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「いま」を味わってる?

人はふたり集まると影響しあう生き物。




この優里さんの3年ぶりの路上ライブを見ると

ライブを観ているひとの優に50%以上がスマホで動画撮影している。

まあ、たまたまその場に居合わせた人たちで全員がファンじゃないということを考慮しても

動画撮影していれば

全身で音楽を味わうことはできない。

自分の目で見て

自分の耳で音楽を聴く

その濃度は圧倒的に薄くなる。


もし一対一で歌を歌ってもらったり

一対一でアドバイスやコンサルを受けているときに

スマホで動画撮影していたらちゃんと受け止められるだろうか?


会話を楽しもうと二人で飲みに行っても

相手が頻繁にスマホを見ていたら

当然こちらの気は盛り上がらない。


少なくても双方向のコミニケーションになりにくいし

カラダが参加した双方向コミュニケーションには全然ならない。

エネルギー循環が起こらないからね。

音楽を全身で味わえば喜びがカラダから発せられて

その喜びのエネルギーが演者に流れ込んでいく。


コロナ禍で無観客のサッカーの試合。

バルセロナの本拠地のカンプノウスタジアム。

15万人の観客が見ているのと

無観客ではプレイしていて高揚感がまるで違ってしまって

味気ないと選手が漏らしていた。

「いま」行われているゲームに熱狂している観客がもたらしていた気の感応。

意識していなくてもエネルギー循環が発生していたわけ。


音楽を聴きながら恋人の手を握っているのと

手から恋人を感じて握っているのでは

伝わりあうものが違ってしまう。


パートナーにふれているときに

普通に触れるのと

目を閉じて視覚を閉じて触れるのでは

手で感じとれる触感の豊かさが俄然違ってくる。


スマホを見ながら子供をあやしてみると

子供にしてみたら全然ママの気で満たされないので

その行為の中身は全然あやしていないってことになる。

だから子供は満たされない。


カラダごと向き合うコミニケーションでは

「いま」目の前の人を味わっているかどうかが

ふたりの間で発生する気の感応の濃度を決定してしまう。



※味わって号泣してしまう




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