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グローバル化がもたらした世界全体の画一化                #自分ごと化対談(小説家 平野啓一郎氏)≪Chapter3≫

※本記事は、YouTubeで公開している自分ごと化対談【『生活実感から、市民社会をどう作るのか』】について、Chapterごとに書き起こし(一部編集)したものです。

日本人は、何のために企業で働くのか  

 <平野>
僕は、日本人に“市民的な公共性”というものが欠落している理由には、“企業”というものが入り込んでいたことがあると思います。企業というのが1つのコミュニティになっていたため、個人の「利己的な生」の対極が、国家のためではなく、「会社のために頑張る」という時代がかなり長く続いたと思うんです。

 ところが、企業のために働くということが公共的なことなのかどうかという疑問があります。労使関係もありますし、格差が拡大していくと企業のために頑張って働いても、経営者の懐をあたためているだけで社会のためになっているという感じがしない。社会のためになっているという感じがしないと、いくら働いても自己肯定感には結びついてこないわけです。「自分のやっていることのお蔭で社会がこれだけ良くなった」ということを感じられれば、労働が公共性につながり、それがまた、自己肯定感につながっていくという循環になるはずです。

しかし、何処まで働いても経営者や株主の利益にしかならないし、そのおかげで社会からはしばしば恨まれることもある。大きな企業が金儲けばっかりしやがって、というような。そうすると、そういう会社で働いているということに肯定感が持てないという悪い循環になってしまう。

 このように“市民的な公共権”が企業によってすっぽり覆い尽くされてしまっている中で、利己的ではない公共性にアクセスしようとすると、経営者や株主にはアクセスしづらいから、いきなり国家の次元まで飛躍してしまうというようなことが、ずっと起こってきたのではないでしょうか。だから、企業がSDGsとか気にしだして、社会のためになることをしなくてはという風潮になってきていることは、良い変化だとは思います。

 <加藤>
企業自体が随分変わってきていますよね。ある時期までは、企業に属していることが重要なコミュニティでした。そのコミュニティが、構成員である社員の家族を含めて面倒を見るということで、それはそれで、ちょっとした良い仕組だったんでしょうね。

 それから、だんだん自由化が進んで、世界と競争しはじめると、日本の企業の強みに対して、外から来た世界のルールでやれよとなった時に、日本の企業のコミュニティとしての仕組を変えざるを得なくなっていくわけですよね。もっと株主に利益を出せとか、社員の家族よりは株主だろうとかいう資本主義の中で生き残ろうと思ったら、今度は一般社員のことが後回しになった。そういう中で格差とか、分断とかという別の問題が出てきます。

 そうなってくると、パブリックの問題というのは、企業の中ではまったく解決できなくなりますよね。世の中の変化、世界の中の日本という変化、それと個人とパブリックというものの関係性というものが、全部がバラバラになってきたということかもしれないですね。

 <平野>
この15年くらいで経験してきたことの1つを挙げると、例えば、企業のサービスに関して困っていることがあると、それを日本法人にクレーム言っても「本社がそう言っていますから」と一切取り合ってくれないケースが沢山有ります。しかも、本当に本社の人たちがそのことを問題と感じないかというのは分からない。

本社に直接どうにかしてくれと言えば、びっくりして対処するのかもしれないですけど、結局わからない中で、日本法人自体がサボタージュみたいにしていて、何言っても「本社で決まっていることですから」とつっぱねるみたいなことが、ずっと起きてしまっている。

 そうなると、やっぱり日本のなかでの公共性、こうあるべきみたいなことが、日本の生活インフラへ密接に関わっている外資系企業との間で調整しようとしても、上手くいかないということが起きている。

 これはもっと具体的な例ですけど、ファッションブランドで、フランスのヴォーグとかだと、ブランドがランウェイとかで提示しているファッションを雑誌に載せることはしない。スタイリストが必ず、色々なブランドのものを自分のセンスで合わせてページを創るんですよね。そうしないと、スタイリストの意味がないから。

ところが、同じことを日本でやろうとすると、ブランド側が「それは困ります」と言って、必ずランウェイと同じファッションの写真しか使わせてくれなかったりする。それにクレームを言おうとしても、結局同じことで、いや本社の側からダメって言われています、と言う。

 そうするとスタイリストという人たちの仕事は「どこかから上手に服を借りてくる」以上の仕事にならなくて、色々なブランドの服を組み合わせて自分だけのスタイリングを創ることにならないんです。結果、そういうことも編集者自身が行うようになると、「スタイリストに頼まなくて良い」という話になります。

