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「君の唄が聴こえる#5」

「寝起きの端の夕暮れ」


聞いてない。
聞いてない。

聞いてない。


朝活だーとか言って、こんなこじゃれた街に繰り出して来た、
この人の朝イチのテンションにあきれながらも、
でも、

来なきゃよかった。

やっぱり来るんじゃなかった。

1時間前の私に警告したい。

せめて30分前の私の首根っこを掴んで、

いっそ15分前の私を羽交い締めにしてーーー


「すごく険しい顔してるけど、怒ってるわけじゃないから」

彼は隣に座るその人に、TKGを頬張りながら言った。
どこそこの有名な卵を乗せた、どこそこの有名な白米。
どこだかの有名な貴重な醤油がかかってるらしい。

彼の言葉になんの反応も見せずに、その人はお味噌汁に口を付けた。


なんなんだろう、この並びは。

右に私の大好きな顔、左には「100万人いたら100万人全員がイケメンと認める顔面」。
妖精の粉を身に纏った二人の2次元画像。

その前に座るリアルな私(凡人の中の凡人)。

そして、

この二人が放つ眩しすぎるキラキラキュンキュンオーラに触発された、店内の全ての女子Sの、バラエティに富んだ視線の数々。

そして、
隠そうともしない、私への負の感情。


こじゃれた街の、こじゃれたカフェで、こじゃれたTKG定食を食べ続ける。
この二人、いったいどういう関係なのか未だに謎。

でも聞けない。

聞けないし、そもそも話しかけることすら不可能だ。

さっき彼がぽつりとつぶやいた言葉にさえ、女子Sの俊敏な反応の波が起きたのだ。

こんな状況でよくそんな美味そうにホッケを頬張れるもんだ。

こんな浮き足だった雰囲気の中で、よくそんな平然と大豆の煮物をつまめるもんだ。

イケメンは箸の使い方も上手いんだな。


それにしても、
聞いてない。

この人が来るなんて聞いてない。

こんなことになるなんて聞いてない。


でも、悪いのは自分だ。

この間、買い出しに行ったとき嫌というほど分かったはずなのに。
彼と外出したらろくなことにならないって。
それなのに、”朝活”というワードにワクワクしてしまった。
こじゃれた街の名前にドキドキしてしまった。
彼と出かけることにウキウキしてしまった。
全部私の愚かさ故の罰なのだ。

「食べたいの?」

「っ・・!!」

ぼんやりしていたらいつの間に目の前の人に見とれていた。

「これ食べていいよ」

差し出されたのは昆布巻きだった。

いや、私昆布苦手だし。
苦手っていうか嫌いだし。
おぇってなるし。

「・・!!」

律儀に新しい箸を出し、昆布巻きをつまんで私の前に差し出す、
その信じられないくらい澄んだ真っ黒い瞳に、
私は再び吸い込まれそうになっていた。


だから

うっかり口を開けて

うっかり大嫌いな昆布を口に入れてしまったのだ。

「ぅおぇっ・・!!」

もちろんおえってなった。
なったら、
その白い美しい手指が私の口元にすぅ・・っと差し出され、

「出していいよ」

なんて、その美しすぎる瞳が私をじっと見つめるものだから、

判断能力が鈍るのも無理はなかった。

頭が真っ白になっても仕方なかった。

口の神経がバカになっても

私が私でなくなったのも


あんな失態を犯してしまったことも

全部、

全部ーーー


気づいたら、私はその人の手に一度口に入れた昆布を出していた。


「!!!」


アトノマツリとはまさにこのことだった。


バカみたいに昆布を差し出され、バカみたいに口を開け、
バカみたいに嗚咽して、バカみたいに口から出した。


ナニコレ?


恐らく顔全部を真っ赤っかに沸騰させている私をよそに、
その人は何事もなかったかのようにその昆布を空いた小皿に戻した。

いやいやいやいや、店員さんーー!!
今すぐ、今すぐっっ!!
それを小皿ごと下げてくださいぃぃぃっっっ!!!


なんてことをしてしまったのだという後悔の洞穴を急いで掘った。
掘って掘って猛スピードで真っ暗闇に閉じ籠もりたかった。


周囲から上がった聞いたことも感じたこともない嫌悪の気を浴びせられながら、そんなことより今は恥恥恥恥恥・・・・!!!
羞恥心の隕石落下、いっそ気を失ってしまいたかった。


「お茶漬け食べよ」

彼はもっと何事もなかったように店員さんを呼んだ。
「鮭にしよっと」
「・・は梅でいい?」


オイ、コラ。
オイオイ、コラコラコラ!!!

何を悠長にお茶漬けなんか追加オーダーしちゃってんのよイケメンズ!!


