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【音楽のおの字も知らなかった人が音大を受けた話】

自分の音楽の原点について、前回の投稿である程度お話しをしました。
今回は音大を受験した時の話しをメインに、自分の昔話とともに話して行きたいと思います。

楽器を始めたのが2013年1月23日で約11年前になり、まだ記憶が少しでも新しいうちに自分の経験などをまとめられたらと思いながら書いてます。

これから音楽大学の受験を考えている人や自分自身の進路に悩んでいる方、参考になるか分からないですが、「こんなパターンの人もいるだな」というのをお伝えできればと思います。

少し長くなりますが、是非読んでみていただけると幸いです^_^

・高校生までの進路について

前回の投稿で書いたように、幼少期から音楽をしていたわけではなく、外で遊ぶことが大好きな少年で、小学生の頃にバスケ部に入部して、バスケ一筋の生活を送っていました。

中学生の頃はバスケ部の部長をやっていました。笑

今、当時の同級生と再会すると、あまりにも体型が変わってしまって驚かれます。(25kgほど太った)

運動する事が大好きで、将来の夢は好きだった社会科の教員か、体育の分野にも進学を考えていました。
中学の陸上競技大会にも出場させていただいたりと、運動することが大好きでした。

高校は運動部も文化部も活動が活発な学校で、吹奏楽もとても活発でした。
この部活がしたいから、この学校を選ぶという生徒も多かった印象をうけます。

僕は高校の説明会の際、
「わあ、なんて綺麗な体育館なんだろう、ここでバスケしたいな。」と思ったのが、進路を決めた理由の一つでした。笑

・「先生.....バスケがしたくないです。」

漫画スラムダンクの三井寿の名言と真逆の言葉が自分の口から出たことに衝撃を受けました。

小学生の頃から、バスケの練習も頑張っていたと思うのですが、吹奏楽部に転部する事を心に決め、当時の顧問の先生に自分の気持ちを話した際、残念ながらも快く背中を押してくれたことは今でも覚えています。

バスケからの吹奏楽、珍しいケースで先生も驚いていました。

この時の決断がこれからの人生に大きな影響を与えるなんて考えてもいませんでした。
背中を押してくれた先生方、相談に乗ってくれた友達や家族、多くの方々の支えがあって、自分なりに決断ができたのではないかと思います。本当に周りの環境に感謝です。

★吹奏楽学部時代

高一の終わりに吹奏楽を始めて、一番に苦労したことは楽譜を読むことでした。
リズムも読めなければ、音符もスラスラ読めない。毎日かなりストレスを感じていました。

しかし、どんどん演奏しなければならない曲は増えて行く一方で、正直とても焦っていました。

これまでの経験がない僕が周りのみんなと同じように演奏するには、本当にみんなの倍以上の練習の時間が必要だったと思います。

僕がチューバを始めて間もない頃に、主に意識していたことや練習していたことを少しまとめてみます。

部活の時間内のことと、それ以外の時間のこと、当時の事を思い出しながら書いて行きたいと思います。

部活動の練習
主に楽器を吹く時間が一日短くても2時間程はあったと思います。
合奏やパート練習の時間もあるので、平日で個人で練習できるのは限られた時間でした。

・パート練習や合奏
この時間が部活の中では一番多いです。僕が恵まれていたのは、周りの先輩や後輩、同級生たちが上手だったことです。
まず意識したことは、真似をする事でした。
楽器の運指も全然わからなかった僕は、周りの指遣いをよく真似したり、音色や吹き方も見よう見まねで真似をしていました。
自分がどうなりたいか、どう演奏したいかという目標を頭の中にきちんと作る事が大切だと実感しました。

基礎練習の仕方も曲の練習の仕方も先輩たちが行っている練習からどんどん真似したり、音楽室にある、教則本なども活用して、自分のウォーミングアップや練習を組み立てていっていたと思います。