だから日本の企業も、グローバル企業とローカルな現実の中で、個人とはどういう風に関係を結んでいくかといったときには、その問題を解決しないとすごく不自由を強いられる、無理を強いられることがある気がします。

 グローバル化の功罪を考える

 <加藤>
今の話の流れから「グローバル化」ということを考えたいと思います。最近、グローバリゼーションの問題というのもよく言われますよね。これについては、どうお考えですか。

 <平野>
僕は、Amazonにしたって、マイクロソフトにしたって、アップルにしたって、彼らが成し遂げたことが、一人ひとりの人間に非常に多くの可能性を与えたということは、否定できないと思います。一方的にそれを否定するという議論には、僕は与(くみ)できないですね。ただ、彼らの個人情報の扱いや個々の振る舞いで、あるいは労働者の扱いで是正すべきだと思うことは沢山ありますし、いろんな議論が有ります。

 格差がこれだけ世界的に開いているんだから、資本主義も、グローバリズムも、失敗しているのではないかという意見は、ある意味その通りだと思います。ですが、グローバリズムを否定して、ローカリズムにもう一回戻っていくことが、解決になるとはまったく思わないですね。

一定程度の生活水準の向上に、グローバリズムというものが資する面はあったとは思います。ただ、現状のままで良いとは思えないので、それは是正しなくてはいけないと思いますけど。

システム論的なレイヤーに例えていうと、グローバル企業の国際レベルのレイヤーがあって、その下に国家権力のレイヤーがあって、市民社会のレイヤーがあると思いますけど、まずは国家権力のレイヤーでちゃんと徴税をする、税金をちゃんととるというようなことから正常化をしていく、ということだと思います。そこをどうにかしない限りは、ほかのところでいくらやったって、現状はなかなか変わっていかないんじゃないかなという風に思います。

 <加藤>
グローバル化は否定してもしょうがないし、否定できない。ただ、人間というのはやっぱり生き物ですから、生き物の想像できる範囲とか、行動の範囲というのは、いくらインターネットで世界中とやり取りができて、物をどこへでも持っていくことができるとしても、生き物の限界というものがどこかにあるんじゃないか。ですから、グローバル化を考えるうえでは、そういうことをどう嵌め込んでいくかということじゃないかと思うんですけどね。

 <平野>
例えば、インターネットとかって、グローバルネットワークですから、本人がその気になればブラジルとかアフリカの人とも常にやりとりしながら生きていく、ということもできます。けれど、そのグローバルネットワークのなかで、特にどの部分を自分の生活として、役立てながら生きていくかということは、個々人に委ねられていると思うんです。

地方再生とか、東京一極集中を解消して、みんながもうちょっと色んなところに住むようになった方がいいんじゃないか、ということをや実現するときに、僕はインターネット抜きにその問題は絶対解決できないと思います。だから、「インターネットが有るから地方に住む」という選択肢ができることは非常に大きい。地方に住んで、実際に使うインターネットのコミュニケーションは東京とその地方とかの限られたエリアかもしれないし、ブラジルや中国の人とインターネットでやり取りをするような規模で、ネットワークを駆使するかどうかはわからない。

でも、やっぱり地方に住む、あるいはCO2排出量を下げるためになるべく移動をなくそうとする時代に、飛行機に乗るんだったらインターネットで済ませよう、みたいなことがないと、なかなか難しいのかな、とは思います。

 <加藤>
グローバル化の問題というと、格差とか分断、あるいはIT企業の仕事の仕方という問題があって、それらとセットで、SDGs、人権、あるいは環境問題というのが話題になっています。

あんまり話題にされないですが、実は一番大事じゃないかというのは、グローバル化の結果としての“地球全体の画一化”じゃないかと思うんです。言葉の数は減っているし、生活パターンは似てきているし、食べ物にしても、どこでも何でも食べられるわけです。

本にも書いたんですけども、日本なんかはものすごく画一化してきています。しかし、メディアで言われるのは「多様化」、すごい多様化しているといわれています。確かにコンビニの品揃えを見ても、すごく多様ですよね。

 けれども、多様化しているのは一人の個人を見た場合であって、個人が集まった世の中見ていると、すごく画一的になっている。世界中が同じものを食べ、同じものを見、同じものを聞き、同じようなものを着て、同じようなところに住んで、ということが出来るわけですから。だから、個人個人の多様化というのは、世界全体で、人間という生き物としてみると“画一化”で、このことはサステナブルと逆のことだと思うんですけどね。そういうことが、もうちょっと議論されないといけないんじゃないのかと思います。 

