203X年 日本連邦の設計図(2)行政機構を「機能」から「地域」に再編

連邦制とは

日本は連邦制を導入すべきだと考えている。

そもそも連邦制とはドイツ、スイス、オーストラリア、カナダなどの国が採用している制度だ。

連邦制を採用した背景はそれぞれ異なるが、複数の国家や地域が合併して国を形成したケースや、多言語や多民族が共存する国家で採用されるケースが多い。

連邦制を採用している国では、中央政府(連邦政府)の役割は国防や外交など国際的な業務に限られている。

一方、地方政府や州政府が強い権限を持ち、幅広い業務を担っている。権限が地域的に分散している結果、連邦制の国では国際的に競争力のある都市が各州に分散している。

ドイツのミュンヘン、フランクフルト、デュッセルドルフ、オーストラリアのシドニー、メルボルン、ブリスベン、カナダのバンクーバー、トロント、モントリオールはどれも首都ではないが、世界的に存在感のある経済力を持っている。

連邦制を採用している国の首都であるベルリン、キャンベラ、ワシントンDC、ブラジリアなどの都市への人口と経済の集中はほぼ見られない。

(私の知る限り、唯一の例外はロシア連邦の首都モスクワ。ロシア連邦と言いつつも、実際のところ中央政府に権力が集中し、地方への権限の移行は限定的であるからだろう。)

つまり、連邦制を採用している国は複数の都市が経済を牽引する「多極型」な国となっている。

反対に、中央政府の権限が強い国では、その国の首都が経済面や人口面で他の都市を圧倒している場合が多い。ロンドン、パリ、カイロ、ソウル、東京などの都市は、国内第2、第3の都市を人口や経済で倍以上の差で引き離している。

つまり、「政府の権限の強さ」と「人口と経済の分布」には相対的な関係性があると考えている。

政府の権限が強さの分だけ、法律や政策を作る人材が必要になり、雇用が発生する。

政府の権限が強さの分だけ、予算が割り当てられる。その予算を使って政府の業務をサポートする様々な専門家や業種の需要を創出し、産業が形成される。

まさに現在の日本の状況は、全国各地から税金を徴収し、その大半を公共セクターの雇用と政府(国)の出費という形で、首都である東京で消費されている。コンサルタント、メディア、会食・ホテル、交通(航空)、金融など、膨大な裾野産業の発生に寄与している。東京の一極集中は政府(国)への極度な権限の集中によるパブリックセクターの雇用の発生とそれに付随するサポート業務による経済活動が主要な原因であると考えている。

(もう一つの理由は東京を中心とした交通インフラの整備であると考えているが、それはまた別の機会に話したい)。

つまり、現在、国が行なっている業務を「州政府」や「自治体」に移行すること、それに伴う雇用と予算を移管させることができれば、結果として、人口と経済を複数の都市に分散させることができる。それが連邦制の狙いである。

ドイツ・スイス型連邦制とオーストラリア・カナダ型連邦制の比較

ここで簡単にドイツやスイスの連邦制とオーストラリアやカナダの連邦制の違いについて解説したい。なぜなら、日本は前者の「ドイツ・スイス型」を目指すべきであると考えているからだ。その違いは州都への集中度合いにある。

オーストラリアとカナダは州政府の権限が非常に強い連邦制である。州が合併して国ができたという歴史的背景が影響している。

州政府の権限がとても強いオーストラリアの首都キャンベラの人口はたったの50万人ほど。都市の人口の上位は州都であるメルボルン、シドニー、ブリスベン、パースなどの都市である。ここで注目していただきたいのは、オーストラリアの各州はクイーズランド州を除き、どこも、州都への一極集中が起こっている。(北海道で札幌が圧倒的な人口を有している状況に類似している)。

ニュ-サウスウェールズ州の第二の都市ニューカッスルが人口40万に対し、州都シドニーは500万人超の大都市である。ビクトリア州も同様、数年前にシドニーを抜きオーストラリア最大都市となった州都メルボルンの人口は536万に対し、第二の都市ジーロングは29万人と18倍もの開きがある。

