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「君の唄が聴こえる#4」

「約束」


リビングにあるテレビは、私の両手を広げたよりも大きい。
彼がテレビを見ているところを、見たことがない。
大抵はソファに寝転がって、るんばをあやしている。
この家に彼の部屋はあるけれど、なぜかいつもここにいる。

私もいつの間にか、自分の部屋(と私が勝手に使っているだけ)へ戻るよりも、夕食の後はここにいることが多くなった。
なにせ部屋に戻っても彼が猫たちを連れて勝手に入って来るし、それにあの部屋ではなぜか私とソファの間が彼の定位置になっているという、よく分からない現象が起こるのだ。

それよりは、ここにいた方がいい。
部屋で彼を待っていると思われたくないし。
仕事は昼間やることにしたし。

とはいえ、テレビを勝手につけることもためらわれ、かといって何もすることがないのは手持ち無沙汰だ。

るんばは常に彼が独り占めしているし、タンゴは彼の足下が定位置なのだ。
私はコの字型のソファのこちら側で独りぽつんと座っているしかない。

そういうわけで、真夏のクソ暑いこの時期に私は季節外れの編み物を始めた。
そんなものくらいしか手元になかったのと、そんなことくらいしか暇つぶしの材料がなかったのだ。

何を編んでいるわけでもなかった。ただ何かをしていることをすることだけが目的だった。
持っていた赤い毛糸玉にタンゴがじゃれてくれるという期待はすぐに失せたし、ガーター編み以外に技を繰り出そうという気にも一切ならなかった。

編み目の数なんかどうでもよかったし、毛糸の色だって赤一色でよかった。
毛糸玉がなくなれば終わりだったし、それが何の途中にもなる予定はなかった。

それなのに、

「俺もやりたい」

なんて彼が言い出すもんだから、ただの暇つぶしに意味ができてしまった。

「しましまにしようよ」

「両端から編んで後でくっつけよう」

「もっと大きいのをつくろう」

何を作っているか聞きもしないで、何の大きい物を作ろうというのか。

私は編み棒を掴んだまましばらく固まっていた。

どういうわけか、彼と毛糸を買いに行くことになってしまったからだ。
このクソ暑い時期にどこに毛糸玉が売っているというのか。
店員さんに笑われるのがオチだ。

それどころか、彼と外を出歩くことを私は断固禁止としていたのに。
あの悪夢のような買い出しの日から。

これだから長身のイケメンなんて連れて歩くもんじゃない。
後悔してもしきれなかった。
浮かれていた自分が恥ずかしくて仕方なかった。

それなのに、

「ランチに行きたいとこあるんだ」

そんなかわいい笑顔で誘われて断れる女がいるというのか。

きっと、いや必ず、後悔する。
また私は過ちを侵そうとしている。

それなのに、拒否できなかった。

手芸コーナーで彼がうれしそうにはしゃぐ姿を見てみたいと思ってしまった。
いろんな道具にいろんな毛糸、いろんな作品の見本が並ぶ店頭で、彼に見惚れるおばさまたちのふわふわした視線を楽しみたくなってしまった。

彼女たちは何を作るか決めてもいないのに材料を買いに来た私たちをきっと笑うだろう。
けれどそんなことですら想像するだけでうれしくなってしまったのだ。


「よかった、うれしそうだね」

「・・!」

いつの間に隣に座っていた彼の笑顔がそこにあった。

「・・?!っ・・は?は?何が?な、な何がっ・・」

「ふふん」

うれしそうなのはそっちじゃないか。
なにがそんなにうれしいのか。


私をほったらかしてるんばを片手に彼はリビングを出て行った。

タンゴはソファの上から眠たそうにこちらを見据えている。

彼女は私のすがりたい気持ちは受け付けないといった表情をしてから目を閉じた。


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