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野球

私は野球が好きだ。野球を始めたのは小学五年生の時に父とキャッチボールをしたのがきっかけだった。地元に野球チームがなくて代わりにソフトボールチームがあったので入ろうと思っていた。練習体験ができるみたいだったので参加させてもらったが、きつくて入る気がなくなってしまった。しかも私がしたいのは野球だったのでソフトボールをしたいとは思わなくなった。小学生までは友達とキャッチボールをしたりして遊びで野球をして中学生になったら野球部に入ろうと決めた。

中学生に上がるとすぐに野球部の体験に参加した。ソフトボールの時とは違って自分が思い描いていた野球そのまんまだったので一瞬で入る決意をした。その当時仲の良い友達も野球部に入る予定だったので人間関係で困ることはなかった。中学一年生の時はいわゆる雑用係といったポジションでボール拾いをメインにしていた。けれど、先輩が野球している姿を見るだけで楽しかったので何も苦痛に感じなかった。中学二年生になると雑用から抜け出し、三年生と合同で練習をすることができた。ボール回しというキャッチボールをベース上で行う練習があったが、これがかなり精神的にきた。連続で50回続けなくてはならなかったのでミスすることが許されない。平日の練習は他の部活もグラウンドを使用していたのでノックメインの練習でバッティングはできなかった。

必死にうまくなろうと練習したので二年生ながらスタメンの座を獲得した。プレッシャーを感じたけれど、実力を認めてくれたことが何よりうれしかった。しかも打順は5番でクリーンナップだった。ポジションはライトだった。(クリーンナップとは打順が3,4,5番の人を指し、バッティングで期待されている人が任される位置である。)頼れる先輩が多かったので伸び伸びバッティングすることができた。

先輩が引退して三年生になるとチームの主力として4番を任せられた。スランプになってチームに迷惑をかけた時期もあったけれど、公式戦では地区3位まで成績を伸ばせた。最終公式戦の直前の練習でチームメイトとぶつかって大怪我をして試合に出場できなくて凄く悔しかった。最後の公式戦は初戦で敗れてしまってあっけなく引退してしまった。自分が怪我をしてなければチームに貢献できたのに。。最後のミーティングで私は責任を感じて泣いてしまった。でも、チームメイトは誰一人文句を言う人はいなくてむしろ暖かい言葉をかけてくれた。

最後の最期に怪我をしてしまってチームに貢献できなかったことに未練はあるが、そこで怪我をしてしまう自分の実力不足だと今では思っている。中学時代は野球に専念した三年間だった。後悔もなく自分なりにやり抜けた。今では良い思い出だし、これからも野球はずっと大好きだ。

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