カナダでも同様な現象が見られる。ブリティッシュコロンビア州、ケベック州、マニトバ州では州都の一極集中が見られ、アルバータ州とオンタリオ州ではそれぞれ2つの都市が人口で圧倒している。

地方分権を進めても、一部の都市が優遇され、一部の地域や都市が取り残されるような状況では、良い改革とは言えない。

カナダやオーストラリアの都市では、州都に人口と経済活動が集中しているため、都市では不動産価格の高騰、通勤ラッシュなどといった問題を抱え、それ以外の地域では経済発展から取り残されてしまっている。

日本が目指すべきはドイツやスイス型の連邦制である。

ここでいう「ドイツ・スイス型の連邦制」とは市町村などの「自治体」の権限を最大限にすることである。そうすれば公共セクターの雇用と予算が首都から州都へ、州都から各自治体へと流れる。スイスやドイツでは州都や州最大都市への集中が比較的緩く、州内に人口と経済活動が分散されている傾向にある。

参考まで、バイエルン州。州内ではミュンヘンが人口面で圧倒しているが第二の都市との差は2倍程度。メルボルンやシドニーほどの差はない。「他の例」

もちろん、これは制度面だけに起因しているものではない。歴史的背景、インフラ、産業など様々な要因が複雑に影響していることは事実である。カナダやオーストラリアは比較的に新しい国であり、ドイツは古い。

再度、強調したいのはドイツやスイスの地方自治体ではコミュニティーレベルでの自治の制度が確保されており、国や州が決めた政策を実施する「手足」としてだけでなく、自らが考え、様々な取り組みを立案している。一番身近な政府機関である自治体で人々の生活を改善する手段を持ち合わせている。

市町村などの地方自治体での業務が多いという事は、その分公共セクターの雇用が振り分けられている。2018年において、ドイツの公共セクター全体で勤務する労働者の数は約370万人。そのうち連邦政府は全体の13%にあたる47万人、州政府は190万人、市町村では130万人となっている。ベルリンとハンブルクの2大都市が「州」である点を踏まえると、公共セクターの雇用が全国各地で発生していることがわかる。

地方自治体レベルでの仕事を増やすこと、予算を増やすことこそが、各地域に人口を増やし、大都会への過密を解消してくれる手段である。交通インフラとIT技術が発達した現代社会では、国土を機能的かつ広々と有効活用すること、魅力的な「まち」がたくさんあること、居住地の選択肢がたくさんあること。これらが豊かな社会の実現につながると確信している。

特に日本では、全国各地に固有の伝統と文化、それに付随した価値観や道徳がある。こうした風習を次世代に残し、継続させていくためにも、各地の地域コミュニティーが持続できるようにすることが重要である。そのためには人々の生活が維持できるような制度や仕組みを設計し実行することが必要だ。

(現行の仕組みは、欧米列強に負けない近代日本を作るための中央政府主導型・東京集中型であるといえる。連邦制はこのサイクルを逆回転させることである)

国民に最も身近な地方自治体でより多くの問題が検討され、独自の対策を実行できるようになれば、人々が政治や社会問題の解決により関心を持ち、当事者として意識を持つことができる。政治に無関心になっている人々の意識を変えられると思っている。

地方自治体の機能の増強(国や都道府県の手足からの脱却)、国民が「自治の意識」を取り戻すこと、これが連邦制を勧める最大の理由である。

ドイツ・スイス型の連邦制と地方自治の制度、国民の自治の意識は日本の未来に大いに参考になる。

なぜ日本は連邦制を導入すべきか

ここで改めて日本が「連邦制」を導入すべき理由を説明したい。主に以下の7つが理由である。

  1. 地方の消滅、地域社会の消滅、日本の文化・伝統・価値観の消滅を阻止するため

  2. 日本が再び繁栄するため

  3. 諸問題の解決のスピードと効果を高めるため

  4. 公共セクターの人材育成

  5. 自治の精神の回復と参加型民主主義への移行

  6. 国際秩序の変化への対応

  7. 日本が地球規模課題の解決を牽引するため

理由1:地方の消滅、地域社会の消滅、日本の文化・伝統・価値観の消滅を阻止するため
日本の人口がますます減少していく中、東京は2030年代半ばまで世界最大都市であり続けると予想されている。アジアやアフリカで爆発的な人口増加が起こっているにも関わらず、人口減少国の首都が世界最大の都市であるのは異常である。

