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妻=家事、の考え方がダメな理由

私は、家事が得意だ。
自慢しているわけではない、単純に得意なのだ。

そんな私も、大学時代に一人暮らしを始めた時には、家事がまったくできなかった。

洗濯機の回し方も分からなかったし、料理もできなかった。
みりんが液体なのか固体なのかすら分からず、スーパーで泣いたこともある。

4年間の大学生活に加え、2年間の社会人生活。毎日大体はご飯を作っていたし、掃除も洗濯も難なくしてきた。

私にとってはそんなに難しくない「家事」だが、意外にもすべての家事が難なくできる人は多くないらしい。これは結構驚いたことである。

友人宅に遊びに行くと部屋が散らかっていたり、「彼氏に料理がマズイと言われたから料理教室に通っている」といった声もよく聞く。

自分が難なくできることを、「得意なこと」と気付きにくいとは本当のようだ。

そんな私だが、どうしても納得のいかないことがある。

「結婚してるから、料理が得意なんだね。」

こんなことを平気な顔していう人がいるのだ。そんなわけない。

私は、得意だから夫婦の役割分担として「料理係」を担当しているだけである。妻だからご飯を作っているわけではないのだ。

些細なことに感じるかもしれないが、これはかなり重要なことである。

だから、仕事で忙しい日にはスーパーの惣菜を買って済ますこともあるし、身体がだるい日には外食にしてもらうこともある。

そんな時、私はまったく罪悪感を感じない。だって、できないから。帰る時間が遅いから。ひどく疲れてるから。

主人も、「ご飯は?まだ?」なんて絶対に言わない。

料理係の人が作れそうになければ助け合うのが当然だ。掃除係りの夫は、「今日は俺がご飯作るよ」とか言ってくれるし、わたしは今度そのお詫びに掃除をする。

私たち夫婦が一緒に暮らすコンセプトは、「面白おかしく生きる」なのだ。
楽しくなかったら意味がない。どちらかが辛かったら失敗だ。
詳しくはこちらの記事をご覧いただきたい。

もし、「妻だからご飯をつくらなきゃ」と思い込んでいれば、ご飯を作れない時に「わたしは妻失格だ・・」と思ってしまうだろう。

ご飯を作れないという状況は同じにも関わらず、
「今日はご飯作れなくて申し訳なかったな。」と、
「わたしは妻として失格だ・・。」
という2つの感情パターンが生まれてしまう。

「家事」は、ただの作業であって人格に紐づくことではないのだ。

だから、【妻=家事する】ではない。

私=◯◯の妻
 =△△の家事を担当している

「自分の意思で、夫と話し合って決めた作業をしている。」と考える必要がある。もちろん、夫もそうする必要がある。

そうすることで、「私ばっかりどうして家事しなきゃいけないんだろう」とか「毎日洗い物するの嫌だ」と思わなくて済む。

逆に、夫の担当である洗濯を私はぜったいに手伝わない。(勿論、病気の際やどうしても用事のある時は代わりにやる)

彼が洗濯している間は、テレビを観てお菓子を食べることもあるし、寝ていることもある。
ちょっと手伝ってあげようかな・・という思いが込み上げるのだが、やらないのがポイントである。

仕事で例えると、他部署になるだろう。

基本的には、他部署が忙しかろうと大変だろうと仕事を手伝うことは無い。そういった感じだ。

そのように、淡々と家事を作業としてこなせば、自分が料理をするときに夫がテレビを観ていても、ゴロゴロしていても腹が立つ事はない。

家事は毎日のことだ。

思考プロセスを夫婦間でしっかり設定しなければ、不平不満が出たり不公平感が出てしまう。

この際に、夫婦でしっかり家事の役割分担について話し合って頂きたい。

次のnoteには、我が家の家事の役割分担について書きたいと思う。