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性別らしく見えることへの諦め

私は女性であってます

私の体は女性のもの。だから心が女性寄りだろうと男性寄りだろうと、両方を否定しようとも!誰を好きになろうとも!外見は女性。そして自分の能力や性質からこの女性らしい外見を変えようという思いもない。顔もガキっぽくて女の顔だと思う。当然周りから見ても私は女。それで間違いないしそれでいい。(実際、今の私は自認も女性です。)
……体の性別は一個にしかなれないの暴力的!!選ばせてくれ!あまりにも力が強すぎる。

服装選びに関する諦め

女性の顔や体にはレディースの服が似合うようだから、メンズは似合わないようだから、レディースの服を着ている。それが一番私を綺麗に見せるから。女性の外見の私がどうしたらさらに輝くかを考えて服を選び、髪型を選び、メイクをしている。だから自認が女性から離れているときでも私を女として見てもらって構わない。そう見えるのは仕方ない。
そう認識してもらうために女性の格好をしている節もある。私は自認が不安定(フルイド)で、なんだかよくわからないもの、未知のものは周囲の人にとって扱い方がわからないと思うから。それに、「今の俺は男なんだい!女性扱いしないでおくれ!」と主張しているのに女扱いされたり、似合わない自分を嘆いたりする方が体力を使う。

  1. 私が一番綺麗に見えるから

  2. 周りの人にとって性別がわかりやすい方が楽そうだから

  3. わかりにくい外見をして誤解されるのは私も辛いから

こういったわけで、そのときどきの自認や希望は無視して諦めて女性の格好を選んでいる。もちろん、私がマイノリティの方々に対してわかりづらいとか扱いが面倒だと思っているわけではない(思わないと思いたい)。

似合うものを選ぶ諦めって

パーソナルカラーとか骨格診断とかって概念をよく聞くようになって、それをもとにコスメや服を選ぶことで自分をよく見せるのがちょっと簡単になってる。でもおかげで選びにくい商品が増えた。イエローベースの私は青みピンクを避ける。青みピンクは可愛いし憧れはあるけど私の色じゃない。似合わない好きな色を纏うなら似合う無難な色を選ぶ。その諦めの感じと私が女装男装に対する感情は近い気がする。

私の中の男は誰

自認が女性から離れているときでも私を女として見てもらって構わない、仕方ないと先に述べた。では体が女で、女装をしていて、女扱いOKの私のどこが男だと言えるのか……わからない。私の中でだけ、あるいは交際相手との関係の中でだけ男でいる。交友関係も男らしいものでありたいが(らしいという表現は好まないが)、女扱いOKと言っている手前そんなものは諦めている。
外側に対して証拠がないとこの自認は嘘なの?と迷うので、パレットークさんのこちらの漫画を。

「恋人もいない、好きな人もいない私はレズビアンではないのか」という悩み。
最近トランスジェンダーやトランスエイジやいろんなものが物議を醸しているけれども、周りに迷惑をかけなきゃ自認はなんでもいいかな……と思います。

なぜ選ぶという考えになったのか?

ただの女性でいいのにどうしてわざわざ女装を選ぶという表現をするのか。
それは社会的に女であることへのちょっとした抵抗と、可愛いが似合わないことに気づいたときの絶望?失望?から女性の格好を避けた経験が始まりな気がする。そして女らしい格好を避けて中性を避けて男性寄りまで試したとき、男女中性、どれもダメじゃん、外見においては私がダメなだけじゃんって思ったのだ……それで、この中でマシなものを選んだ。

そう。選んでいるというからには男性や中性的な格好も試したことがある。この顔と体はついて回り、髪を切ってスカートを避けメンズを着てもボーイッシュというジャンルになる。上手くやっている人はいるけど、選んだ当時の私にはできなかった。それに、制服でスラックスを選ぶ女を少しも変な目で見ない人はいなかった。そんな環境で自信持って自己表現、というより意思表示?をしようという胆力はなかった。トランスジェンダーでもないし、自分がこのまま女の格好をすることに大きな苦痛を感じてはいなかったから。

つまりどういうことかっていうと

考えすぎ拗らせすぎってことです。
裏垢をはじめ、私の周りの人はどんな私でも受け入れてくれて嬉しいです。ありがとう。
可愛いへの苦手意識、醜形恐怖症についてはまた。

メカ

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