首都圏には4434万人が生活しており、これは日本全国の約1/3にあたる。これが今後数十年で1/2になるかもしれない。これは東京がますます混雑し、全国各地にあるコミュニティーが消滅することを意味している。最近の記事によると、700を超える自治体が「消滅可能性自治体」となっている。

地域社会の消滅は文化、伝統、価値観、歴史が消滅することを意味している。

明治維新前の日本には「藩」という都市国家のような自立性が高い地域が存在していた。欧州列強による支配を逃れるため、軍事力、経済力、科学技術力を伸ばすために国の中央集権化は必要であった。世界大戦や戦後復興においては、中央集権型の体制は機能的に効果を発揮した。

しかし、現在の行き詰まった経済状況、人口減少という新たな危機に立ち向かうためには、元々の日本の形であった「藩」を中心とした地域分権型社会に現代型のアレンジを加えて、回帰すべきである

それを実現するための手段が連邦制の導入である。そして、市町村の自治を重視した連邦制を採用すべきである。

理由2:日本が再び繁栄するため
日本が経済で繁栄するためにはどうしたら良いか。首都圏に依存する経済モデルには限界があると感じている。

「中枢中核都市」、特に札幌、仙台、広島、福岡、那覇などの日本の主要都市が世界の都市間競争で存在感を示すようにならないといけない。

既に高い水準にある首都圏の経済をさらに伸ばすことも重要であるが、他の主要都市の経済を首都圏や三大都市圏の水準に匹敵する規模に増強することを実行する方が、確実に成果を出せると考えている。

特に自然災害の多い日本において、一部の地域に経済活動が集中している状態はリスク管理の観点から理想的でない。

地方都市に災害が発生した場合、復興支援が行えるが、日本の人口と経済の1/3が集中する首都圏が災害にあった場合、他の地域の経済力で首都圏の経済復興を支えることは可能だろうか。そう考えると、複数の経済都市が分散して立地することが望ましい。

ではなぜ、首都圏以外の都市が首都圏と比較して、経済的に遅れているのだろうか。

例えば欧米の企業がアジア太平洋地域に事務所を構えることを検討してるとしよう。

業種によって異なるが、ほとんどの欧米企業はシンガポール、香港、台北、ソウル、上海、東京などの都市を拠点として検討するだろう。なぜ多くの場合、福岡、札幌、仙台、那覇といった都市は拠点候補として検討されないのだろうか。

まず、法制度面で日本はどこも同じである。札幌であろうが東京であろうが、基本的に法人税も同じ、従業員の扱いに関する法律も同じである。

その場合、別の項目で比較されることになる。例えば、優秀な人材はどの都市が一番確保しやすいか、海外の拠点からのアクセスが良いのはどこか、といった点であろう。そうなると日本国内で圧倒的に有利なのは東京ということになる。

では仮に、札幌では法人税が東京より安いとしよう。福岡では法人設立の手続きが簡素化されているとしよう。このような制度面で検討に値する違いを作り出せれば、東京以外の都市であっても海外の企業(それに首都圏に拠点を構える日本企業)を誘致しやすくなるだろう。

例えばアメリカでは州ごとに税率や法制度が異なるため、現地に進出している日本企業でもカリフォルニア州に拠点を置くか、テキサス州に拠点を置くかといった検討が多くされている。

