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「反五輪の会」が発表した「20年8月見解」のどこが問題か──その内容を詳細に検証する

この文書は、別に公開している記事(「反五輪の会が発表した『見解』に抗議します」)の続きです。さらに掘り下げて、「20年8月見解」の問題点を詳細に、具体的に検証してみたいと思います。長くなりますが、ご一読をいただければと思います。

事態の経緯については、私たちのnoteの「出来事の主な経緯」をご参考ください。

Dの気持ちに「向き合う」としつつ、話は別方向に進んでいく

「20年8月見解」は(1)から(5)の5つの項目に分かれています。

これを順に検討していきましょう。

「(1)はじめに」

この項目は、いわば全体のイントロデュースです。そこでは、私たちの「声明」で紹介した「Dさんをつらいお気持ちにさせていた」ことに「向き合う」という宣言に続いて、彼らが18年11月22日の渋谷での上映会で起きた出来事に対して、当時、「場で起きたことに責任を持つ当事者」として「Dさん、Aさんのどちらが被害者で加害者かを拙速に裁定しない、当事者の気持ち、要望をそのまま伝える、という対応」を行ったと主張します。

ところがその後すぐに話題が変わり、17年9月の「no limit ソウル」で起きた問題(私たちのnote内「Dへのインタビュー前編」参照)で「植民地主義的な性差別発言を告発した人たち、それに連帯した人たちに対する二次加害が今も続いている」という話で結ばれて終わります。

「反五輪の会」が、Dを「つらいお気持ち」にさせた18年11月の渋谷での出来事と、「no limit ソウル」で起きた問題とその「二次加害」がどうつながると考えているのか。その説明は、ここには全くありません。それどころか、何を主張したいのかもはっきりしません。

「(2)2019年5月1日 Dさんによる公開文書に対する反五輪の会の見解」

先述したように、この項目は、19年7月19日に「反五輪の会」が韓国語で発表した「2019年5月1日 Dによる公開文書に対する反五輪の会の見解」(以下、「19年7月見解」)の日本語訳を再掲載したものです。Dが同年5月に韓国語で公論化した文章に対し、「私たちの見解と異なる認識」を広めているとして「強い懸念」を表し、彼らの視点から「私たちの見解」をさまざまに展開しています。

Dや私たちがすでに問題点を指摘した文書をそのまま再掲する

この「19年7月見解」については、私たちのnoteの「出来事の主な経緯」の中でも言及し、それが含む基本的な矛盾や疑問点について指摘しています。D自身も、「反五輪の会」に送ったメールの中で、いくつもの問題点を指摘しています。

にもかかわらず、「反五輪の会」は、今回、この文書を何らの訂正や留保、検証もなしに再掲載し、そのまま20年8月現在の「反五輪の会」の見解としました。そのことは、彼らがDの訴えを受け止めず、私たちのnoteの指摘をも黙殺したことを端的に示しています。

この「19年7月見解」で、彼らが語る「私たちの見解と異なる認識」とは何でしょうか。中心的に語られているのは、18年11月に起きたことは「Aさんあるいは〈平昌オリンピック反対連帯〉による『排除事件』」ではない、という主張です。それは、①Aさん、あるいは「平昌連帯」がこの出来事の主体ではない、②起きたことは「排除」ではなかった――という二つの意味を持っています。

「反五輪の会」は、この日、Aさんの不安に対処するため、DとAさんの「双方の意思を尊重する」対応をしようとしたとしています。「Aさんの提案をDさんに伝え」「Aさんに、Dさんの提案をそのまま伝え」「後はAさん、Dさんがそれぞれ判断することである」という対応です。ただし、その過程で「Dさんへの配慮に欠けていた部分があった」「必要以上の圧力を与える対応になった」ことは認めています。

つまり、「反五輪の会」として、不安な気持ちを抱くAさんという参加者個人への「必要な配慮」を「双方の意思を尊重する」かたちで行ったのであって、「排除」ではなかったし、Aさんが「メインゲストという権力」を行使してそのようにさせたわけでもない、ということです。

