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絵は誰でもうまくならない。描かない人よりはマシ。


絵はやれば上手くなるっていうのは確かにそうなんだけど、どのぐらいまで上手くなれるかということについては本当に人それぞれ。
良い意味でも、悪い意味でも。

そして、絵描きの人数は、インターネットでは今は飽和し切っている。誰でも頑張ればある程度のレベルまでは行ける趣味だって吹聴ふいちょうされているから。

瞑想者 イカさんは「子供の頃からそれなりに絵が得意だった」と言っているけれど、絵の得意不得意にもバリエーションがあって、インターネットで評価される絵と、お金になる絵と、趣味を発散できる絵というのはすべて違ったベクトルの能力を求められる。

デッサン力みたいな部分とかは共通して必要だけど、服飾デザインの力とか、デフォルメの記号をいくつ知っているかとか、そういう部分は描きたい絵によって全く変わってくる。

しかも、人間は平等じゃなくて、この能力の伸びと描きたい絵というのは往々にして一致しない。

例えば、ぼくはどちらかというとNovelAIが出すみたいな汎用絵が描けるようになりたいタイプなんだけれども、そういう絵が描けるようになるにはかなりのデッサン力と記号化力が必要とされる。言い換えるなら、ひたすらアニメ絵を描き続ける反復練習と、流行の絵柄を追い続ける努力が必要になる。
けれど、同じ量、同じ内容の練習をやっていても、一度の練習で多くを身につけられる要領の良い人と、100回ぐらいやってやっと1ステップ進めるような要領の悪い人がいる。変な癖が付いていつまでも同じところをぐるぐるしている人もいるし、練習がつまらなくて続かなくてほっぽり投げてしまう人もいる。

一日3枚3時間みたいな、同じ訓練でも楽しいと思えるか、つまらないと思えるかはある程度考え方のコントロールでどうにかできる部分ではあるけれど、どうしても合う合わないというのは存在する。人間だから。
すぐに上手くなれば楽しくなるし、いつまで経っても他人より上手くならないと不快になって描きたくなくなる。人間だから。

そして、インターネットをやっていると、めちゃくちゃ要領が良くてすぐに上手くなった人ばかりが目立つ。
たったデビュー3ヶ月で、最初のめちゃくちゃな絵からこんな整った絵に上手くなってるだって!?
気づいたら良いね数もRT数もフォロワーも画力も、たった3ヶ月の間にダブルスコアで抜かれている。

仲のいい人に限ってそういうことが起こる。

まあ、SNSを見ていると心が折れそうになる。

下を見て心を押さえつける(最悪)

けれど、Twitterで「3ヶ月 上達」で調べれば分かるけれど、9割の人間は挫折して辞める。さいとうなおきも苦しい練習って言ってるもんな。まあ大抵の人間は意気込みだけは良いけれど、習慣化に失敗して挫折する。

これを見て、まだ多少描いてる自分のほうが前には進んでるしな……という、下を見て自分のメンタルを保つという行為を始める。

SNS、というかTwitterの悪いところだな。
はい、いつものTwitterの悪口です。

絵はそうそう上手くならない(9割の人は)

絵はやればうまくなる、誰でも神絵師になれるってのは本当に無責任である。

なんで無責任かというと、学校教育を見ればそれが分かる。

学校教育は平等に教えているけれど、勉強ができるようになる人と、いくらやっても伸び悩む人がいる。全教科、オールAの人もいれば、ムラっけのある人もいるし、何をやってもまるでダメな人もいるし、LD学習障害レベルで苦手な人もいる。

塾に行ける金があるからだとか、英才教育だからだという意見もまあなくはない。お金があれば環境をある程度選べるからだ。

だとしても、二世なのにも関わらず平凡な人は一定数いる。
平均への回帰が起こっているからだ。

とにかく、〇〇をやれば❌❌ができるようになる、というのは商材のリップトークでしかない。努力しても出来ない人は必ずいるし、成長速度は人によってかなり差がある。

私の例で言えば、3年間、伸び盛りの中学生を費やしてもろくにハイバックすら打てなかったバドミントンに対して、大人になってから始めてたった3ヶ月でドライブまでできるようになった卓球のように、人間には向き不向きがあるのだ。

これを、「やればできる」と言い切ってしまうのは本当に無責任だと思う。

noteとか個人ブログとかYouTubeとか情報商材とかは、自分の体験を言い切ってしまっているものが多い。
そのほうが見ている人は不安にならないし、納得した気分になれるからだ。

だけど、私がよく「おおむね」とか「ほとんどは」とか書くのは、私はそこまで無責任じゃないし、私はかなり色々なことをやって挫折してきた人間だし、プロレベルになるまでやってきたこともある人間だし、プロレベルになれなかった人間を山程見てきた人間でもあるからだ。

夢を与えるだけってのは本当に無責任だけど、教える側にとっては都合が良い。ぼくがサイコパスならこの方法をうまく使って色んな人を巻き込んでるんだけど、ぼくはサイコパスではないからそこまで頭は回らないし、感情に思考が邪魔されるからそこまでの才能はない。

個人が記事を出すようになって、それらの信ぴょう性を保証してくれるところはどこにもない。なんなら昔からなかったし、昔こそネットで指摘されることもなかったからもっとガバガバだった。
今の記事の危険性は、可処分時間の奪い合いだから、視聴者にとっては昔より耳障りのいい言葉が増えていることだ。

これもあって、私は制作本を書き直したいと言っているし、制作本を書いたことで迷う人間を大量に出してしまったことを少し反省もしているのだ。

例えば絵は上手くならないという本があって、これは体系的に練習手法と能力の伸ばし方がまとめられた、いい本なのだけれど、どういう方法で確実にこれがうまくなるとは書いてない。
傾向は言えるにしても、各個人の成長までは保証はできない。

結局、体験談や経験知は「参考」にしかならないのだ。
参考から、練習して、能力にまで結びつくかどうかは、本人の努力と才能と要領の良さ次第でしかない。

私も絵についていくつか記事を書いているけれど、この体験談が他の人にとって役に立つかなんて分からない。
ましてや、害になるかもしれないのだ。

まとめ

結局、瞑想者 イカさんもココナラで絵を募集するのを辞めてしまっている。
インターネットの飽和した絵描きの荒波に揉まれて、諦めてしまったのだろうか。

絵をお金にするのはすごく難しい。立ち回りも、才能も、運も、要領の良さも、みんな必要だ。

キャラクターの創作費に使わせていただきます。