石仏」、木村得太郎は「木村花痩」という号で俳句を詠んでいたことが書かれていました。

 この中で松治郎は、達作のブロンズ像を所蔵していたようです。純一郎が書店を開き、そこに文化人が集っていた理由が分かったような気がしました。

 郷土社書房は、その後「躭書房」となり、現在は「石巻まちの本棚」になっています。この店では高橋英吉の「海の三部作への序章」や石巻文化センターで木版画教室を開いていた娘の幸子さんの本を販売しています。ここには、達が立ち寄っていた頃の「郷土の文化を大事にする神様」がいるのかもしれません。


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