そして、にもかかわらず、Dが韓国語で公論化した文章でそのように書いているとして、Dに対して「私たちは不信感を抱かざるを得ません」と強い言葉で批判を向けています。

ところが、この主張は多くの事実認識の歪みの上に立っており、重要な部分で事実誤認に基づいています。

Dの公論化文書の「主題」を無視する

第一には、この批判が、Dの公論化文書の「主題」を無視した上に進められていることです。すでに私たちの「声明」で指摘したように、この公論化文書は、18年11月に起きたことそれ自体や「反五輪の会」に抗議することを目的としたものではなく、「平昌オリンピック反対連帯」(以下、「平昌連帯」)が19年1月13日にDに対してメールで送ってきた文書に示された立場表明に対する抗議を目的としています。にもかかわらず、「反五輪の会」のこの見解は、この「平昌連帯」の立場表明自体が存在しないかのように話を進めているのです。

すでに私たちのnoteでも書いていますが、「平昌連帯」はDに送ったメールの中で、18年11月の渋谷の出来事について、Dは「nolimit関連の加害者」であるから「参加の範囲を制限するのは当然」だとして、上映会での対応は、「nolimit当時のD氏の行動についてAが反五輪の会に説明」し、それを受けた「日本側の共同主催者たちが議論を経て」行ったことだと説明しました。さらに、自分たちはこれからも「強姦文化と家父長的権力に妥協せずに対決していく」と宣言しました。

Dはこのメールを読み、自分が事実上、「強姦文化と家父長的権力」に加担する「加害者」と規定されたのであり、今後も「対決」の対象とすることを暗示されたのだと感じました。つまり、渋谷で起きたようなことが、他の集会参加でも繰り返されるかもしれないということです。公論化は、それについて「平昌連帯」に抗議するために行われたのです。

ところが「反五輪の会」の「見解」は、公論化文書の主題であるこの「平昌連帯」の表明については全く言及せず、それによってDの公論化文書がAさんへの個人攻撃を意図しているかのように読者をミスリードしています。

第二に「反五輪の会」は、この欠落によって、18年11月の渋谷での出来事についての彼らの説明と「平昌連帯」による説明の間に矛盾があることを無視して済ませています。これについても、すでに私たちのnoteで書いたことです。具体的には、「反五輪の会」が、Aさん個人の不安に配慮し、個人としてのAさんとDの「双方の意思を尊重する」対応をした、としているのに対して、「平昌連帯」はDが「nolimit関連の加害者」であることを日本側の「共同主催者」に説明し、「参加の範囲を制限した」と表明しているという矛盾です。

Dの文章を「誤読」して「不信感」を表明する

第三に、「反五輪の会」がDに対して「不信感」という強い言葉を投げつけている部分が、Dの文章の「誤読」に基づいているということです。

この部分は、この「見解」の中で、特に重要な位置を占めています。「反五輪の会」は、18年12月3日のDと「反五輪の会」の話し合いを経て、Dが「Aさんがメインゲストという権力を行使して「反五輪の会」を圧迫して排除した」というそれまでの認識を「撤回」したと表明していたのに、公論化文書の「注5」の中で、また同じことを書いているとして、Dへの「不信感」を表明しています。

ところが実は、Dは「注5」においてそんなことを書いていません。以下、該当部分を翻訳して示すので、実際に読んでご判断ください。

「(18年11月の現場で)私が立ち去らなければ映画祭自体が開かれないかもしれない状況の中で、私は『Aさんがメインゲストという権力を使用して反五輪の会を圧迫し、私を排除(しようとしている)』と判断しました。しかし、その後、12月3日、反五輪の会との対話を通じて、反五輪の会の活動家たちの認識は私と異なることを確認しました。/反五輪の会の活動家は当時、Aさんの『提案』あるいは『お願い』を伝えたのであり、『Dさんの意思を尊重したにもかかわらず、実際には必要以上の圧力を与えるかたちになった』と語り、これについて私に謝罪しました」

どうしたらこれが、「反五輪の会」が「見解」で行っているように読めるのでしょうか。この後、「注5」は「平昌オリンピック反対連帯がゲストではなくて共同主催団体だったことを知ったのはその後だった」と続きます。これは「平昌連帯」自らの説明を受けたものです。Dの認識が「Aさんがメインゲストという権力を使用して反五輪の会を圧迫」したのだというものに回帰したことはありません。