ドイツにデュッセルドルフという都市がある。ドイツ国内人口7番目の都市であるが、多くの日本企業が欧州拠点を構えている。ヨーロッパにおける日本企業の一大拠点である。

オランダ、ベルギー、フランスなどアクセスが容易である点に加え、州政府や市が日系企業やその家族が生活しやすいよう日本人学校を誘致したり、日本デーというイベントを開催したり、日本センターなどという施設を設置して誘致を進めてきた結果だろう。

日本の各地で企業誘致の取り組みは行われている。こうした取り組みは現状の仕組みでもできるものもある。しかしながら、連邦制が実現できれば、日本各地で企業にとって魅力的な条件を提示することができ、結果として、日本国内の都市間競争、アジア太平洋地域における都市間競争を勝ち抜いていくことができる。

将来福岡、長崎、北九州、那覇といったとしが、地の利を活かし欧州企業のアジアのビジネスセンターとして発展しているかもしれない。

アジアや世界経済を牽引できる都市を育てられる制度を取り入れることが、日本経済の飛躍につながると考えている。

それが連邦制である。

理由3:諸問題の解決のスピードと効果を高めるため

日本が連邦制を採用すべき理由は地域的な人口と経済の分散だけではない。

連邦制は様々な問題の対処のスピードを向上させることができると考えている。「検討」「調査」を最低限に抑え、小規模単位で様々な取り組みを迅速に実施、その中で成功した事例や手法を全国規模へ拡散していく。

前例のない問題に対し、全国規模で一つの最適解を最初から実施しようとするのはあまりに時間が掛かりすぎてしまい、失敗した時のリスクが大きすぎる。

例えば連邦制が実施され、日本に10の州ができるとしよう。それぞれが独自の少子化対策を導入したとしよう。10通りの対策がそれぞれの州で実行されるということは、ほぼ同じような文化、経済、人口動態などの条件の地域で政策の比較検討を可能にする。

ヨーロッパ諸国の成功事例をそのまま日本で真似ても、習慣や価値観の違いから成功しない場合があるかもしれないが、東北で上手く行った取り組みはおそらく四国でも上手くいくと考えることができる。

諸外国の取り組みを比較検証するのももちろん重要ではなるのだが、日本という成熟した経済、民主主義、宗教・文化など相対的に日本と比較できる国は限りなく少ない。

連邦制であれば、九州の制度と東北の制度の比較、関東と関西の政策の比較のの方が経済、文化的な背景が類似しているため、どちらの政策や制度が有効であったか、検証しやすい。(余談だが、宗教、経済、人口規模、政治制度が類似しているEU加盟国は比較できる対象国がたくさんあり羨ましい。)

10州がそれぞれ異なる対策を実施した場合、数年後に対策が成功した州と成果が出なかった州に分かれるが、州同士で成功要因、失敗要因の比較検証ができ、それによって政策の修正を加えたり、成功した事例を取り入れれば全国規模で制度をより迅速に広められる。問題への対処のスピードを効果的に速め、同時に政策失敗のリスクを軽減させる。

明治維新後の日本のように、軍事力強化やインフラ整備などやるべき対策が明確であれば、中央集権型の体制は有効であるが、特に前例のない少子高齢化社会への対応、気候変動、エネルギー転換など、解決策が不明確な問題であれば、とにかくやってみるしかない。

AIやデジタル技術を駆使したシュミレーションが向上しているのは確かであるが、前例のない問題にはどんなに慎重に調査と検討を重ねても、結局のところ、実際に試してみるしか効果は分からない。

日本でもこれまで地域分権や道州制の議論が盛んに行われてきた。

私があえて「連邦制」と表現しているには理由がある。

地域分権や道州制の議論の場合、実際の内容が都道府県の合併、地方自治体の再編(平成の市町村大合併)、都道府県への権限移行(特区制度、大阪都構想)、政府関係機関(文化庁京都移転)などといった議論になっている。もちろんこれらの議論も重要であるが、上記で述べた人口と経済の分散と政策実施のスピード向上・政策比較検証を行うためには不十分である。