私たちは本当にコミュニケーションを望んでいるのかー渇望感と面倒臭さ   

<平野>
問題の1つは、コスト意識、コストそのものだと思うんですよね。

大量生産というのは、勿論コストダウンできるので、それが画一化を生みました。そこから、例えばプロダクツとか3Dプリンタとか出来てきて、「画一的なものからより多様なものへ」というひとつの流れが出来ようとしているという意味では、「多様化してきている」と言えるかもしれない。

 けれど、あえてアイロニカルに「コスト」という言い方しますが、個人が画一化されればされるほど、コミュニケーションコストというのは下がるんですね。政府にとってガバナンスという観点から言うと、みんなイデオロギー的に統一されている方が、ガバナンスのコストというのは下がるわけです。だから、学校の先生が体罰をふるいながら管理教育していたことも、生徒のためとか、愛情をもってとかではなくて、教室のガバナンスのコストを下げるためにやっていたとしか思えないんですよね。

個別の生徒に対応しようとすると、それだけコミュニケーションのコストは高くなるから、みんな「叩かれるのが怖いからビシッとしている」なら、それだけコミュニケーションコストは下がるわけです。

 そういう意味でも、僕は管理教育とか、体罰とかを非常に良くないことだと思います。だけど、今起きていることは、人が増えて、色んな人が居るわけだから、それぞれの事情に応じたコミュニケーションをしなきゃいけない。その事自体は、非常に正しいことだと思いますけど、あえて「自分ごと化」という言葉をそこに当て嵌めると、やっぱり一人ひとりのコミュニケーションのコストは、上がらざるを得ないんですよね。

例えばジェンダーについて、男か女か二種類しかない前提で振る舞うことよりも、もっと多様であって、一人一人に配慮しないといけないとなれば、その分慎重になったり、気遣いをしたりしなくてはいけない。接し方を変えなくてはいけないという場面が増えてくるわけですね。そうしたときに、そのコミュニケーションコストが増えてきた中で、個人がそのことをどう感じるのか、そして社会がそれを吸収できるシステムになっていくのか、ということが、この先の政治的課題のなかで、すごく大きいことだと僕は思います。

 コミュニケーションコストを圧縮するための技術の1つとしては、教育等を通じて“人間の画一化”ということがあった。もう1つ、資本主義、あるいは貨幣による経済というのは、コミュニケーションコストをものすごく下げたと思うんですね。つまり、お金さえ払えば、相手がどんな人であれ、どう思っていようと、売買という一応のコミュニケーションが成り立つ。

 だけど、それは加藤さんの本を読んで、改めて考えさせられたことですけど、「多くの民主主義を再起動しよう」とか、あるいは「世の中にもっと多様性を増やそう」という発想が出た時に、多くの主張の中でモデルになっている個人というのが、「非常にコストが高くなったコミュニケーションを十全にこなせるような人物」なんですね。だから、いろいろな人に、いろいろな配慮が出来る。

 コストが高いコミュニケーションは出来るべきですが、これまではお金任せ、人任せにしていたものを住民が自治をするとなると、自分でしなければなりません。まず時間的なコストもかかるし、その時間の中で、意見の対立する住民とコミュニケーションを交わしていかないといけない。これは非常に、端的に言うと疲れることでもありますよね。マンションの管理組合の話し合いだけでアップアップ言っていることを、住民が自治でやるとなるとコミュニケーションを相当頑張らないといけない。

そうなったときに、まず考えなければならないことは、コミュニケーションのコストに見合う“時間”を本当にみんなが確保できるような社会になっているのか。それが出来ないまま、コミュニケーションコストだけ高くなっていくと、絶対みんな続かないですよね。サステナブルじゃない。だから、住民自治の割合を増やしていこうとするのであれば、まず労働時間を相当削減しないと、みんなそのことのために時間を割けないと思うんです。

 それから、もう1つは、僕たちは本当にそんなにコミュニケーションしたいのかという、人間の根本的な問題もあると思うんですね。例えば、コンビニに行くと人間同士のコミュニケーションがまったくなくて、特に日本のコンビニなんか、10年間おんなじ店員と顔あわせていても、一回もプライベートの話をしたことないというのが普通にあります。けど、フランスなどでは、近所のカフェとかに一週間も通えば、ちょっと世間話をするぐらいの関係になる。日本でも昔の商店街で魚屋さんから魚を買うときには、ちょっと人間的なやりとりがあって、買い物していたのに、現代のスーパーではそういうのが一切無い。