彼らが書いた「謝罪」の言葉を自ら否定する

Dの文章を否定しながら、その実、意味が全く不明な部分もあります。 先の「注5」に登場する「反五輪の会」の謝罪についてです。

「反五輪の会」は、

「また、注5において、『Aさんの「提案」もしくは「お願い」を伝えたことで、D氏の意図を尊重するものであったにもかかわらず、実際には必要以上の圧力を与える形になった』ために私たちがDさんに謝罪した、と書かれてあります。しかし、私たちの謝罪の内容はそのようなものではありません。Dさんの意思を尊重するために、DさんにAさんのお願いを判断してもらうつもりでありながら、それを伝えるタイミングが適切ではなかったことやプレッシャーを感じさせる対応になっていたことについて謝罪を行っています 」

と書いています。

私たちには、Dが説明する「謝罪内容」と、それを否定して「反五輪の会」が後段で説明している「謝罪内容」が、どう相反しているのか理解できません。

実は、Dが「 」でくくって書いているのは、他でもない、「反五輪の会」から来たメールの文面ほぼそのままの引用なのです。つまり、「反五輪の会」が「そのようなものではない」と言っているのは、彼ら自身の言葉なのです。

さらに奇妙なのは、この「19年7月見解」の中でも、最後のまとめの中で、「私たちは、DさんにAさんのお願いを私たちが伝える際に、Dさんに対して必要以上の圧力を与える対応になったと考えており、その点についてDさんに謝罪しています」と、自ら書いているのです。Dが書いているのとほとんど同じ文言です。これは一体、どう理解すればいいのでしょうか。彼らは何について謝罪したのでしょうか。

Dの自然な一言を歪曲して紹介する

この「見解」には、18年11月22日の渋谷での出来事に際して「DさんはAさんに話しかけようとする意図もうかがえました」という記述が出てきます。Dの発言として「私は(Aさんと)話し合いたいんですけどね」というものも出てきます。これらはDがAさんの不安を無視して近づこうとした、あるいはDのそうした意図が先にあって、それがAさんの不安の一因であるかのように思わせる文脈のなかで語られています。

しかしこれは、現場で「反五輪の会」のメンバーから突然、「Aさんが『Dさんに帰ってほしい』と言っている」と通告されたことにDさんが驚き、「どういうことなのか理由を聞きたい」という趣旨の言葉を口にしたことを歪めて伝えています。実際には、突然、理由も告げずに「帰ってほしい」と言われれば、誰でも自然に出る言葉にすぎません。

結局、Dは、「反五輪の会」のメンバーに「何も話さずに映画だけ見て帰る」と伝えます。「Aさんに話しかけないか」というメンバーの念押しに対して、Dは「話したくもない」とはっきり答えたそうです。こうした経緯を無視して、最初の発言を切り取って歪曲した文脈に置き直すのは、やはりフェアではありません。

「平昌オリンピック反対連帯」がDを「強姦文化と家父長的権力」に加担する「加害者」と規定したことにDは抗議し、それを韓国で公論化しました。これに、「反五輪の会」が横から割り込み、ネット空間において韓国語でDに「不信感」を表明してみせたのが、この「19年7月見解」でした。その最大の問題点は、上記のような公論化文書の主題――つまりDの尊厳回復の要求――を無視して、その上に、Dの訴えを「Aさんの不安や〈平昌オリンピック反対連帯〉へのバッシング」(同「見解」から)という文脈にねじ曲げて流し込んでいることにあります。

この「19年7月見解」の中で、「反五輪の会」は、

「Dさんに対して必要以上の圧力を与える対応になった」

「Dさんへの配慮に欠けていた部分があった」

「上映会での対応についての批判は、今後も会として真摯に受け止めていきたい」

「私たちの対応の未熟さが招いた出来事の改善のために努力していきたい」

と記しています。問題の発端をつくった当事者として、真っ当な言葉だと思います。だったらどうして、Dの不安や尊厳の回復に向き合わないのでしょうか。どうしてDを非難するばかりなのでしょうか。それともこれらの言葉は「建前」に過ぎず、「本音」は別にあるとでも言うのでしょうか。