私が主張する連邦制は都道府県の合併ではない。

私が主張する連邦制は経済産業省、農林水産省、国土交通省、財務省、文部科学省、環境省、厚生労働省、法務省の再編である。

これらの行政機構は現在「機能」ごとに分けられているが、それを「地域」ごとに再編することが、私の提案する日本型連邦制の本質である。

特にSDGsや気候変動対策などの取り組みを見ると、現状の「機能別」ガバナンスが非効率であるのがよく分かる。例えば再生可能エネルギーの取り組みを例に考えてみよう。環境省がクリーンエネルギーの導入に積極的に取り組んでいるが、電力の管轄は経済産業省である。農地の上に太陽光パネルを設置するアグロボルタイック(Agro-voltaic)という取り組みが海外で普及しているが、これを日本でると農林水産省との調整が必要だろう。

高齢者が歩いて生活できるように、環境負担が少なくなるようにコンパクトシティー化を進める場合、また国内の木材を活用し省エネの建物を促進しようとする場合、現状ではいくつもの省庁と調整をしないといけない。このような状況下で、中央省庁が全国各地域の小規模のプロジェクトを実行したり、調整・助言を行うのは非効率ではないだろうか。

そのために、各地域ブロック「州」にガバナンスの体制を再編し、それぞれで分野横断的な課題を包括的に対処すべきであり、それを可能とする体制を整えることが連邦制の目的である。

理由4:公共セクターの人材育成
幸いにも日本の現状に危機感を持ち、どうすれば良いか、様々な提言を発信している方々が世の中にはたくさんいる。書籍、動画、ブログには数多くの素晴らしいアイデアで溢れている。同時に何故、こうした提言を採用しないのか、何故実現しないのかと、政治家や官僚に批判の声が集まっている。

政治家や官僚はどんな優秀であっても、様々な業務や責務に追われる、こうしたアイデアを実現できる時間的な余裕がないように思われる。

日本の問題は諸問題の対策を実行するプレイヤーが不足していることである。

ここでいう「プレイヤー」とは社会の構造、人々の行動に影響を及ぼすような変革を起こせる人や組織である。具体的には法律を作ったり変更を加えたりすること、課税や免税などによって物事の値段に影響を及ぼすこと、制度やルールを変えられる人間や組織のことである。

今の日本においては各省庁と政治家の方々のことである。都道府県や市長村にもできることはあるが、その範囲は非常に限られており、社会に変革を起すような「プレイヤー」には制度上なりえない。

誤解のないように付け加えるが、民間企業やNGOの役割は重要である。法律や租税によるインセンティブやペナルティー以外でも、人々行動に影響を与えることは十分可能である。しかしながら、我々の生活は社会制度と切り離せないため、最終的には公共セクターが世の中の仕組みやルールを改善していかない限り、社会の諸問題の解決には至らない。

そうした仕組みとルールの改善を実行できる権限を持っているのが、ほんの一部の人間に限られているのが現状の行政機関の在り方である。その一部の人間は業務と責任が集中するため多忙を極め、責任範囲が全国規模になるため膨大な調査や調整が必要となり、物事を実行に移すのに時間がかかり、様々な社会問題が悪化していくなか、迅速に対応策を打つ事ができず、対応が後手になっている。

改めて繰り返すが、、あくまでこれは官僚や政治家の問題ではなく、膨大な権限を持たせすぎている仕組みの問題であると考えている。

では連邦制になり、今の省庁が行なっているような制度設計の権限を州そして基礎自治体が持つとどうなるだろうか。

もちろん適応できる範囲は全国ではなく、より小さなエリアなる。

その分、より多くの人々が政策立案の準備と実行、実行した後のモニタリングや調整業務に携わる事になる。範囲は狭くなってもやるべきことは変わらない。

こうすることで、より多くの公共セクターの人材が実際に政策を実施する経験をつみ、リーダーシップ発揮する。

特定の省庁で、ある程度の役職に就かないと経験できなかったような業務を、州政府や基礎自治体が担うことで、より多くの人が経験できるようになる。

外部から、様々な提言を発信してきた方々も、自ら提言を実行する立場になる機会も増えるだろう。

もちろん、経験不足が心配である。政策を実行する範囲が全国規模から一部の地域になっても、影響を受ける人々がいる事を忘れてはいけない。しかし、良いと思われるアイデアをどんどん実行していかなければ、未来への展望は開けない。仮にひとつアイデア失敗に終わっても、別の地域には成功したアイデアがあるかもしれない。それを真似て、拡散していけば良いのだ。

