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タラヨウ

 小説家、青山美智子さんの作品に「猫のお告げは樹の下で」という作品がある。

 僕の大好きなこの作品は、悩める主人公達がとある神社で猫のミクジとタラヨウの葉に書かれた言葉によって導かれ、抱えた悩みを解決していく温かい連作短編集だ。

 タラヨウの葉はハガキの木とも呼ばれ、ひっかくと文字が残る。何十年も保存がきくし、切手を貼って郵送することもできる。

 そんな大好きな作品に出てくるタラヨウの葉が欲しくて、僕はある日タラヨウの樹が植わっているお寺に向かった。片想いしている人を誘って。

 そのお寺は山のふもとにあり、公共交通機関で行くには向いてない。あいにく僕は車を持ってなく、僕は車持ちのその子に連れて行ってもらった。

 車内で二人。胸の鼓動はいつもよりはやくなる。車内には彼女が好きなビートルズが流れている。

 ほのかに香る気まずさは一層僕の心臓を刺激した。仕事の話をしたり、彼女の車の話をしたりした。彼女は古いマニュアル車に乗っている。車も運転する彼女も渋くて最高にカッコよかった。車好きになったのは父親と元カレの影響らしい。聞きたくないことを聞いて、僕はまた知らない何かと自分を比べては失望した。

 1時間くらい車を走らせるとお寺に着いた。僕のわがままに付き合わされた彼女はさほど興奮はしていない。

 壮観なお寺の楼門を抜けるとすぐ、2本の大きなイチョウがそびえ立っていた。楼門の外から見るとくすみがかった古い木の色と、新緑の緑が見事なコントラストを成していて、そのパッと明るい緑と連動して僕の心もパッと明るくなった。そして門の下には好きな人が立っていた。紺色のワンピースを着て髪をひとつに結えている。お寺とイチョウと人が見事に調和していて、僕はしばらく見惚れていた。

 タラヨウの樹はどうやらもう少し奥にあるらしい。矢印に向かって進むと、大きなタラヨウの樹が植っていた。人の手の届く葉っぱの裏にはやはり多くの人が文字を記している。「お金持ちになりたい」「サッカー選手になれますように」「〇〇大学に受かりますように」僕は「母の病気が治りますように」と書かれた誰かの切なる願いが記された葉っぱの隣に、自分の名前を書いた。もっと他に書くことがあったのではないかと後悔した。例えば「付き合えますように」とか。

 彼女の方はというと、葉っぱを一枚摘み、ヘアピンで何かを書いていた。見ると「山路を登りながら」と書いてある。夏目漱石の草枕の冒頭だが、聞くと画像編集ソフトウェアで文字入力の際に出てくるらしい。そういうことを書くところが僕との熱量の違いを表してるような気がして、自分もたいそうなことを書かなくてよかったと思った。

 僕ら2人はタラヨウの葉を何枚か持ち帰った。帰りの車内で僕はこっそり「今日はありがとう」と書いた葉を忍ばせた。
 僕は帰ってから、本当に書きたかったことを書いてやろうと思った。

 しばらく考えてから、スピッツの日なたの窓に憧れての歌詞を書いた。

"君が世界だと気付いた日から"

 次の日、タラヨウの葉はほとんどが茶色く変色した。書いた文字などほとんど見えなくなっている。
 

 残っているのは寺に植わっているタラヨウの葉に記された僕の名前だけだ。

 僕が好きな人とここに来たという証明とほのかな甘い記憶がここには漂っている。

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