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偏差値27の高校3年生による日記#120 「独白」

不安だ。

あと2日、あと2日後の試合。

高校生最後の試合かもしれない。

華の引退試合。

それはほぼ矛盾しているに等しい言葉だと、今気づく。

負けてしまえば、ここで僕の高校部活は終わってしまう。

勝ちさえすれば、自力で初めて出場する全国大会、中学一年生からこの競技を続けてきて、最後の夢の地。夢の果て。

華の舞台。

最後だから、頑張るというのは違うとは思うが、だからこそ今まで、妥協せずに頑張ってきた自分がいるはずだ。いや、いる。

少なくとも僕自身は自分の姿を改めて振り返ってみてそう思う。

いつからこうして自分を認められようになっただろうか。

いや、未だに認めてない節も多くあることは否めない。

自分を否定することが、肯定することが、いい事だとは一概には言えない。

自分を理解しているだろうか、どういう人間なのだろうか。肝心のその答えは多分いつまでたっても分からないのだろうが、分からないのだろうが、

ある一点において、その時その場に直した自分がどのような行動をするか、それは過去の自分、つまり今の自分は、未来の自分を信頼している。

同時に、今の自分は昨日の、1ヶ月、1年前の、6年前の自分の選択を適切なものだと認めている。

なぜなら今こうしてこの世に生きて、少なからず楽しいと思えているのだから。

未来の自分も、過去の自分も、そして、今の自分も。結果論としても、そうでなくとも、正しいとは言わずとも、納得する結果である。


試合を控えて、漠然としたこの不安は、未来の自分を信用していないということなのか?

いや、そうでも無いのではないかと。

信用しているからこそ、そして今の自分も信用しているからこそ、その時、その瞬間何が起こるか、その結果どうなるかが不安なのだ。

しかしこの不安は、未来への希望への背反では無いのだろうか。

希望、いや、成功というのか。希望と言うにはもっと確実な、そう。

と、こうして文字に起こして信じたいと思っている今の自分もいる。

改めてどうしようもなく愚かな野郎だ。

愚かだが、愚かでも、愚かだからこそ、賢人が気にもとめない、気にする価値もないようなことを拾ってきた自分自身が、今の自分を作っているのではないかと考察する。

結果がでなくても、他人に認められなくても、運がつかなくても、自分の弱さに呆れ返っても、1年生の時に、多分1年生の自分が思ったあるひとつのことを貫いた

「インターハイに出たい。」

「あんな先輩みたいになりたい。」

「6年間部活絶対辞めない」

この選択が、願いが、決して合理的なものだとは思わないし、むしろ無謀な挑戦で、無鉄砲なものであるとは認めよう。

しかし、合理的なものでは無いが、間違えではなかった。むしろ僕にとって、僕自身の全てにとって大正解だったと、今に至ってそう思うのだ。

やめてぇと思ったことは恐らく幾度となくある。
その気持ち、その苛立ち、悔しさ、悲しさ____。

忘れてしまったことはない、が、今その感情は片隅にさえもない。

本当に。

それはやはり、過去の自分が決めた思いを尊重した過去の自分がいるからだろうし、

一度寝たら忘れる、いや、一度帰ったら忘れるようなこの単純明快な人間性が功を奏したのだろう。

アイドルの曲を聞けば治る機嫌。

部活をすれば治る頭痛。

部活の防備に着替えてさえいればいくらでも出せるエゴ、自信。

身勝手なクソ野郎とも思うし、我ならがらとんでもねえやつだも思う。

考えているようで考えてないその一つ一つの行動が今の自分を作っているのだと考えれば、

その行動を無下にはしたくないし、今を楽しいと思わせてくれている過去の自分を尊重し、未来の自分を信じてやろうと、今の自分の過ごすこの瞬間を大切にしてやろうと、思いたい。いや、思う。思うぞ。

そうする。

自分ならやれるとい謎の自信を持ち続けている自分をバカにしながらも誇っていたい。ありがとうと言いたい。

そう、こうやってしている間にやる気が出てきた自分。

やはり単純明快で馬鹿なヤツだなぁと。


自由に、自信を持っても持たなくてもいいから、その時の自分に出来る最高を。全てをかけて、自由に。そして大胆に。推しにに誇れるような

さぁ、今日も一日。頑張ろうかな!!!!!


「THE EASY WAY HAS NO MEANING」

@日向坂46 青春の馬

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