・部活以外での時間
楽器を吹かない時の時間もとても大切だと感じています。
僕が吹奏楽を始めて、部活以外の時間で行っていたことは、たくさんの曲を聴くことでした。ありがたいことに、YouTubeなどでたくさん音源があったりと、とても恵まれた環境だったなと感じます。また、「バンドジャーナル」が音楽室にたくさんあって、チューバのワンポイントレッスンをたくさん読んだ記憶があります。

寝る前は、部活で演奏する曲の楽譜を読みながら、その曲を聴いて、イメージトレーニングのようなことをしていました。

前回の投稿で、演奏家を目指したきっかけなども少し話しましたが、もっと具体的な出来事もどんどんお話しできればと思います。

・初めて聴いたプロの演奏

僕は地元が沖縄なのですが、なんと沖縄に「パリ管弦楽団」の金管五重奏が来たことがあったんです!!!
こんな演奏ができるようなりたい、と思ったのも楽器を続けるきっかけの出来事です。

本当に本当に、すごくて(語彙力)笑
当時、チューバを始めたばかりの僕は、チューバに対するイメージがガラリと変わりました。
一瞬で、チューバのステファンラベリさんの大ファンになりました。
伴奏しかすることがないのかと感じていたチューバの印象はガラッと変わり、なんでもできる楽器なんじゃないかとチューバの可能性を初めて感じました。

この頃から、いつかはフランスに行ってみたいなと思い始めていたかもしれません。。

初めて聴くプロの演奏は、
音色はとても綺麗で、一人一人の音楽が混ざり合って、とても素敵なコンサートでした。
それ以降というものかなりモチベーションが上がり、毎日の練習もさらに楽しくなりました。

やはり生のコンサートはどんどん積極的に聴きに行って、リアルな演奏家の息遣い、音色、緊張感に触れることはとても大切なことだと思います。
これからもどんどんいろんなコンサートに足を運びたいです。

・受験に向けて

楽器始めたばかりの僕は、上手くなりたいとは思っても音大にいって音楽家になって、なんてまだまだ考えてもいませんでした。
どういうことを出来るようになったら良いか周りに相談した時に、「ソルフェージュ」という言葉を知りました。
父の紹介で、週に2〜3回レッスンに通い始めました。
楽典と新曲、聴音などを習い始め、ピアノもその頃から少しずつレッスンを受けました。
一年をかけてピアノは一曲を仕上げ、聴音や新曲などもなんとかレベルを少しずつあげることが出来たかと思います。(いまだに苦手)

あとは高校3年生の夏に、音楽大学の夏期講習があることを知り申し込んだり、いろいろな方のレッスンを積極的に受けたかと思います。
毎日目的を持って練習することはとても大変ですが、重要で出来なかったことができるようになることはとても楽しく感じていました。

高校生活は周りが大学入試に向けて、一丸となっているなかで、毎日楽器ばっかり吹いていて少し白い目で見られていたり、勉強も受験で使う教科しか本腰を入れてしていませんでした。が、今思うと、もっと国数英理社などの科目も勉強もしておけばなと若干後悔しています。

また、途中からチューバを始めて、突然「音大を受験します」といったときに、周りからかなり厳しい意見も言われたり、
自分のセンスの無さや練習の仕方にも悩んで、何度も心を折れたこともあります。

環境に恵まれ、いろいろ人な助けもあり続けて来れたことですが、今思うとやっぱり今自分のやりたいことを続けててよかったなと感じています。

この投稿で、こういう人もいるんだというのを知っていただき、もしこれから始める方、音大への進学を考える方、今進路について悩んでいる方々、さまざまな方面で少しでも参考になれば幸いです。
自分も、このように投稿をすることで初心に戻って、一つずつ丁寧にこれからもチューバと音楽と向き合って、プレイヤーを目指していけたらと思っています。

これからの投稿では、音大生活の話しやフランス留学のことなどについても、定期的にお話しができればと思います!!

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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