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わたしの未来には「ヒト」がいない

小学生の時に「小説家になる夢」を諦めてからずっと見つけられずにいた夢は、高校2年生の10月にとあるライブハウスで「勝手に死ぬんじゃねえ」と叫んだバンドマンの姿を目にした途端、体の中に衝撃が走った。衝撃は私に「これを夢にしよう」と伝えてくる。「あんな風になりたい」と夢をみたわけではない。「あんな風に言葉を大切にする仕事に就きたい」そう思った

この日はライブ前から最強にワクワクして、本当に奇跡が連続して起こった日だとおもう。そして「私がサンボマスターと共に歩む人生が始まった日」でもある。

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初めて観に行くワンマンライブを目前にして授業を受けながらソワソワしていた私は、ワクワクを抑えきれずにご本人にリプを送ったところ、こんな返信が返ってきた。

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当時は「うわ~すごい!」と、ちょっとパニックになりながらも大喜びして、5限目の歴史の授業を受けていた。5限の授業を受けていた私は6限目のロックンロールの授業で夢を見つけるなんて思ってもなかっただろうな。

ライブが終わって最前列でホカホカになった体を、10月の夜らしい涼しさでクールダウンさせながら、ちょっと浮ついた心と地につかない足で踏む地面の感覚を感じる。

夢が見つかった喜びと今すぐ誰かに話したい気持ちを抑えて自宅に帰り、すぐにパソコンを開いて検索をした。

「音楽で人を支える仕事」「言葉を大切にする仕事」

頭の中に浮かんでくる”未来のイメージ”はどれも抽象的だったけど、明確に分かっている「言葉を大切にする」という、小学生の時は誰かに知られることが怖くて諦めてしまったあの夢をどうにか形にできる道があるかもしれない。

そんなことを考えながらパソコン画面に向き合っていると、ビビッとくる仕事と出会った。

自分で言うのもなんだけど、私は行動力だけはいっちょまえにあるから、高校2年生の10月、大好きなバンドのライブで見つけた「やりたいこと」は、その日のうちに進むべき道として明確になり、寝る前までに専門学校の資料請求をしていた。

「やると決めたから入学をするなんてことは当たり前の未来」そう思いながら日々を過ごしていたら、あっという間に高校3年生になり、春先にあったオープンキャンパスに行き、夏前にAO入試を受けた。夢が見つかってから専門学校の入試を受けるまでの期間は半年程度だった。

AO入試の対策授業が専門学校であったとき、他に受講予定だった人が全員休みで、まさかの先生と一対一の授業を受けることになった。正直かなりびっくりしたけど、授業の最中に「どうしてこの夢を目指したの?」と聞かれ、説明をすると「いいですね」なんて言葉を伝えてもらえたから、入試を受ける前からなんだか合格した気持ちになったりもした。

そして待ちに待った入試当日、面接待ちをしていた教室に入ってきたのは、事前対策授業をしてくれた先生で、面接を受ける人たちのなかで一番最初に名前を呼ばれた私は、「この先生に面接をしてもらえるんだ!よかった」なんて気持ちで先陣をきるように教室を出た。

「夢への扉はもうすぐ開かれる…。」
ウキウキしながら臨んだ面接、質問にはハキハキとした口調で答え、頭の中に浮かんでくる「私の人生」をまっすぐ見つめて話をした。見えてくる未来は半年前にライブで受けた衝撃的な稲妻のように輝いていて、これから始まる人生が「なりたかった私の人生であること」に希望しか持てなかった。

それから数週間経ったある日、家に大きな封筒が届いた。
送り先は専門学校からで、触った感覚があまりにもペラペラで驚いたけど「合格通知を伝える紙なんて、一枚で届くもんね」と本気で思っていたし、夢が叶えられない人生なんてないと思っていたから、玄関でおもいきり封筒を破いて、たった一枚の紙を手にした瞬間、目に入ってきたのは「不合格」の3文字だった。

「あ、落ちたんだ」そう思った瞬間、こみ上げてくる感情はちょっとした怒りと絶望だった。私の何がダメだったんだろう。なんてことを考えながら、そんな時にやってはいけないことランキング第1位の「〇〇専門学校 合格」とTwitterで検索をすると、同じ日に面接を受けた子の多くが『合格』の2文字をアップしていた。私の手元にある文字より一文字少ない喜びの文字は体の全てをグサッと痛めつけてくる文字で「もう検索しない」と心に誓った。

それからの日々はあまり覚えていないけど、通信制高校に通っていたので現実逃避をするためにちょっと学校をサボって、起きた出来事を忘れるように必死にアルバイトをしていた気がする。