こうした経験積んだ人間は公共セクターにおける政策実行のスキルや専門的な知識を高めていくだろう。そして、それが実現したころの日本政府は、各地域で素晴らしい結果残してきた、公共政策における「日本代表メンバー」のような豪華な顔ぶれなる。

つまり連邦制は、州政府や基礎自治体の権限強化を通じて、より多くの人に公共政策に関わるチャンスと経験を与える。


理由5:自治の精神の回復と参加型民主主義

連邦制を勧める理由は政治的決断を一般の人には疎遠な「国(中央政府)」から、より身近である「地方自治体・州政府」へと移行させることである。

上向かない経済、苦しい生活、解決しない社会問題について、人々は政府や政治家を批判する。もしくは、何も変わらないと諦めてしまい、政治無関心になっている。

しかし、政府や政治家が全ての問題を解決できるほど、社会は単純でない。

「専門家」と呼ばれる人々が様々な助言をするが、彼らは当事者でない。

現在の問題は人々が問題の解決を他者に依存してしまっていることではないだろうか。

同時に政策に関して良い考えを持っている人々にそのアイディアを実行するチャンスを十分に与えられていないことだと考えている。

連邦制によって、より身近な地方自治体や州政府で経済や社会問題を解決できるようにすることで、本来人々に備わっているべきである自治の精神を取り戻してほしいという願いが含まれている。

「自治の精神」とは抽象的な表現ではあるが、国としての自立、地域社会の維持発展、アイデンティティーの形成にとって不可欠な要素であると思う。

これまで日本をはじめ多くの国では代議制民主主義(間接民主主義)を採用してきた。しかし、教育が行き渡り、国民の教養や知識が高い社会において、そしてインターネットが普及し、様々な情報やデータが簡単に行き交う社会において、一部の選挙で選ばれた人間が人々を代表して政治を行う代議制の仕組みが今でも最も有効な手段であるか、疑問である。

今日の社会問題や政治的課題は非常に複雑である。様々な分野の問題に関して、自分の意見を全て反映するような政治家や政党は存在しない。アジェンダごとにそれぞれの考え方があるのが普通ではないだろうか。その点で、政党政治はもはや意味をなさない。

世の中は労働者対資本家のような明確な対立ではなくなっている。貧富の格差はますます広がっているのは確かであるが、同性結婚を認めるべきか、移民を受け入れるべきか、日本は核武装すべきか、などと社会経済以外の分野にも政治の議論は広がっているからである。

私は、これまでの間接民主主義の仕組みから、段階的に参加型民主主義に移行することが健全な変化だと考えている。その変化の最初の段階として、地域社会を自治する仕組みを再建すること、そして連邦制への移行がそれを可能にする。

理由6:国際秩序の変化に対応するため
連邦制は今後日本周辺で起こりうる、国際秩序の変化に対応する手段を提供してくれるかもしれない。

異なる民族や宗教が同じ国に暮らす場合において、連邦制が採用される場合がある。例えばスイス。ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語が使用されるスイスは連邦制採用している(厳密にいうとConfederationであり、各州がその国に帰属するかの自由ある。ドイツやオーストラリアのFederationの州にはその選択はない)。インドやブラジルなどもともと多くの人種が暮らしている国でも連邦制が採用されている。

日本では同じ言語と民族が国民の大半を占めているが、少し歴史を振り返ってみたい。第二次世界大戦の前、そして第一次世界大戦前の地図を眺めると、台湾、南樺太、千島列島、パラオなどが日本の領土であった。