 そういう文脈の時には、人間的なコミュニケーションがあった時代が素晴らしい、あるいは、ある文化が良いなあという風に語られがちで、そこには一面の真理があり、僕はそれを完全に否定するわけではありません。

 一方で、コミュニケーションをあまり交わしたくないというのも、人間のひとつの真実なんじゃないかと思うんですね。あるいは、色んなコンディションで生きている人が居ますよね。コミュニケーションがすごく苦手だとか、コミュニケーションを日常的に交わしているとちょっとパニックになってしまうとか。

そういう人にとっては、無言でお金だけ渡せば、あるいは電子マネーでピッとやれば、余計なコミュニケーションで心をざわつかせることなく、生活できるということも、ある側面では良い仕組ではあって、貨幣、お金というものは、それを実現してきた。

 ですから僕は、多様性に配慮した社会になっていくべきだってことには完全に同意しつつ、それがサステナブルであるためには、“べきだ”ということを無理強いするようなシステムを作ると、どこかで酷いバッククラッシュが起きると思います。

「何でそんな人たちのことを俺たちがいちいちケアしなきゃいけないんだ」「公共の場所だったら本人がちょっとくらい我慢しろ」みたいな、乱暴なバッククラッシュを起こさないためには、いかに無理なくコミュニケーションコストを増やし、その分、やや負担が大きくなっていくことを受け入れられるようになるか、ということを考えていかないといけない。

 このことをどういう風に考えていくのが良いのかなと、個人的に興味があって、加藤さんの本の「貨幣依存度を下げる」というお話のところでも凄く納得して、シェアリングとか僕もすごく良いことだと思いつつ、現実的には、シェアリングというのは、企業ベースであれ、町のご近所さんベースであれ、上手くシェアリング生活ができる人は、ある一定のコミュニケーション能力の高い人たちなんじゃないかなという気がしているんです。

 <加藤>
そこは凄く大事で面白いところですよね。そんな本書いておきながら、半分は、平野さんに同意するんです。

自分でもそうですけどね、相手とか自分の気分が良い時じゃないと、話すことは面倒くさいんですね。コンビニで誰にも話さずに用が済むことは楽なんですよね。

多様なコミュニケーションをとることは、個人にすごく不可を課す。しかし、言葉を交わさずに、スムーズにいくということは、実はものすごい社会的コストをかけているわけです。銀行のシステムが一部でも止まったら、全部止まるわけですよ。

しかも日本というのは、そういうものに対してすごく几帳面で生真面目で、すごく高いレベルを求めます。1分停電することも許さないですから。だから、例えば停電はしてはいけないものになっている。そういうコストは、日本は世界一高いわけですよね。システム維持されていて初めて、個人個人がバラバラに勝手に生活できるんです。

 「日本はシステムのコストがものすごく高い」ということをどうするのか、という問題もある。ところが、システムのコストなんか見えてないんですよ。無料(ただ)だと思っている。なんかあったら文句を言えばいいと思っているという問題があります。

 それからもう1つは、小さい町に行って、「自分ごと化会議」をやる。そうすると、終わったら必ず泣く人がいるんです。半年間で5、6回議論した、最初はまったく見ず知らずの人達ですよ。ところが、アンケートをとると「すごく楽しかった。」「こんなに自分の町のことを考えたことなかった。」「これで止めたくない。」と言うんですよ。そこで強い“繋がり”とか“絆”みたいなのができるんですよね。楽しかったというのがね、すごく可能性を感じさせてくれるなあと。

 人間というのは「なるべく鬱陶しくしたくないなあと」いう面もありますが、自分ごと化会議ではみんなが同じ意見になったというわけじゃ無いんですよ。みんな意見が違う、バラバラ、でも、「あいつこんなこと考えているんだ」ということを含めて、すごく楽しかったと言ってくれる。それでみんなが“自分の町”という、違う目からそこを見ているという感覚を共有出来た、というのが、人にはある。

 そこがね、やっぱり大事だと思うんですよね。

 過去の自分ごと化対談はこちら

・第一弾 JT生命誌研究館名誉館長・中村桂子氏 
・第二弾 プロ登山家・竹内洋岳氏
・第三弾 小説家・平野啓一郎氏 
https://www.youtube.com/playlist?list=PL1kGdP-fDk3-GPkMkQsCiYupO4L9rS3fQ

 

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