しかも、こうした問題点を含む「19年7月見解」を、「反五輪の会」は、今回の「20年8月見解」において、何の訂正も再検討もなしに日本語に訳して掲載し、20年8月現在の彼らの認識としてあらためて示してみせました。Dや私たちがすでに多くの事実誤認や矛盾が含まれていることを指摘した後であるにもかかわらず、です。

「(3)2019年7月の反オリンピック国際連帯イベントにおける対応について」

この項目は、19年7月に行われた「反オリンピック国際連帯イベント」でのDへの対応について語っています。

彼らはDに対して、今は問題が「上映会の時より悪化して」おり、「今は適切な距離をとることが必要である」から「参加を控えてほしい」旨のメールを送りました。

問題が「悪化して」いると彼らが考えた理由は「Dさんが〈平昌オリンピック反対連帯〉への抗議文書をネット上に公開したりと、精力的にAさんそして〈平昌オリンピック反対連帯〉への批判を広める状況が続」いていたからだと説明されています。

「参加を控えてほしい」旨のメールを受け取ったDは、山谷の運動の友人たちも多く参加するデモと、自分が所属する研究所が主催するシンポジウムだけには参加することを伝え、実際に参加しました。「反五輪の会」のメンバーたちは現場で、Dに高圧的に対応し、監視をつけ、行動を制限しました。Dは緊張と屈辱で、震えが止まらなかったといいます(note「セーファースペースって何だ?」)。

この項目で「反五輪の会」は、

「その後、不安を感じていたのが明らかだったAさんに対して、〈平昌オリンピック反対連帯〉宛の文書で、Dさんが『Aが権力をつかって反五輪の会に排除させた』という私たちの見解と異なるご自身の主張を根拠に強い調子で謝罪を要求していることを知り、衝撃を受けました」

と記しています。しかし、Dさんの主張が「Aが権力をつかって反五輪の会に排除させた」というものではないことは先述したとおりです。

Dについての信憑性の疑わしい「情報」をそのまま紹介する

最も問題なのは、次の一節です。

「また、2018年11月上映会以前に、Dさんがnolimit参加者たちとAさんに突然面会を求め、断られた経緯があることを知りとても驚きました」

というのです。

これは、19年7月24日に、「ノーリミットセクハラ事件解決とD氏の虚偽事実流布中断のための対策委」(以下、「対策委」)という団体名で発表された、Dを糾弾する文書で語られている内容に基づくのだと思われます(「対策委」の構成者は匿名ですが、Dのもとには「平昌連帯」のメールアドレスから送られてきました)。

「対策委」の文書は、Dが数々の「デマ」を流しながらAさんへの「加害」を続けている――というものですが、信憑性が疑わしい内容です。そのことは、私たちのnoteでも、D自身による反駁はもちろん、山谷の活動家である平野さんの証言でも明らかにしました。

一例を挙げれば、18年11月の渋谷での出来事について、

「Aをはじめとする〈平昌〉の活動家が公園に到着するや、Dは”私は通訳をしに来た””なんでクソを噛んだような顔をしてるんだ”と大声で言った。…AはD氏が突然現れて”通訳しに来た”と公々然と大声で言うのが理解できず、むしろ面食らう〈平昌〉の活動家たちに向かって、自分を歓迎してないと怒っているような態度に、激しいストレスを受けた」

という記述がありますが、このとき、Dと一緒にいた平野さんは、これを否定して

「『平昌』の活動家3人のうち1人の男性がDのそばに来た時(もう1人はDの知らない人だったそうです)、Dは彼を韓国の友人だと言って私に紹介してくれました。二人の会話は親しげな雰囲気で、決して『大声』でもなかったし、何か非難するような口ぶりでもありませんでした。そばにいた私でもよく聞き取れないくらいの声だったのに、その場にいなかった(遠くにいた)Aさんに聞こえるはずがありません」

と証言しています(note「2018年、渋谷の上映会で起こったこと」)。

そもそも、Dを知る日本と韓国の友人たちは、Dが分別もなく「クソを噛んだ云々」などという暴言を吐くような人物ではないことをよく知っており、およそ真実味がない話だと感じています。

