【私が写真を撮る理由】自分の感性への好奇心
私が写真で切り取りたいのは「ただそこにある時間と色なのではないか」と最近思い始めた。
スナップと呼ばれる写真ほど印象的ではないけれど、きっとそこにあった光と影。色、時間。
それらが私の琴線に触れて、私はシャッターを切らされている。
こうやって見てみると、どこで撮ったかがじんわり思い出せない写真ほど、私の写真だなあと思う。場所がどこかなんて関係なくて、ただいいなと思ってシャッターを切った。その素直さが私は好き。
私の尊敬するフォトグラファーさんが「撮るために出かけることはしない」とおっしゃっていた。あくまで見ることが目的で、そのついでにカメラを構えてシャッターを切る、と。
私は見たものをどこかに留めておきたいのかもしれない。
感情がどこかに流れるのを知っているから。「あっ」って思った瞬間の自分が容易にいなくなるのをわかっているから。
そして今はいろんな場所を撮るために出かけてみたい。
どんなものに「あっ」と思うのか。
今の私の琴線に触れる色はどんな色をしているのか。
誰よりも私自身がそれらを見たいし、知りたい。
だって、それらを見たり知ったりしなければ、出会えない感情なわけで。感じることも分かることも理解することもない。私の知らない私に一生出会えない。
でも私は、私の知らない私に一つでも多く出会いたい。一つでも多くの私自身の感性を知りたい。私が私を知りたい。
それがなんだか写真を撮りたいという原動力な気がしたし、こうやってnoteもずっと続けている理由な気がする。
明日仕事なのに、こんな時間にnoteを書いてしまうのは、やっぱり今の自分の感情を、私自身が知りたいのだと思う。
はあ。なんだか、とってもすっきりした。誰かのために、って思ったことももちろんあって、悩んだことなんて数えきれないけど、私が私を知るために撮るし、書くのなら、それを続けていきたい。
それが私を幸せにする唯一の手段な気がする。明日も私を知るために、写真を撮って、文章を書く。
記事を好きだな〜と思ってくれた方のスキとシェアが一番嬉しいです😭 読んでいただいたみなさまありがとうございます。 もしサポート費用がいただけたら、書籍もしくは35mmフィルムの購入に充てさせていただきます。これからも自分の写真と文章で更新していくので応援よろしくお願いします!