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私にとっての富山は、初恋の人のような存在でした。15年ぶりにもう一つのふるさとへ帰った話。

いままで過ごしてきた時間の中で、いちばん無条件に「しあわせ」だなと感じていたのはいつだろう?

そんなことをふと考える時、いつも思い浮かぶのが小学校までを過ごした富山です。
幼稚園の年長にあがったばかりの頃。父の転勤で生まれ故郷の仙台から引っ越すことが決まりました。何故そうなってしまったのか当時は理解できなかっただろうし、仙台の幼稚園と先生が本当にだいすきだったので、新しいお家に到着してもずっとぐずぐず泣いていたのをよく覚えています。

そんな引っ越し初日、突然ドアのチャイムが鳴って出てみると、知らない女の子たちがたくさん立っていたのです。「同じ団地に女の子が引っ越してきたっていうから皆を連れて遊びにきたの!今日から友達ね!」って。

それからの毎日は、「無敵」でした。
学校では裸足で校庭をかけまわって、アサガオを枯らして。カエルが鳴く田んぼの脇を歩くマンションまでの通学路はいつも探検で。ランドセルをそのへんに置いて汚してはいつも怒られて、ボール遊びをすれば川に落として。それでもいつも誰かのお母さんが一生懸命拾ってくれた。そんな富山での子供時代は、私の人生の中で最も優しい時間でした。

実は先日、勤めていた会社を退職しました。良い理由と、悪い理由が半分ずつでした。落ち込んでもないけど、「大丈夫」とも言えない。そんな私を見かねて、Aちゃんという仙台の中学校からの友人が「飛行機代、半分出すから遊びにおいでよ。」と誘ってくれました。そのAちゃんが仕事で現在住んでいるのが富山だったのです。

小学校でまた仙台に戻って以来、一度も訪れていなかった富山。約15年ぶりの、第二のふるさとへの旅がはじまりました。

「お客様、失礼ですがお席がございません。」「え?パスポート必要でした?」

そんなトンチンカンな会話を繰り広げたのは出発当日、搭乗時刻の1時間前。

実は、国内線に乗るのはこれがはじめて。Aちゃんが手配をしてくれたのですが、空港の綺麗なおねえさんいわく「ご予約日が8月ではなく10月になっています。」と。あんなに何度も二人で確認したのに!
パニックになりながらも、急いで東京駅まで引き返して、発車時刻の2分前に新幹線に乗り込みました。オトナのいいところは、きっと失敗しても何度でも取り返せるところ。

富山駅まで迎えに来てくれたAちゃんの車に乗り込み、一番に口からでた感想は「空、広っ!」でした。ビルがなくて、家やお店が広々建ってると、こんなに広いんだなあ。空って。

向かった先は私の通っていた小学校。引っ越し初日に「今日から友達ね!」といきなり現れた、幼馴染のCちゃんと合流しました。

小学校の時のお互いの転校で離れてしまった後も、電話や手紙のやりとりで繋がっていて、4年前に11年ぶりの再会を果たしました。11年ぶりなんて何を話そう、と緊張していたのに「あの時こーんなでっかいカエルおったよね!?」「おったおった!」「よくそのへんの草、石ですりつぶして遊んどったよね。なにしてたんやろ。」「あそこの空き地でひたすら穴掘ったよね!」と、思い出話が尽きることはありませんでした。いつか一緒に小学校とマンション見に行こうね!って約束してたんです。今では同じで東京一児のママをしているCちゃん。たまたま富山に帰省中で、やっと約束を叶えることができました。

彼女はいつも私の仕事を応援してくれていて、私は彼女の子供の成長を見守るのを楽しみにしています。もう、今の私たちより、彼女の子供の方が私たちの出会った年齢に近いんです。産まれる時も、「今頃がんばってるかな」とハラハラしたし、「寝返りができるようになったよ」と聞けば自分の子供のように愛しい。そうやって、お互いの人生をずっと楽しみにできるのって最高だなって思います。

15年あれば、人も変わるし街並みも変わります。小学校からの通学路を歩きながら、「あっこの景色。確かに知ってる。」と何度も感じました。当時とぜんぜん違うけど、絶対にここだった。ああ、ここは当時のままなんだな。
環境が変われば、人も街の発展のように「変わったな」と感じることがあるけど、街のように、確かな「その人らしさ」はずっと変わらないものなのかもしれません。

はじめてのおつかいに行ったスーパーも、イタズラして救急車を呼んで大騒ぎになった電話ボックスも、変わらずにそこで私を待っていてくれました。

全然意識もしていなかった幼馴染が、久しぶりに再会したらびっくりするほど垢抜けていた。

例えれば、そんな感じ。

Cちゃんと別れた後は、Aちゃんの家で浴衣に着替えて夜の街に遊びに行くことに。「世界一綺麗なスタバがあるんだよ!」と連れられたそこは、川沿いに面した一面ガラス貼りの建物でした。お店の中も、窓から見える川もキラキラ輝いていて、「ここで告白とかプロポーズする人、毎日のようにいるだろうね!」と盛り上がりました。のんびりしてて、素朴だけど遊び心があって。そんなイメージだった富山が、あんな洗練されたところになってるなんて思いもしなかったな。

赤い糸をモチーフにした塔が建っていて、二つの塔同士、向こうにいる人と糸電話でおしゃべりができるんです。その日はちょうど、赤い糸に花火がかかっていました。

しあわせを決めるのは、きっと幸せな心。

富山と言うと「どこだっけそれ?」とそもそもイメージすらつかない、なんて方が多いような気がします。しかし、家、結婚、車の所持率などで決まる幸福度ランキングは、常にトップ3にランクインしている県なんです。お料理もお酒も美味しいし、なによりウェルカム気質で、「心がしあわせ」な人が多そう!

実を言えば、生まれ故郷であった仙台に戻ってからの学生生活は一変してしまいました。東北はよそ者意識が強く、本来の地元であるにもかかわらず「転校生」はなかなか周りに受け入れられなかったのです。

たまたま同じ場所で出逢っただけで、「今日から友達ね!」って言える関係もあるのにな。そんな風にジレンマをかかえながら、ずっと過ごしてきたように思います。「あの時ひっこさないで、ずっと富山で暮らしていたらまったく違う人生だったんだろうな。」いつもいつも、ふとそう考えてしまう自分がいました。
でも、仙台に生まれて、ずっと閉鎖的な価値観で暮らしていくはずだった私の人生の中で、子供時代を富山で過ごせたことは本当に幸運でした。「今日から友達ね」そんな風に思える人間関係を、自分だけは作ろうって思ってこられたから。たらればを考えたらキリがないけど、自分で切り開いてきた今の人生も私はちゃんと気に入っているんです。

ただいま。また会いに行くね。

この記事は、「旅に出たくなるコンテスト」用に制作しました。fbでのシェア、ツイッターのRTなどでの応援お待ちしています!

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