「Dさんがnolimit参加者たちとAさんに突然面会を求め、断られた経緯がある」という話も、事実をひどく歪曲した説明であることを、D自身が私たちのnoteのインタビューで詳細に証言しています。

問題は、「反五輪の会」が、すでに私たちのnoteで平野さんが証言し、Dがディティールを含め詳細に反駁していることを知っているにもかかわらず、「(それを知って)とても驚きました」というような一方的な記述をあえて掲載し、Dについてのネガティブなイメージを喚起しようとしていることです。「見解」冒頭の「私たちの対応によって、Dさんをつらいお気持ちにさせていたことは会として受け止め」るという宣言からはかけ離れた悪意を感じずにはおれません。

「尊厳の回復」を求める訴えを「精力的な批判」と歪める

「Dさんが〈平昌オリンピック反対連帯〉への抗議文書をネット上に公開したりと、精力的にAさんそして〈平昌オリンピック反対連帯〉への批判を広める状況が続く中で、国際連帯イベントを迎えることになりました」という説明の仕方も、目を疑います。

事態を整理してみましょう。18年11月の上映会で、Dは「帰ってほしいと言われている」として、主催団体から「必要以上の圧力を与える対応」を受け、屈辱感とショックを受けました。これについて共同主催団体の「平昌連帯」に抗議するメールを送ったところ、今度はDを「強姦文化と家父長的権力」に加担する「加害者」と規定するという返事が来たわけです。Dはさらに、仲介者を通じて「平昌連帯」との話し合いを求めましたが、それは拒絶されました。

こうした中でDは、自らの尊厳を回復するために文書を発表したり、友人たちに状況を訴えたりするしかありませんでした。百歩譲って、仮にDの側に何らかの思い込みがあったとしても、求めているのが尊厳の回復であること自体は否定できないはずです。それを、どうしたら「精力的にAさんそして〈平昌オリンピック反対連帯〉への批判を広め」ていたと要約できるのでしょうか。しかも反五輪の会は、事態の当事者なのです。

加えて言えば、「反五輪の会」がこの(3)であえて書いていないことは他にもあります。それは、この19年7月の反オリンピック国際連帯イベントは「反五輪の会」単独の開催ではなく他団体との共催であったにもかかわらず、Dに「参加を控えてほしい」旨の要請を行うことについて他団体の了解を確認していなかったことです。彼らはイベントの数日前になって、この共同主催枠のメーリングリストで、Dの参加を容認しない旨を(名前は伏せた上で)一方的に通告したのです。

つまりDは、さまざまな団体が共催する公開のイベントから、「反五輪の会」の独断だけで、主催者間の議論もなく、こっそりと、非公式に排除されようとしたのです。

(4)「Dさんの間違ったうわさ」とされていることについて

この項目では、私たちのnoteが、「Dさんの『人物像が意図的に歪められ、喧伝されている事態』『現在日本で広まっているDの間違ったうわさ』を払拭したいとされています」としつつ、「Dさんのご友人たちがnoteで書かれているその内容の多くは、私たちにとって承服しかねるものです」としています。ただ、どう「承服しかねる」のか、その先の説明はありません。

その代わり、私たちが言う「間違ったうわさが広められている」の一例が、「おそらく」は、「2018年11月の上映会二日後に、〈反五輪の会〉メンバーが…〈山谷〉で活動している方に説明を行ったこと」を指すのだろうとして、それについて説明しています。

山谷の活動の場で、60代の活動家が「反五輪の会」メンバーから聞いた話として語った言葉を、Dは、

「ああ、それはね、自分は事情を何も知らなかったからDさんを通訳に誘ってしまったけれど、韓国からきたお客さんが、Dさんがいる場所には入れないと言った。そのせいで、イベントの時間もすごく押した。本当に驚いて、どういうことか『反五輪の会』のCさんに聞いたんだけど、韓国で日本の帝国主義者で性差別主義者のすごく悪い奴らがイベントをして、Aさんは抗議のボイコットをしたけれど、Dさんは彼らと仲良くするために彼らのイベントに参加したらしい。Aさんはそれを許せないんだ」

と整理しています。そのときの気持ちをDは、

「渋谷のイベントでの出来事もキツかったのですが、この出来事もこたえました。野宿者の皆さんの前で、いきなり帝国主義者で性差別主義者として、『反五輪の会』から追い出しをされたように言われたのですから」

