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自己紹介|はじめてのnote

私の人生これまでと今
へいへいみーやんの人生と黒歴史


こんにちは、へいへいみーやんと申します😁
現在はドイツ🇩🇪デュッセルドルフに住んで現地の美容院で仕事をしながら、YouTubeやブログなどのSNSで日々の出来事などを呟いてます😘!!

私は多重人格???と思われるような、
女芸人???のような、ありのままの
感情や生活を表現しているYouTubeなどの『へいへいみーやん』モードの時と、


常に緊張感と無言の職人モードになっている
美容師の仕事モードの『Stylist Misaki』


と二面生があります。

今回は私のこれまでの人生を振り返りながら、自己紹介をさせていただきます。

幼少期

私は福島県福島市のど田舎で生まれ育ちました。
幼い頃に両親が離婚し、その後は母と祖母に育てられました。
幼少期から極度の人見知りで、初対面の人と話すのが苦手でした。
また、興味がないことにはまったく関心を持たない性格で、自分の興味に忠実に生きてきました。

学生時代

学生時代はまさに「興味があるものしか目に入らない」という性格が全面に出ていました。興味がない科目は本当に手がつかず、テストで0点を取ったことも何度かあります。あるとき、歴史のテストで歴史上の人物の名前を聞かれた際に、何を思ったのか、自分の名前を書いて提出してしまいました。その答案が貼り出され、皆の笑いものになったのも今では懐かしい思い出です。
ただ、歌うのが好き〜❤︎体を動かすのが好き〜❤︎という理由で音楽や体育といった興味のある科目に関しては成績が良く、音楽や体育では「5」を取っていましたが、それ以外の科目では「1」なんていうこともよくありました。自分の興味に左右される学生時代を過ごしてきました。学生時代、私は次第に興味ない授業を聞くのが苦痛になり、学校に対する興味を失い、途中で通わなくなってしまい地元のギャル友?達と遊んで過ごす学生時代でした。

後にADHD(注意欠如多動症)が発覚😂!!




母が再婚し、妹が産まれて学校に行かずに妹と祖母と一緒に遊びながら料理人の祖母から、いつも「手に職をつけることが大切だ」と言われ続けました。小学生や中学生の頃から、お小遣いで化粧品やヘアカラー剤を買い、自分で髪を染めることに夢中になっていました。この頃から自然と美容への関心が強まり、美容師になりたいという思いが芽生えたのかもしれません。


また、母と祖母は私達の子育てに忙しい日々の中で自分達の美容院の時間も削って子育てをしてくれていたので、いつか自分の手で綺麗にしてあげたいと思いその影響もあって、
私は美容師になることを決意しました。
中学校を卒業後定時制の高校を数ヶ月で中退し、地元の中卒でも入れる美容学校に進学しました。


美容師への道

美容学校に入学すると同時に、一人暮らしを始め、中学校に行かずに高校も中退してしまった私が母に学費を払わせるのが申し訳なく自分で学費を払うことを決心して、賄うために3つのバイトを掛け持ちしました。



働きながら勉強する日々は決して楽ではなく、数百万円の学費を自分で払い続けることは17歳の私にとっては大変な挑戦でした。

担任の先生が母のように毎日モーニングコールをしてくれて起こしてくれたり、クラスメイトの人達がいつもクラスに暖かく迎えてくれて、周りの人達のサポートがあり無事に国家試験が合格と卒業ができました。この経験は私に強い責任感と忍耐力を教えてくれました。

美容師人生の始まり


美容学校を卒業の翌日に、東日本大震災があり福島で被災し原発事故を間近で経験し、死を覚悟しました。


その時に、自分の人生に悔いがないように生きようと強く心に決め、新卒で大手美容院に勤務しました。ここで多くの経験を積み、技術を磨くことができました。


初めての海外は、20歳のときに会社の研修でロンドンのヴィダルサスーンアカデミーで本場のカットの勉強をしました。


研修旅行でプラスで、オーストリア🇦🇹ウィーンに行き、いつかはヨーロッパに住んでみたいな〜と密かに思っていました。


2014年の(22歳)短冊🎋笑


サロンの開業

23歳のときには、結婚を前提にお付き合いしてた彼の出資の元東京港区にトータルビューティーサロンを開業しました。

キッズスペース付きサロンで、ネイル、まつ毛、ヘア、スキンケアなど、幅広い分野が同時にできるサロンでした。しかし彼は持病が悪化し突然死してしまい、サロンを閉業することを余儀なくされ私はまた新たな人生を切り開くことを決意しました。


