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25歳を終える前に、外出自粛の今だからこそ、もう一度自己分析してみた②

どんどん行きます!

こちらから読んでくださいね。



3)私のやりがいは、人に楽しんでもらうこと、笑顔になってもらうこと、幸せになってもらうこと

もはやこれが人生のテーマです。
志望理由書には、これをまずどーんと書くんです。そのために、学級委員とか委員長しましたって書くんです。その上で「聴く」ことを大事にしていましたって書くんです。繋がりますよね。他者に視点があるから、他者の意見を取り入れるほかないんです。

とにかく、自分のために頑張ることが苦手。もうずっと(笑)
例えば、自分の部屋の掃除はできないけど、学校の教室の掃除は好き。自分で勉強するのは好きじゃないけど、他人に教えるために勉強するのは好き。
学級委員の時は、どうやったらクラスみんなが楽しいって思ってもらえるか考えました。行動しました。
高校の時は言うまでもないです。実は、文化祭の3日前に火事があって、文化祭のものも燃えてしまうのですが、その上で、1日目迎えた時。校舎を回っているときに、どこに行っても楽しそうな人々の姿があって、「ああ、このためにずっとやってきたんだ」と思えました。すごい幸せでした。これが幸せなんだなって思えた。

この思考があるので、一緒に仕事をしている人たちにも仕事しやすい環境をつくりたいと思うようになります。だから、話を「聴く」にも繋がります。これが今の仕事選びにもつながったんです。自分がプレイヤーとして教員やら塾で生徒と対峙するのではなく、熱心に対峙している先生たちを助けたいと。

いつも誰かのことを思い、誰かのために行動してきたんです。

その反面、弱みは自分を大事にしないこと。断ることができない。自分しか関係のないことは頑張れない。早起きとか(笑)



4)距離感も大事

上記を達成しようと思ったときに、もっとこうレベルの高いことは望まないんです。
生徒会でなく、学級委員だった。それはクラスという単位の方が動かしやすいと思ったから。生徒会でなく、文化祭の運営委員だった。それは文化祭という催しが持っているパワーが分かっていたから。
遠すぎると、意見の集約が難しい。だから、私にとって距離感が大事なんです。もっと近くで関わっていい方向にもっていきたいんです。

そうそう、昔教員を志していたころに、教育委員会に入ることも考えました。教育を変えるにはここだ!と。でも、現場と離れているのでやめましたww



5)周りを自発的に動かす

楽しんでもらいたい、そう思ったときに楽しさってどのように生まれるのかなと。それって、与えるものではなく、掴んでもらうものだと思うわけです。
だから、自発的に人を動かすにはどうすればいいか?これは永遠の課題でした。

高校の時は、まず周りの人を固める。その周りの人を固めるとつなげていけばコンプリート出来るじゃん!と思っていました。高校生のときはみんな高校生であるし、規模も大きくないので、まあ十分でした。

大学のときは、バイトでは悩みました。バイトだから。同じレベルを求められないと思いました。

社会人、とくに社員からアルバイト講師に求めるのは難しさMAXでした。私が学生の時に良心でやっていたことも、同じことを求めるとブラックと言いかねない。自分がやるしかなかったなあと。
それでも何人かの学生アルバイトの講師は主体的に、講師の仕事をしてくれていました。それで満足かなと。

多様な人がいる中での組織づくり、マネジメントは今後も課題だなと思っています。



6)自分で自分をコントロールする、自分で得たり掴んだりした楽しさ・充実感・やりがいを分かっていた

なぜ5)に行きついたか。
自分自身は、自分が動くことでホントにいろんなことを得られたからだと。その経験から、言われた通りやるんじゃなくて、自分で選択して動いた方がいいってことが分かっていたのだと。



7)主体性を確立し、創造力を発揮すること

私の目指す教育は、ここに集約されるわけです。
これも志望理由書に書いたやつ。



8)やりたいことをやると決めたらやる。時にはノリと勢いも大事。

6)を裏付けるのは、私のこの思考だと思います。

トコトンやってきた25年間なんです。
って思ったけど、そうでもないや。幼いころは3人兄弟の長女でお金がないとずっと言われてて、習い事もなかなかさせてもらえなかったし(ピアノだけはさせてくれそうだけど全力で拒否した。多分親の思い通りになるのが嫌だったw)、もちろん塾にも入れてもらえなかった。お金に縛られていた。でも、お金がなくても、やれることはあった。勉強は学年でもトップクラスだったし。だから、どうとでもなるっていう思いはある(笑)

なので、中3で周りが引退しても部活に残って、11月の大会を目指す。高3で委員長だったのに、周りが引退しても部活に残って、8月のコンクールに出る。大学生の時も教育実習の間に本番ありました。もう好きなだけやってますよね。

縛られるのはおかしい。と思っているので、高校の時なんかは部活で入れる委員会と入れない委員会があるのはおかしいとか問題提起しています。これも白書かな。

もちろん、悩むこともあるけど、少しでも気持ちが傾いたときに、もう私やるしかないんだなと悟ります。これはやるんだなと。自分でこの感覚分かります。高校の時は先輩にも「やりたいと思ったことはやったほうがいい」と言われてますます拍車がかかったように思います。
その結果、120%全力疾走の自分が誕生する訳です。

基本やるので、マルチタスクになりがちなのですが、メリットを感じていて。
①余計なことを考えない
 悩む暇がありません。進むのみ。
②応用できないかを考える
 他のことに転用したり。アレンジが効くようになる。相乗効果が生まれる。
③他のことが逃げ場になる
 現実逃避先になる(笑)
 例えば、大学生の時は授業、自動車学校、演奏会のステマネ、卒論、政策提言イベントの準備などなど控えていましたが、演奏会業務の現実逃避先が卒論になっていました(笑)

つまりは、失敗が怖いんです。これだけやっていれば言い訳ができる。ただ弱いだけなんだとも、私は認識しています。



9)そんな私を止めるものはなにか?

そんな自分にもやらないと決意したこともある。できなかったこともある。それってなんだろう?と考えたわけです。

①生産性があるか。見込みがあるか。良くなるのか。
②前例があるかないか。
 ただ、ドンピシャな前例でなくてもある程度はできる。
③協力者はいるか。受け入れてくれる人がいるか。
 輪を大事にするので、一人では動きません。基本。
④どこにどう動くかイメージ持てるか。
⑤それを成功させるための時間があるか。
⑥お金があるか。

このあたりでしょうか。クリアできたときに、クリアできると見込みがついたときには走っています。

今後、自分を大事にするためには、この視点が大事かなとは思っていて。なんでもかんでもやります。できます。と基本言うのだけれども、つらい思いすることもある。そうならないために、意図的に、戦略的に断る、辞めるってことをもっとやっていかないといけないかもしれないなと思っています。断る勇気。欲しいです。



ここは私の軸となるものに関するパートでした~
要は、人と人との関わりこそが人間を成長させてくれると確信しているんです。自分がそうだったから。

つづく