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頭では分かっている「自分に必要な時間」が心で受け止めきれない

通院からの帰り道、大嫌いなセミが私の方をめがけて一直線に飛んできた。自分の時間だけが止まったのかと思うぐらい、私の視界にはセミしか見えておらず、ただ、真っ直ぐこちらに向かってくるセミに目を凝らしていたら、セミは当たり前のように私の左肩に止まった。

その瞬間、ここ数時間、いや、数年間かけて、少しずつ積み重なっていた、小さなわだかまりが、ギュッとひとつに固まって、心のなかでドカンと爆発したような感覚を覚えた。

「もういや!」と、左肩に止まるセミを、思い切って振り払った瞬間、セミ特有のジジジジという音と、羽と固い胴体に手が触れた感触で気が狂いそうになった。

日頃から「消えたい」と思っているわけではないし、どちらかというと、ここ数年、自分のメンタルはそれなりに安定していると思う。だけど、ふとしたときに積もりに積もった何かが大きな衝撃となって自分の元にやってくることがある。

それを感じるのはいつも自宅にいるときだったから、ひたすら部屋にこもればよいのだけど、この日ばかりはそうはいかず、視線が車道の反対側からくる大きなトラックを捉えていたとき、自分が何を感じていたのかが理解できて、心臓がバクバクした。

通院は自分の人生にとっては重要な時間で、それが必要なことは、もうずっと前から理解している。でも、それなりにかかる支出が積み重なっていること、そのために半日ぐらいの時間を使うことがあること、家に帰ってからも外に出た疲れで仕事を始めるまでに時間がかかること。いろんな「この時間はできれば減らしたいな」という時間が積もっていたのだと思う。

自分のために、将来のために通っていること、お金を払っていること、全て頭で理解できているのに、どうしてだか心がついていかない。心身ともに健康でありたいと願い、行動をしているだけなのに、結果がついてこない。

「疲れたなあ」と、深いため息を吐くような言葉が出てきたとき、自分のSOSサインに少し気付けたような気がする。

休もう。どこかで。森とか海とか、視界が開けた場所に行って、ボーッとする時間を作ろう。



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響あづ妙
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