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石巻が育てた天才彫刻家たち 第1部 英吉と達⑦ 昭和18 年 英吉作品との再会

 私の目の前に小室達が書いた昭和18年の日記があります。場所は、再びしばたの郷土館です。この中に英吉が亡くなった後の新聞記事という新たな発見があったわけですが、さらにまた新たな発見がありました。

 2枚目の新聞記事は「血闘のガ島に刻む 悲願不動明王の像 珍しく話題に富んだ第四回新制作派美術」の見出しで始まり「新制作派四回展は去る二十三日東京都美術館に蓋をあけたが、決戦下の美術界に最もふさわしい話題は血闘ガダルカナルに於て激戦の余暇に持ち合わせの針を磨いて刻りあげた身は永遠にガ島の鬼と化した故高橋英吉の彫刻『不動』で故人が母の為に六年間かかかって作ったという等身大の聖観音と共に、この展の人気の中心となっている」と伝えています。

①不動明王像

英吉の絶作となった「不動明王像」
(いずれも「青春の遺作」より)

 日記をめくっていくと9月29日に主な出来事の「新制作派展 朝倉塾展行」で始まり「午後は新制作派と朝倉塾展を観る。高橋英吉君の観音像木彫はかつて東邦彫塑展出品のもの」という記述を発見しました。再び、涙があふれてきました。達は新聞記事の場所に足を運んだのです。これが、英吉に関する記述の最後でした。

 昭和16年、東邦彫塑院に所属した英吉は5月の第5回東邦彫塑院展に観音像木彫(聖観音立像)を出品し東邦彫塑院賞を受賞しました。では、なぜ達は2年前に出品されたものと知っていたのでしょう。この部分は今まではあまり気にしていなかったのですが、達の昭和16年の日記を見直してみると…ありました。

②聖観音立像

高い評価を得た「聖観音立像」
(未完、石巻高校所蔵)

 6月5日の主な出来事に「陶彫総会、東院展行」とあり「東邦彫塑展を小川、長谷川両氏と観る」と書かれていました。英吉の名前や作品名がなかったので見逃していましたが、達は2年前に見ていたのですね。

 私も石巻高校で実際に見ました。ということは、達が見た像を私も見たということですね。英吉は「聖観音立像」を未完成としていますが、さらにどこを仕上げるのか私には分かりませんでした。

 前回紹介した新制作派の柳原義達の作品「道標・鴉」と「風の中の鴉」が宮城県美術館のアリスの庭にあります。舟越保武は、昭和58年の映画「潮音」に出演し「少女像」について語っています。


筆者プロフィール-01




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