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それは、自分と外とのあいだにある。

これは、阿部広太郎さん主宰の「企画で飯を食っていく2023」、企画メシ2023についてのnoteです。
ジャーナルライティングとして、講義で感じたこと、考えたことをここに書き留めます。

第6回の今回は、脚本の企画。
今回の講師は政池洋佑さん。脚本家、知らない世界の話だったけれど、調べれば調べるほど興味が湧いてくる、そんな世界だった。

今回は、講義の中で印象に残っていることや考えたことについて書いていこうと思う。

「才能はないけど、唯一ある武器はなんだろう。」

才能という言葉を久しぶりに聴いて、背筋が伸びる感覚があった。緊張のような、それ。原因は、親に何度も言われていた「その仕事は、特別な才能がないとできないよ」という私を諭すための過去の言葉だった。
私は、「才能」という言葉が昔から好きじゃなかった。きっとそれは、自分にはそんなものがないと思っていたからなのだと思う。

そんな中で言われた「才能はないけど、唯一ある武器はなんだろう。」。あれから5日ほど、考えてみたが、私にはどこまで行っても言葉しかなかった。言葉にはまっすぐでいたいと思うこの姿勢と感度だと思った。

私は、ずっと言葉が好きだった。小学生の頃は、日本語の音や文法の心地よさが好きで、一回やればいい音読の宿題を何時間もやっていた。物語や論説文には飽きたらず、俳句や短歌まで音読していた。小学5年生からはとにかく文章を書くのが好きになって、大学では言語学を学んだ。私の人生は、ずっと言葉がそばにあった。誰かに劣ることはあるかもしれない。それでも、私が唯一持っているとしたらこれだと思う。

自分が行かない世界

講義の中で、億劫な飲み会ほど行った方がいいという話があった。億劫だと思う飲み会というものは、自分が行かない世界であり、だからこそ出会いがあるのだという。

なるほど、と思った。
心当たりがあったから、なるほどと思った。

私は、社会人になってから飲み会について決めていることがあって、「飲んだことない人とは、一度は必ず飲む」の2つ。もともと、第六感が冴えている私は、「この人合わないな」と思った人とは必ずと言っていいほど合わない。けど、私の「合わないな」という感覚はあくまで“私とは”合わないなということであり、それは私にない考えであったり、私の考えも到底及ばないバックグラウンドを持っている人だったりする。実際、初めましての飲み会でも、性格は合わないからこそ「そんな考え方あるのかよ…」と全然知らない世界があることを知ったりした。

「合わない」は決して悪いことではなくて、自分の考えも及ばない世界に連れ出してくれるきっかけであり、自分という存在や自分の持つ考え方を改めて認識するきっかけになるものなのだと思う。

自分と外とのあいだ

講義を聴き終わって、5日間ずっと考えて思ったことは、「自分と外とのあいだ」が大切なんじゃないかということ。

学生の頃取っていた授業(たしか哲学の授業だったと思うが)で、利己的と利他的は切り離せないというような話を聞いた記憶がある。自己を意識するということは、他者を意識しているからこそ発生することであり、逆もまた然り(という話だったと思う)。

才能がないと気がつくのは、きっと外と接触を繰り返しといく中で気がつくことであり、一人で部屋に閉じこもっていては気がつかない。自分が行かない世界に行って、はじめて気がつく自分のこと、知らなかった世界。そして、何度も講義の中で出てきた面白いの基準についても、溢れている「面白い」ものとそれを「面白い」と感じた自分とを行き来することで得られるものだと思う。

自分を見つめる。それと同じくらい、外を見つめる。そして、それを何度も何度も繰り返して、自身や自信の抱く感情や周囲に対する認識を、漠たるものから確たるものにしていく。それが何に対してもきっと大切で、私の言葉をもっと強くするような気がした。

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企画メシ6回目。
半年ってこんなに短いのかと驚いています。
長いような短いような、そんな気がしています。
今回の講義は、「面白い」という感情へのフォーカスがあったからこそ難しく、自分の中の感情への感度や感覚をもっと研ぎ澄ませる必要を感じたそんな回でした。
残りあと1回です。

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