「消え入りたい」衝動を考える
ぼくらは透明○○でもおかしくはないんじゃないか。
〈題1〉
◆あなたが透明だったら、ぼくはあなたを認知できないから、困るなぁ。
でも透明なんだから、あなたかどうかわからないし、そこまで困らないかもしれない。
〈題2〉
◆では、ぼくが透明だったら、ぼくはぼくを認知できるだろうか。
ー「できるさ。」
ぼくはぼくでなければならないから、できないはずがない。
ぼくの知覚からぼくの身体を透かしたら、ぼくは簡単に透明になれる。
でも、このキーボードを「押す力」、ヤカンを「動かす力」、
地面を「こする力」、きみを「抱く力」、人の心を「動かす力」、、
これらの力を【作用する形】がなければ、身の周りことを説明できない。
だから、ぼくには身体が必要なんだ。つまり
ぼくには識宜上、身体があるにすぎない。
〈題3〉
◆では、身の周りのものがすべて透明だったら?
ぼくはぼくを認知できるだろうか。
ー「できなくはない、気がする。」
今現在ぼくの周りには
・認知できるもの(顕物)とそうでないもの(透明)
・知覚できるもの(現実)とそうでないもの(想像)
・想起できるもの(想念)とそうでないもの(秘密)
・空想できるもの(混沌)とそうでないもの(寂滅)
などが「ある」。(存在する(しない))(なくない)
【身の回りの透明なものの例】
{・空・気・愛・神・仏・縁・命・意・念・霊}
したがって、
〈ぼくの身体〉は非透明を前提としており、
身体(宇宙)とは〈非透明なぼくの総体〉ではあるが、〈透明な層を含むぼくの全体〉ではない。
どうやら、題目において「身の周りのもの」といったことで、
ぼくは身体を必要とし、また、顕物を必要としてしまったようだ。
題を改める。
〈題4〉
◆では、すべてが透明だったら?
つまり、認知できるもの、顕物がない状態において、
ぼくはぼくを認知できるだろうか。
ー「できない。」いな、「必要ない。」
現物としての身体があるがゆえに、
非透明な身体がある限りにおいて、
ぼくはぼくを認知でき、識宜上、認知を呈する必要がある。
しかし、現物〔もの〕が存在しなければ、
苦悩も幻想も涅槃も寂滅も大楽も生じえず、
いかなるぼくも自己認識を呈する必要がない。
〈題5〉
◆では、すべてが透明でなかったら?
他己のすべてが「見える」状態、
無知がない状態、秘密と寂滅を伴った状態、
ぼくはぼくを認知できるだろうか。
ー「できない。」というよりも「想定できない。」
透明なものが一切なければ、透明という概念が存在しえないため、題目が成立しなくなってしまう。
〈総論〉
透明可能性がもっとも高かったのは、
1.すでに透明なもの(こと)
次いで、
2.自分自身
3.身の周りの現物(もの)
という結果になった。
現代の若者が経験しがちな、
現行の社会構造に幻滅し「消え入りたい」という衝動が、
透明になりたいという意図なのか、
ものになりたいという意図なのかは判然としなかった。
むしろ、「もの」にも「こと」にも成り切れない、
「自己」という行き場のない不透明感、煮え切らない存在感が、
個人主義社会を【精神疾患の巣窟】にしているのかもしれない。
あるいは、自己認識そのものが事故なのかもしれない。
また、
すべてのものが透明であれば自己は存在する必要がなく、
すべてのものが非透明であることは想定不可能であることがわかった。
あること を なし とし、
あるもの を なし とし、
ないもの も あり とし、
ないこと も あり とする。
そんな営みが「自由」や「意志」や「精神」を支えているのだとしたら、
そんな仮初の紛いモノなど、こちらから願い下げだ。
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