私はとても極端な人間だから「不合格=夢の終わり」だと思っていて、その後は違う学校を探したりしていたかな。そんなある日担任の先生に呼び出しをされたので、面談室に行くと「実は〇〇専門学校の先生が来てくれて、不合格だった理由を教えてくれたんだけど…」と突然話し出すから驚いたもんだ。

不合格理由を聞くと、どうやら私は筆記のテストもかなり出来ていたらしい。それなのに落ちた。私が面接に落ちた理由は「面接での”未来の話”」だった。

「これからどうなりたいか」と聞かれた時に「私はこうなりたい」「こういう夢を叶えたい」そんなキラキラした人生について話したのだが、それがダメだった。いや、ダメではないけれど、それでは合格できなかった。

その職業は「言葉を話す機能や力などをサポートする仕事」なので、誰かと共に歩む人生に希望や意味を持てる人が手にすることのできる職業。だから未来に”自分”しか存在させることができなかった私は落ちてしまった。

そんな話をされて唖然としていると、先生は加えてこう言った。

「面接対策をすればきっと受かるから…来週面接対策を受けてみないか」

今思えば笑っちゃう話だけど、夢は自分の手で叶えるものだし、想いが強いから絶対に合格できると過信していた私は、学校で行う入試対策の講座を全く受ていなかった。だから「分かりました」と返事をし、後日初めて面接の練習をすることになった。

どうでもいいマナーの練習は、ほぼ記憶にないけれど、唯一覚えているのは面接担当をしてくれた先生に言われた「叶えたい想いが強くても、入れなければ意味がない」という言葉だった。私の面接で話す夢は”素敵”だけど、その夢を叶えさせてくれる学校の思想や方針に合っていないかと落ちてしまう可能性がある。

素敵な夢を持っていてもそれが理由で受からないことがあるのか…とちょっとしたショックを覚えながらも、高校3年生の私は”夢を叶えるために妥協する決意"をした。面接対策で先生に言われた「キーワード」をメモして、自分の想像する未来のなかにキーワードを無理矢理押しこんでいく作業をせっせと繰り返し、定型文を完成させ、毎日その言葉たちとにらめっこをした。

2回目の入試までの間に何故だか専門学校に行った記憶がある。なんで行ったのかは覚えていないけど、当日私を”面接で落とした”先生と向かい合わせの机に座って話をしたことだけはよく覚えている。そこで言われたのが、「〇〇さんが叶えたい夢や、やりたいことは本当にすごいし、応援したい気持ちはあるけど…その夢を持った人はこの道には合っていないかもしれない」

「この仕事に就ける人は、自分の人生を誰かの人生のために使える人だから…」

たしかこんな感じだった。この言葉をかけられたとき、『私が目指している夢は、もしかすると私が思い描くものではないのかもしれない』と悲しくなって涙が出てきた。まさかあんな場所で泣くとは思ってもいなかったけど、いろんな想いが重なって我慢できなかった。あの日見つけた「やりたいこと」は、いつの間にか私の中で幻想となり、勝手にやりたいことをその仕事に照らし合わせていた。だから、私の頭の中に浮かんでいる夢は架空の仕事であり、形にすることはできないと気づいたのだ。

先生はなだめてくれたし、後は〇〇さんの気持ち次第だけど…。〇〇さんは頑張れば絶対に入学できる人だから。と言ってくれた。

泣きはらした顔で「ありがとうございました」とお礼をして、頭のなかに「諦め」の3文字が浮かびかけた時、偶然その場に居合わせた生徒のお母さんらしき人が「これ…良かったら使って」とペコちゃんが描かれた小さなティッシュを渡してくれた。

その人の目には私の姿はどう映ったのかな。自分の子供に照らし合わせたりしたのかな…今ではそんなことを考えられるけど、当時はただ「ありがとうございます」と伝えることが精一杯。

それでも私は単純だから、消えかけていた心の灯に少しだけ灯がともったような気がした。

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あれから7年経った今も使えずにいるティッシュ。
ずっと大切に保管しています。

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BDRに参加をしてくれるモデルさんが毎月共通のテーマでnoteを書いて人生と向き合ってくれている姿を見ると、私も「改めて自分の人生と向き合おう」と思いました。
書き始めたら想像以上に長くなったので、連載みたいにゆっくりと書いていく予定です。いつ完成するかは分からないし、書き始めたものの「ゴールはあるのか」とすら思っているけど、お付き合いいただけると嬉しいです。

▼スタッフとして参加しているバースデーランウェイの公式note。
5人のモデルさんそれぞれが歩んできた人生を知ることができる記事がたくさんあります。よければ目を通してみてください。


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