と表現しています。

これに対して「反五輪の会」は、メンバーが山谷の活動家に説明を行ったことは認めつつ、「(メンバー自身は)運動や人に対して私見を述べるようなことは、一切言っておりません」と主張しています。

「私見は述べていない」というのも微妙な表現ですが、それが事実だとすれば、山谷の活動家が自らの私見を加えて伝えたか、重い気持ちでいたDが活動家の話をそのように歪めて聞いてしまったのか、そのどちらかということになります。確かなことは分かりません。

ただし、「反五輪の会」は「この時点で、ソウルで何があったのか、上映会でのAさんのDさんに対する不安の理由は何だったのか、正確には知らなかった」、説明した内容は「メンバーがCさん(Dさんの友人)とDさんご本人から聞いた内容や、〈NoLimit東京自治区〉で起こったことに関して既に公開されていた内容に沿った」ものだったとしていますが、先に触れたように、「平昌連帯」の方では、渋谷の現場で「ノーリミット当時のD氏の行動についてAが反五輪の会に説明」したと主張していることだけを指摘しておきます。

加えて念のために言っておけば、私たちが言う「間違ったうわさ」とは、この「一例」だけを指すものではありません。noteでも指摘しているいくつもの事実に反する主張や疑わしい主張を指していますし、友人・知人、時にはDの全く見知らぬ人の間で飛び交う憶測や、ネット上での嫌がらせのような書き込みも含めています。

「(5)二次加害、バックラッシュへの懸念について」

これが、「20年8月見解」の「まとめ」です。その結びは、

「私たちは、私たちが主催したイベントを契機として、Aさんや〈平昌オリンピック反対連帯〉のみならず、nolimitコミュニティにおいてハラスメント被害を受けた人々にまで影響が及んでいることを深刻に受け止めており、バックラッシュが再拡大することを強く懸念しています」

というものです。

もはやDの「つらいお気持ち」のことは、一言も言及されていません。

もちろん、「不安を訴える方」や、18年11月22日の出来事と直接関係ない人々によくない影響を与えることは最大限、避けるべきです。しかし、「nolimitソウル」の問題と、18年11月の渋谷から始まった一連の経緯とを、無前提に一体化して語るべきではないし、「不安」を否定しないことと、誰かを不当に攻撃したり、その攻撃を免責したりすることは別の事柄です。そして、Dが自らの尊厳を回復してほしいと訴えたり、友人たちが彼女が被った不安や尊厳の毀損に対して運動団体にその責任を問うことを、そのまま「不安を訴える方」の「不安」を否定する行為であるかのようにネガティブに描き出すべきではありません。

「わたしの不安や、傷ついた尊厳はどうすればいいのでしょうか」

Dは、

「十分な説明もなくイベントから出て行ってほしいと言われて屈辱的な思いをした」

「説明もなしに『強姦文化に加担する加害者』と決めつけられ、今後も対決すると宣言されている」

「クソを噛んだ云々と暴言を吐いた、ストーカー行為を行ったなどと、事実に反する宣伝を行われている」

と訴え、名誉の回復と事実の究明を求めています。

そのいずれについても、個人ではなく運動団体が関わっているのですから、その責任が問われるのは当然です。「不安を訴える方」が存在するという理由で、社会運動団体の責任までが免罪されるようなことは間違っています。Dはnoteのインタビューで、こう語っています。

「わたしの不安や、傷ついた尊厳はどうすればいいんでしょう」

この問いに応えるべきなのは、まずは「反五輪の会」の人々のはずです。実際、彼らは「19年7月見解」で「私たちの対応の未熟さが招いた出来事の改善のために努力していきたい」と書いています。ところが実際には、Dを「加害者」と決めつけ、その“問題行動”に“対処”することへと課題がすり替わっているようです。

自らの対応によって、「つらいお気持ち」にさせてしまった相手に対して、どうしてこんな扱いができるのでしょうか。なぜここまで、Dの苦しみに関心がないのでしょうか。私たちにはとうてい理解できません。

2020年11月10日 Dの友人一同

【写真撮影者:D】

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