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四捨五入して四十になる前に軟骨ピアスをあけたはなし。

今年で35になる。
ついにここまできてしまった、とただ思う。
悪あがきという訳ではないけれど、何かやり残したことはないかと考えてみた。

多分たくさんあるのだろうが、実現可能なやつ。
それで達成感というか納得したいというか、若いときの思い出を美化しようという浅はかな考えだった。

ふと思いついたのがピアス。
わたしには右耳は自分で、左耳は他人にあけてもらうという変な決まりがあった。誰に言われた訳でもないのだけど、ファーストピアスをあけたときから自然とそうなった。左がうまくあけられなくて、妹にピアッサーの引き金をひいてもらったのが始まりだ。

その後左耳は付き合っていた彼氏にあけてもらったり、別れて塞いだりした。

軟骨は2度失敗している。どちらも右耳だったと思う。ひとつは意図せず軟骨を貫いてしまった。(本当は耳たぶに3つ目の穴をあけるつもりだった。)貫通はしたものの、ピアスホールが安定せずいつの間にか塞がってしまった。
もうひとつはちゃんと軟骨用のピアッサーを購入して挑んだ。ビビった結果貫通せず、ピアッサーも耳からとれなくなった。押しても引いても痛い。どうにも出来ずかなりの時間をその状態で過ごした。だんだん余裕もでてきて、宙ぶらりんになったピアッサーの写真を携帯で撮ったりしていた。どうやって取れたのだったか、もう覚えてはいない。

ふとそれを思い出して、ピアスをあけようと思いついた。もう大人になったから病院であけよう。(病院であけるのが大人な訳ではないが、当時は費用的な問題で病院であけるという選択肢がなかった。今思えばなんてことない金額なのだが、自分でピアッサーを買うほうが圧倒的に安いし、根性試し的な気合いもあったように思う。若さって莫迦だ。)

ひとつあければよかったのだけど、病院であけてもらうには右耳左耳の法則でいくと左耳になる。ひとつだけだと左右の個数バランスが悪くなるのだ。
なのでふたつあけることにした。

偶然にも失敗した個数と同じ数あけることになった。
思い出を清算している感じでけっこう良い。

わたしは、どうでもいいことに意味や理由をつけるのが好きなのだ。
ぜんぶ「やりたかったから」の一言で済ませられるのに。

思いついたのが5月のこと。なんとなくタイミングを逃し続け、10月の終わりにようやく病院の予約をとった。危うく実現しないまま35になるところだった。

久しぶりに電車に乗り、病院まで歩いた。
暫く履いていなかったドクターマーチン は埃をかぶっていた。急いで家を出てきたので気が付かなかった。
恥ずかしい。病院に着いたらトイレで汚れを払おうか、なんて考えていた。

病院に付いてからはあっという間で、待ち時間も殆どなくあっという間にぶっすり穴を開けられた。トイレに行っている時間はもちろんなかった。

汚れたドクターマーチン で診察室の椅子に座る。
病院だから麻酔でもするのかと思っていたが、位置を確認したらすぐにぶすりだった。痛い。

そりゃあ骨を貫くのだから痛いだろう。油断していた。ひとつ目の痛さを知ってしまったのでふたつ目がこわい。(最初、機械が入らない位置なので先生がニードルであけますとか言われたのでめちゃくちゃびびった。手の力で?絶対いたいやつ!その後なんとか機械が入ったので人力ニードルであけずにすんだ)

病院だから優しくしてくれると思った。冷たくされた訳じゃないし、先生も看護師さんもいい人だった。

ピアスは痛かった。

青春の清算は痛みをともなうのかと、ポエムっぽく考えた。とにかくスピード体験であっという間に終わってしまったのだった。

左耳にはずくずくした痛みと、達成感があった。
わたしたちは大小様々な体験を積み重ねて生きているが、大人になるにつれ新たな体験は減っていき、経験済みが増えていく。

今回軟骨にピアスをあけて得た経験値は、とにかく物凄く気持ちが良かった。初めてとか、新しいってこんな感じ。挑戦した自分が誇らしいとすら思った。
他の人がみたら本当に大したことない出来事なのだけど。

ひとりで買い物もできなかったこども時代、飛行機ではじめて帰省したとき母が泣いたこと。(まさかひとりで飛行機に乗れるとは思わなかったらしい。18のわたしはそれだけ心配されるくらい危うかった。)
そんなことを思い出しては、大人になったのだとしみじみ思った。


35の誕生日には、ちょっと良いピアスを買おう。




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