それから彼らは、食後のデザートにアフォガードとベイクドチーズケーキを注文し、穀物コーヒーと玄米茶を追加していた。

私の目の前にはほとんど手を付けていないTKG定食と、彼が勝手に注文したティラミスとカフェラテが並んでいた。



こんなに疲れたのは初めてだ。

酷い目にあった。

あんなの親切でも何でもない。
あんなの恥でしかない。
辱めでしかない。

屈辱的だ。
あの時間の最初から最後まで、端から端まで、その何もかもが。



やっと家に帰り着いて、ぐったりと身体をソファに沈めた。

さっそく近寄ってきたタンゴを引き寄せ、抱きしめる。


結局定食のほとんどは持ち帰り用にお弁当にしてもらい、ティラミスも別で箱に入れてもらった。

あのこじゃれたカフェで、私は口馴染みのないカフェラテを数口啜っただけだった。


あの二人と私の取り合わせがそんなに非難するようなことか?

あの二人と私が同じテーブルに着いていることがそんなにあり得ない状況か?

私があの二人と並ぶことはそこまで疑心暗鬼を誘うことなのか?


もう二度とワクワクしたりしない。
もう二度と彼と出かけたりしない。
もう二度と、もう二度と・・


あの人はいったいナニモノなのだろう。


キレイなだけじゃない、あの表情、仕草、所作、声のトーン・・

どんな親から生まれてどうやって育ったらあんな世界観の人間が出来上がるのだろう。

どんな生き方をしたら、あんな世間離れした雰囲気を醸し出せるのだろう。


あの人の背景にはなんだか壮絶なドラマがあるような気がする。

彼の隣で、言葉少なく表情で会話をするあの人の、纏うものは妖精の光り輝く粉だけではない。


あの人の背負っているものは、相当の深さと高さと厚みがあるに違いない。

何を話しているときも、表情が1ミリ単位でしか動かない。
あの憂い、あの口元、あの間、あの・・・


ここにいるのに、いない。

あの人は、あそこに「いなかった」。

あの危うい感じ。

あんなに輝かしい存在感を放っているにも関わらず、あの人は---

あの人は、どこに行ってしまうのだろう。


どこに行っているのだろう。


タンゴが嫌そうに私の腕をすり抜け、コの字型のソファを移動して行く。

「冷たいの。」


るんばは?
どこ行った?

どうせ彼の部屋だ。


るんばは彼が留守のとき、ほとんど彼の部屋にいる。
彼の匂いがある、あの部屋が好きなのだ。


「・・冷たいの。」


この世の全てに自分を否定されたような気になって、
自己嫌悪の沼深くへと沈んでいった。


哀しい。

寂しい。

なんだよ。


猫なんて、どうせ慰めてもくれないんだからさ。


エアコン下げまくって、ふて寝して、風邪でも引いてやる。


と思ったけど、やめた。


暑いのに、寒い。

心が極寒だ。

ぐちゃぐちゃだ。

彼が帰ってくる前に、自分の(として勝手に使ってるだけの)部屋に戻ろう。


              ◆



そう思いながら、あのまま眠ってしまったらしい。

目が覚めると、お腹の辺りに温もりを感じた。
タンゴが戻ってきてくれたのだ。
なんだかんだいってかわいいやつ。

部屋の温度もちょうど良くて、明るさもほどよくて、このままもう少し眠っちゃおうか。

片手でタンゴを撫でながら、もう少し上に来て欲しくてその体を抱きかかえーーー


「?!!!」


「何っっ?!!!」


眠気が一気に吹き飛んだ。
そこにあったのは彼の頭だった。


「ちちちちちょっとちょちょちょちょっとちょっとちょっとっっ!!!」
「ここここここでななななにしてんのよ何してんのよなにをっっ?!!」

私はソファから飛び起きて背もたれギリギリまで体を避けた。


「・・・」

寝ぼけた顔をあげた彼が、私をぼんやり見ている。

いくらなんでもやっていいことと悪いことがある。
背中からハグはまだ良し(でもないけどほんとは)として、
お腹に顔を埋めるのは反則だ。暴挙だ。違反だ。
よりによってこの腹に、この、こんな、・・こんな腹に・・。

「・・・」

「っ・・!ちょっと?!」

寝ぼけついでに私を引き戻し、彼は床に座ったまま私の膝に顔を埋めた。

ナニコレ?

ナンナノ、コレ?

私はおまえの母親かっ!

ていうツッコミもする気なくなるくらい、

・・かわいいんだコレがまた。


もう、なんなのよ。


寝起きのぐしゃぐしゃの髪をもっとぐしゃぐしゃにした。

代わりに彼のさらさらヘアーをそっと撫でつけた。


私の文字通り太いモモを両手で抱えるように眠る。
きっと枕かクッションと間違えている。

どんだけだ。


私は彼の髪を撫でながら、文句の一つも言ってやりたくなった。


「・・何してんのよ、。」

すると彼が顔の向きを変え、


「・・・充電」


「・・っ・・はぁ?!」

こいつ、起きてた!!!

コノヤロー!!!


「あったかくてきもちいい・・」


コノヤロー抜け抜けとーーー!!!


でも、もう、いいや。

疲れたし。


タンゴもどっか行っちゃったし。


ふと見ると、彼の足下にはるんばが丸くなっていた。


「ったく、暑いっつーの。」


今ではタンゴと変らない大きさになった、るんばの寝顔。

おまえは私の癒やしだ。


極寒だった心が、あっという間に満たされた。


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