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『切っ掛け』

 通勤、通学客で、混雑するバスの中。

 彼女の手にはいつも本が握られていた。

 眠たそうな学生、朝から疲れている会社員。皆の気だるさが充満する中で、かまわず本の世界に没頭する彼女は少しだけ特別な存在に思えた。

 そんな僕も気だるさを吐き出している一員であり、だからこそ彼女のに興味がわいたのだ。

 いや、嫉妬……なのかもしれない。

 本を読む彼女に、僕には無い何かを感じたのだ。

 そんなある日のこと。偶然、彼女と隣り合わせになる機会があった。

「本、面白いですか?」

 突然の声に驚く彼女。しかし、僕はそれ以上に驚いた顔をしていたと思う。言葉をかけるつもりは、さらさらなかったからだ。

 少しの間を置いてから彼女は答えた。

「はい、面白いです」

 気だるい空気を感じさせない、優しくはっきりとした声で彼女は返事を返した。

「本に興味が?」

 彼女の問いに言葉が出ない。

「ど、読書はあんまり……」

 かろうじて言葉を返すが、あいまいな返事になってしまった。

「一冊の本をゆっくり読んでみてください。きっと、本が好きになります」

 少し熱のこもったトーンで、彼女は本を薦めてくれた。そして、小さく頭を下げ。彼女は本を広げ、再び文字の世界に戻っていった。

 その日の帰り。

 書店に寄ったことは言うまでもなく。

 まさか自分んが読書人になるとは思っていなかった。

 きっと……

 切っ掛けなんて、些細な物なのだ。


未完(みかん)。

読んでいただいてありがとうございます。面白い作品を作ってお返ししていきたいと考えています。それまで応援していただけると嬉しいです。