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集団行動、求める個性

こんにちは、Hi_Kickです。
とにかく人と同じ事が嫌いなひとりっ子です。

でもでも、人と違うと少し不安になる。
よく分からない矛盾の中で生きております。

何故こんな矛盾が生まれているか、どうやったら矛盾が解消できるか、
まだまだ道半ばですが思いを書きたいと思います。

そもそもの個性化風潮

も〜ともと特別なオ〜ンリーワ〜ン、あたりからでしょうか。
近年ではサッカー:個の力。個性を求める時代になり、しばらく経ちます。

大車輪を回していれば経済発展が進んでいた時代の終わりが、個性化の起源の様に思います。

齢35になる私は、この個性化の流れの初期に属しているのでしょうか。
服や文房具や、人と被ると揶揄われる環境で育ちました。

社会に出て、課長が持つ時計は皆スピードマスター。
反骨心から平社員にも関わらずボーナス全てつぎ込んでシーマスターを買い、生意気だと怒られ、ダサいとヤジられた記憶があります。

現在40歳くらいの方は集団化、35歳くらいの方は個性化の走り、30歳くらいの方は個性化の風潮の中で育ってきている事かと思います。

その矛盾を生むメカニズムとは

では30歳くらいの方は集団化⇔個性化の矛盾を感じていないのか?というと、恐らく世代を問わず感じている事かと思います。

結論からざっくり言ってしまえば、
ハード(学校、会社、ルールなど)=旧来、集団化を前提としたつくり
ソフト(スキル、思想、文化など)=個性化を促進する流れ

先ほど挙げた個性化の流れを表すものは、スキルや思想と言ったソフト面に関すること。対するハードは何か変わったのでしょうか。

ハードも少しずつ変わっている、大学受験の形式が変わったり、会社でもコロナもありリモートワークへの移行が進んでいる。

急速に進むソフト面の個性化と、遅々としゆっくり進むハードの個性化。
この変化の速度Gapが矛盾を引き起こしていることかと思う。

「独立開業、時間や場所に縛られずにHappyになろうよ。」
この言葉が魅力的に見える反面、不安感が残るのは、まだまだ集団化を是とするインフラで育ってきたからこそ。
ハードはすぐに変われない、そう考えると後の数十年は同じことが続きそうです。

どうやったら矛盾が解消できるか

学校や会社、ルールがダメと言ってもあまり意味がない。
これはこれで前提として立ち振る舞うしかないのかなと。。

であるならば、何をすべきか?
ハードへの依存度を減らす、これに限ると思います。

ハードとして、学校、会社、ルールなどを挙げましたが、本来は”自分”というものを正しく動かす為に存在するものです。

それがいつしか、ハードの方が重要あり、”自分”を殺す事が是となる状態を”集団化”と呼ぶことが出来るのかなと思います。
(ある種、ハードが育ちすぎると、それ自体が目的化してしまう)

「ハードへの依存度を減らす」を柔らかく書くとこんな感じ、
・会社に行く為に生きてるのでなく、あくまで飯食う為の手段
・学校は教育されに行くのでなく、知識を習得しに行く場所
・ルールは行動を制限するものでなく、行動の範囲を許可するもの

精神論の様な話ですが、行動の選択肢が常に自分にあることを意識することでハードからの依存を脱却できる一歩になると思っております。

心に矛盾がある状態=モヤモヤとして動き出せない状態
矛盾がない状態=良いも悪いを受け入れて行動できる状態

実態として、ハード面の遅れから受ける不利益も多々あります。
会社員の方が優遇される各種制度、根強い学歴バイアス等々。
良くも悪くも現代のハードを理解して、行動を取捨選択することが求められる時代だなと感じます。

私もお勤めリーマンをしながら、ハードとの決別に向けて組み立てを行っているところです。。(いつか改めて記事にしたいと思います)

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