ハワイでリセット

20代は前半はあまり経験するようなことのない破天荒な経験ばかりで、メンタルの休息や心のリセットのためにハワイに3ヶ月程滞在しました。マッサージの学校に通いながら、ゆっくりと青い海を見ながら過ごす時間がとても幸せでした。
この時に日本で活躍する多くの有名人や著名人との出会い、新たな視点で物事を見たり、インスピレーションを受けました。

その後、日本に戻ったら、世界一周クルーズ船の会社がスカウトを受け船で美容師として働く経験もしました。


クルーズ中に南半球のルートを4ヶ月かけて訪れながら、世界中の人々に美容師として携わることができました。

ドイツに来たきっかけ

ハワイで出会った友達に誘われて、とりあえず行ってみよっか〜と、軽い旅行半分でドイツにやって来ました。
しかし、ドイツで仕事が決まった最中にコロナのロックダウンが発生し、美容院が営業できない状況に直面しました。日本にも帰ることができずに何もないドイツで女子2人で仕事もない状態で生活していました。



この困難な時期に、私は14歳から趣味で続けていたブログを活用し、本格的にSNSでの情報発信に力を入れることを決意しました。
日本への開国と共に、日本に1年ほど帰国した際に、中学の同級生の誘いでYouTubeを始めることを決意しました。

日本では他の美容師と差別化するために、『ぶっ飛んだ面白いことをしよう!』とか『太ったキャラクターを活かそう』など友人のアイディアの元いろいろな動画を制作してみました。カメラに話すこと苦手すぎて、慣れるまでライブ配信をしようと練習がてらライブ配信をはじめたところ、ライブ配信のリスナーさんのファンが急増しリスナーさんとの絆が深まりました。


再びドイツへ


ロックダウン緩和と共に、また通常のヨーロッパの観光とかしてみたいな〜という軽い気持ちで、ライブ配信の収入で食いっぱぐれることはないだろうと再び軽い気持ちで、ドイツに戻ることにしました。

到着初日に、ドイツ人で日本語含め5ヶ国語話せる友達ができました。

ギュルシェン🫶

当時は日本はまだコロナの制限があり仕事ができるだけでありがたい🙏と思い、とにかく当時のオーナーに言われるがままに昼夜仕事をしていましたが、次第に『ドイツの労働法』『街のコミュニティの狭さ』『海外生活の闇』や『意地悪な日本人』などと直面したり、違和感を感じることが多くなりました。

また言語の通じない海外生活の中で、自分がわからないことに対しても、様々なコンテンツから四六時中『教えて』とDMが殺到し、どうにか返信してあげたいと、その対応に追われる日々が続いたり、美容師をしてお仕事をしているとSNSを見て来て頂けるお客様が増え、SNS上での自分と現実世界で期待して来店されるお客様への対応のギャップにも苦しむことがありました。
SNSでの活動が増えるにつれアンチコメントや心無い声に悩まされることが増え次第にストレスを感じるようになりました。

さらにドイツに来てから、新しく彼氏ができ彼にはとてもお世話になり助けてもらっている部分が多く、彼にはSNSを通じて迷惑をかけたくないという思いから、発信する内容を抑えることにより本当のことを発信できなかったり、リアルタイムを発信するライブ配信などの活動がしにくくなることにより、自分自身の目標に対して徐々に封鎖されているような気持ちになり、自己嫌悪に陥ってしまうこともありました。

彼と今後も一緒に居たいという思いが確信に変わってきて、今後ドイツに滞在するにはビザの更新が必要でこの状況で取得するには、就労ビザしかない!と、現地サロンに飛び込んでみたら働かせてもらえたものの、売上を1番上げていたにも関わらず、全然給料がもらえなかったり、オーナーにストーカーされたり、なんてこともあり、ドイツに来てからも波瀾万丈な人生を送りながら日々葛藤しております。笑

↑またこの辺は別記事で詳しく書きたいと思ってます。


現在は、現地美容院でお仕事させてもらっていて、ありがたいことに、完全指名制で、ご紹介、SNSからご予約が殺到しており日々自分を選んでくれるお客様で満たされており、職場にもお客様にも恵まれた安定した生活が整い、やっと自分の気持ちやこれまでの経験など書けるタイミングかなと思いこの記事を書いてみました。ドイツ生活はまさに、サバイバル!!!笑

想像以上に大変なこともたくさんありますが、ドイツで良かった〜!!!と思えることもたくさんありますので今後ドイツ生活に役立つ情報なども発信していけたらと思います。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。
私のことを少しでも知っていただけたなら嬉しいです。
これからもドイツ生活に役立つ内容や、皆さんが1歩踏み出せる勇気が出るような内容をお届けしていければと思います😆!!!



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