大人になりたかった〈短歌×随想〉

 子供の頃、職員室が好きだった。

 コーヒーのにおい、仕事をしているという雰囲気、先生同士が「同僚」としてふざけあっている様子。
 常にスーツ、逆にいつもジャージ、上だけジャージを羽織るなど、先生それぞれのスタイルの過ごし方や、机に乗っているお菓子や私物を見るのが好きだった。

 思えばコーヒーが飲めない頃からコーヒーの香りは好きだった。幼稚園児の頃、親が役員をやることになり、会合などに連れてこられることもたまにあったが、その会議室の様子もなんだか居心地がよかった。
 「整理整とん」と書いた紙が貼られた古びた戸棚の脇で、これまた古びたパイプ椅子に座り私はお菓子を食べ会合の終わりを待っていた記憶がある。
 そのときもコーヒーのにおいがしていたし、そのなかで大人たちがワイワイやっているのを見るのが好きだったんだと思う。

 それから中学、高校と進むにつれ、私は早く就職したいと思うようになり、同時に職員室にも入り浸るようになった。
 なんとなく大人の世界に入った気がするのが好きだったのかもしれないが、先生にしてみれば迷惑な話である。さっさと仕事を終わらせて早く帰りたかっただろうに、生徒に居座られて作業もできない。今となってみれば申し訳なく思う。

 年を経て、私も社会人になった。数年は学生気分が抜けていなかったであろうぬるい社員だったと思うが、なんだかんだ楽しくやっていた。
 しかし、ここ数年はようやく社会の波に揉まれながら責任を知り、くたびれてきたのと同時に、働くことが嫌になってきた。今は早く貯えを増やして、職を退き、隠居生活を楽しみたい気持ちである。

 早く大人になりたいと生き急いできたが、高校生の頃がなんと気楽でよかったことか。
 私は昔から、将来のために今を我慢して生きてきたと思う。そのおかげで今があるのは確かなのだが…
 選んだ道は後悔していないものの、可能な限りモラトリアムを引き延ばしておけばよかったなどと、思ってしまうのである。
 あのころもっと、"今"を楽しんでおけばよかったと。
 でも、もしかしたらそれは、いつになっても思うことなのかもしれない。

 あの頃に望んだ未来手に入れて
      いま憧れるあの日の私