もちろん私は戦争のない平和な世界を望んでいる。しかし今後、世界の国境線が変わることはないとは断言できない。

特に日本政府は北方四島の返還を強く求めている。昨今のウクライナ戦争の影響でロシア衰退やもしくはソ連のような崩壊の可能性すらあると考えている。その場合、長年の望みであった北方四島変化のう可能性が見えてくる。

しかし、仮に領土返還がなされたとしよう。どう統治するのだろうか。そこに住んでいる住民はどうするのか。一部の人間は日本統治を嫌がって、別の場所に移住するかもしれない。一部の人間はそのまま住み続けたいと思い、現地に残り日本統治を受け入れるかもしれない。戦前、北方四島に住んでいた住民とその子孫の方々はどうするだろうか。別の地域で生活しているため、実際に島に帰還する人は限定的になるかもしれないが、一部の人は帰還するかもしれない

ありうるシナリオの一つとして、ロシア系住民がロシア語を使い日本という国で生活していくことを想定しなければならない。その場合、どう統治するのが良いだろうか。

連邦制であれば、日本の統治下に置かれつつも、一つの州として独自の地方自治を行える。そうすれば、現在の住民からの抵抗も少なく段階的の日本社会との距離感と融和を進められる。連邦制の導入は日本近郊での国際情勢の急激な変化にも対応できる柔軟さを与えてくれる。

理由7:日本が地球規模課題の解決を牽引するため

連邦制を実現すると、国内の問題は主に州政府や基礎自治体によって対応されることになる。そうすることにより、連邦政府(国)は国際関係に集中できるようになる。広い視点で、国際舞台で「国益」を重視した動きが取れるようになる。

同時に日本はもっと積極的に国際的な課題の解決に取り組むことができる。気候変動、エネルギー、安全保障、貧富の格差、食糧危機など、世界は困難な時代に直面している。

ただただ、諸外国や国際機関に言われるがまま、金を出すだけの国際貢献では、有益な貢献ではないし、他力本願である。

お金を出すことが悪いわけではない。重要なのは、自ら考え、行動し、問題の解決に取り組むことである。日本は特別な存在である。先進国でもあり、非キリスト・有色人種の国でもある。混沌する世界の調整役として、日本政府にはより多くの役割を担うべきである。それを可能にするのが連邦制の導入である。国内問題の対応を州政府や基礎自治体に移行することで軽減できるからだ。

連邦制への移行手順

では具体的に連邦制への移行やそれに伴う改革をどう進めていくべきか。

  1. 各省庁は地方に設置してある「局」への人事配分と権限を増やす。(国土交通省東北地方整備局、財務省東北財務局など)

  2. それぞれの地方で「局」同士で年に数回「サミット」を開催し、合意文書を作成する。合意文書にはそれぞれの地方における経済発展の戦略、社会問題への対策などを明記し、それぞれの機関が既存の権限と予算内で合意文書の目標の実現に向け行動する。サミットには「局」のほかにオブザーバーとして都道府県や市町村、JRや電力会社などにも参加を呼びかけ、合意文書の実現に向けての取り組みへの協力を要請する。

  3. 各省庁で「局」の管轄エリアが統一されるよう調整する。

  4. サミットが定期的に開催され、調整業務が拡大するようになったら、「サミット事務局」を立ち上げる。

  5. 「サミット事務局」には各省庁・局からスタッフを出向させ、運営予算を拠出する。

  6. 段階的に「サミット事務局」の権限と予算を強化し、州政府の母体とする。最終的に経済産業省、農林水産省、国土交通省、財務省、文部科学省、環境省、厚生労働省、法務省の公務員はそれぞれの「局」に出向する形式をとり「州政府」職員となる。

なお、これらの省庁はの一部の人員は内閣府に出向し、外務省、防衛省、内閣府、国家公安委員会と共にコンパクトな「連邦政府」を設立する。

いかがだろうか。ざっくりとした提案であるが、実現できそうな改革ではないだろうか。ご意見・感想があれば、お気軽にコメントしてくれると嬉しいです。

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