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【質問】小学生でも着ぐるみを作ることはできるか?

響音カゲです。

大昔に質問されたことなので時効だと思って答えます。おそらく彼は今はもう進学していることでしょう。


私の元に、ある日「小学○年生です。どうやったら着ぐるみ作れますか」というDMが届いた。

まあ、普段なら無視するようなDMですが、気になったので回答してみることにする。

「どんな着ぐるみが作りたいのですか? とりあえず、最初はデザインを作ってみるといいんじゃないでしょうか」と返して、あとアマのデザインシート辺りを渡しておいた。

デザイン画を作るのに使うソフトも聞かれたので、適当にフリーソフトの名前を返しておきました。きっと自分で自由に使えるパソコンを持っているんだろうな。

次に聞かれたのが、どこでファー買えますか?といくら必要ですか? という内容。

「ファーを買うのには新宿とか遠いところに行くか、通販で買わないといけない。お金もかかるし、親御さんと相談してみて」

ということを伝えたが、親には言いたくないと返ってくる。

それっきりだった。


実際、過去に小学生でそこそこのクオリティのケモノ着ぐるみ作ってる人がいて話題になったことはある。

けれど、それができるのってめちゃくちゃ恵まれてるってことでもある。残酷だけど。

ケモノ着ぐるみを作るには情報がいるし、それなりに家に教えてもらえる人がいる必要がある。

それに、イベントに小学生が一人で行くのはまだ早すぎるし、きっと着ぐるみを作った子は両親とかに連れて行ってもらったことがあるのかもしれない。

いずれにしても、着ぐるみを完成させて出す場所をどうするのかという問題もある。まあ、そこは両親が金銭面や制作面で補助できるだけの家があるのであればさほど問題はないといえばないかもしれないのだけど……。

とにかく、着ぐるみを手にするためには相当金銭的にも時間的にも地理的にも空間的にも環境にも恵まれないと難しい。特に、未成年の若いうちは。

私が着ぐるみ制作でよく言う言葉があって、「制作本を買った人間のうち着ぐるみを実際に完成させられる人間は100人中1人ぐらいだと思う」っていう内容だ。これは実際そうだと思う。

この数字って多少割合は変わるけど、だいたいゲーム制作とか、お絵描きとか、起業とか、その他もろもろでおおむね正しい。

1人の成功者の裏には、無数の諦めた人間、いや、他に労力を振った人間がいる。これが事実だ。


今回、着ぐるみを作れなかった子はまあ仕方ないと思うし、ぼくの対応も正直今だったら、例えば「ヘッドだけだったら100均の材料だけでもなんとか作れなくもないよ」みたいなもうちょっとましな対応ができたのかもしれない。

SNSで着ぐるみを見かけて自分も着てみたいと思う感情は自然だと思うし、そういうのに魅力を感じるのって多感になり始める時期だろうから納得できる。

だからこそ、なんかもうちょっといい方向に話を進めることができたんじゃないだろうかって今なら思う。もちろん、Twitter上のDM経由だけでぼくにできることなんてたかが知れてるし、ぼくのアカウント凍っちゃったからもう何も伝えれらないけど。


私が初めて着ぐるみが欲しいって思ったのは高校生のときだし、それから色々努力して自力で作ったわけだけど、それができるのも親がそれなりに良かったってのもあるし、自作が出来る程度には金銭があったということでもある。そもそも、日本に生まれてるだけでも相当恵まれてるし、ここじゃなかったらたぶん着ぐるみなんて作れていないと思う。

着ぐるみを作りたい、着たいと思う感情って着ぐるみを見たら感じる人って少なくはないと思うんだけど、実際にそれを実行に移せるほど思いの強い人ってそこまで多くはないし、その環境がある人ってもっと少ない。

私は自分自身が着ぐるみをうまく作れないことに不満を持っているけれど、自分の工房を持っているケモノ着ぐるみ制作者なんて日本に何十人いるかって程度だろうし、ケモノ着ぐるみを満足して自作したりできるようなスタートラインにも立ててない人っていっぱいいる。

日陰工房のモットーは「お客様の夢を叶え続ける」なんだけど、私が本を書いたことで「ケモノ着ぐるみが作れました!」っていう人もたくさん増えたんだけど、残酷なことにそれ以上に「着ぐるみが作れると思ったのに自分にはできなかった」という人を増やしているということもまた事実なんだと思う。

もちろん、着ぐるみ制作をしたいと思う人が増えるからこそ着ぐるみ制作のレベルって上がっていくんだけれど、ここ数年で急激に自作のレベルが上がったことに対して私は少なからず干渉したんじゃないかと思っている。

インターネット自体の今は、自作のクオリティが上がっていくことは良いことばかりじゃない。

新しく自作を始める私のようなZ世代や、私がDMをしたような世の中に出ていくα世代人にとって、彼らの繋がりの血肉であるSNS経由で目に入ってくる高品質な着ぐるみは、着ぐるみ制作で理想になれなかった数多くの若者たちの自尊心を削り取っていく。

なんだか私がやってきた「着ぐるみ制作の情報をオープンにして、別け隔てなく着ぐるみ制作を手伝う」という行為が、とても残酷なように見えてきたのだ。


ぼくは決して悪いことをやったとは思っていないし、自分ができることをやってきたと思っている。

上に書いたようなことも、「誰しもを救いたい」というぼくの歪みきった偏見が引き起こしている。「全員を救う」なんて不可能なのに。

ぼくは結局、人に優しすぎるせいで、自分自身を無意識に苦しめているケースが多々あるんだと思う。背負うべきじゃない気持ちまで背負っている。

ぼくの理性では正しいと思っていても、救えなかった存在を一人見ると感情が抑えられなくなる。過去に囚われ、自分自身の考えに囚われ、自分でばかり悩んでいる。結局、他者のことを悩んでいるようで、自分にばかりフォーカスしているのだ。

ぼくは過去を忘れたい。未来に絶望したくない。今を生きたい。

ぼくはこの3年間、どうするべきだったんだ?

キャラクターの創作費に使わせていただきます。