見出し画像

Dへのインタビュー 前篇

このインタビューは2019年12月、都内で行われた。インタビュアー2名の質問に対し、Dの希望を聞いた上で、彼女も日本語で答えた。通訳が同席し、言語の不明瞭な点に関しては適宜、助けをした。インタビューの最終的な責任は私たちにある。
──友人一同

───まずは自己紹介をお願いします

【D】ソウル出身です。わたしが大学を卒業するころ、IMF危機があって、実家がめちゃくちゃになったんですね。それから12年間、家族の借金を返すために働きました。借金がゼロになったとき「これからはやりたいことをやろう」と思って、大学院に進学しました。社会運動に大学時代からずっと参加していたんですけど、前とは違う関わり方ができるんじゃないかな、と思ったんです。修士論文は、自分も参加したソウルのコミュニティ運動を題材に書きました。今はイギリスの大学の、博士課程にいます。

とはいえ、この一年は、(この件の影響で:インタビュアー注)何もできていませんね……。鬱にもなってしまったし、社会運動研究をしているのに、運動ってなんだろう、とか、自分はなんの研究をしているのだろう、とか考えてしまって。そもそも自分の書こうとしていること、やりたいと思っていることに意味があるのかも、わからなくなってしまいました。

「ノーリミットソウルに参加しようと思っている」

───さて、このインタビューでは、現在日本で広まっているDの間違ったうわさも、払しょくしていきたいと思っているんですね。そこで、まわり道になるようですけど、そもそもの、事の起こりから話を聞いていきたいと思っています。この件は2017年、ソウルで行われたイベント、ノーリミットソウルの準備過程で起こった、とある出来事にも深い関わりがありますよね。その辺りから話を始めましょうか。そもそも、Dはノーリミットソウルとどういう関わりを持っていたんでしょう?

【D】イギリスで博士課程に進学したとき、東アジアの運動を研究しようと思いました。当初は日本、中国、韓国を取り上げるつもりでしたが、三カ国はどうも無理だと気づき、担当教授からも「日本は諦めて中国、韓国を取り上げたら」とアドバイスを受けました。

わたしは北京に行くことにし、農民工(中国において農村から都市に出かけて就労する、農村に戸籍を持つ人びとのこと。都市住民と区別され、居住権が確保されない、行政サービスを受けられないなどの問題がある)のコミュニティーに入って、研究テーマにできるかどうかを試すことにしました。そこで上海から来てテント芝居に加わっていた女性と知り合い、彼女に「9月にソウルに行って、ノーリミットソウルに参加しようと思っている」という話を聞きました。わたしがノーリミットソウルについて聞いたのは、このときが初めてです。2017年7月にチャットルームの出来事が起こるずっと前、4月のことでした。

ノーリミットソウルを準備する若者たちに出会う

【D】6月、わたしは学会に参加するためにソウルに行きました。学会の前に中国や日本、韓国の研究者が集まって、カフェでおしゃべりをしていたんですね。その中のひとりが、ノーリミットソウルを準備している韓国の若者たちとも同じ時間、同じカフェで約束をしていました。たぶん、すごく忙しい人だったからでしょう、同じカフェで、二つの集まりが同時にあったんです。学会に参加するグループのすぐそばのテーブルに、ノーリミットソウルを準備する人たちのテーブルがありました。

中国でこのイベントについて話を聞いていましたが、実際にイベントを準備する人たちに会い、言葉を交わしたのはこのときが初めてです。この若者たちから、「ピンジップ」(注:2007年に始まったソウルのシェアハウスコミュニティ)に連絡が取りたい、という相談を受けました。彼・彼女らは「ピンジップ」の人たちを誘いたかったのですが、知り合いがいないので、どう連絡をしたらいいのか、わからなかったんですね。わたしは「ピンジップ」のメンバーを知っていたので、紹介をする約束をしました。

わたし自身は、中国の農民工の友人たちもノーリミットソウルに来たらいいんじゃないかと思い、その話をすると、彼・彼女らもとても興味を覚えたようで、喜んでいました。航空券や宿泊地はこちらで手配するから、ぜひ来てほしい、と。

ノーリミットソウルは、9月開催予定でしたが、6月下旬のこの時点でもまだ、バタバタと忙しく準備が進められている様子でした。わたしは、準備を進めていた人たちのことはよく知らなかったのですが、若い人が多くて、少し上の世代、ちょうどわたしの世代のアナキストグループなどとの繋がりも少なかったと思います。そんな中、すごく頑張って準備しているなという印象を受けました。

画像3

この出来事を、他の国から来た人たちとも共有したい

───ノーリミットソウル準備の過程で告発文が出ますね。

【D】チャットルームの出来事(注1)が起こったとき、わたしは中国にいて、この件については何も知りませんでした。

───東京側の中心的役割を果たしていた「素人の乱」については、この時すでに知っていたんですか?

【D】「素人の乱」の、名前は知っていました。本を読んだこともあります。修士論文で「ピンジップ」について書いたのですが、そこに、日本の「素人の乱」という運動から松本哉さんという人が来た、とも聞いていました。でも日本に行ったこともなかったし、直接、(「素人の乱」の)誰かに会ったことはありませんでした。

告発文によってこの出来事を知ったとき、わたしは「ピンジップ」にノーリミットソウルを準備している人たちを紹介し、また、中国から自分の友人たちがソウルに来る予定である、ノーリミットソウルの側でも中国の友人たちの航空券や宿泊地を準備している、という状況でした(農民工の人たちは結局、ビザの問題で渡韓できなかったのですが)。

告発文を読んでとても驚きました。内容もショックでしたし、告発を受けてわたしのソウルの友人、仲間の多くが「イベントには参加をしない」という雰囲気になりました。「ピンジップ」の若いメンバーも、参加しないことをすでに決めていました。だから、わたしも参加するかどうか迷いました。

不参加は、わたしにとっては、楽な道だったんです、そうすればトラブルも起きないし。でも、自分が参加しないと決めることに、違和感がありました。例えば、中国の友人たちのことを考えると、わたしはこの友人たちがノーリミットソウルに参加するための仲介をしたわけですが、彼・彼女らはこんな出来事があったことを知らないわけです。

わたしは、「素人の乱」を知らない。でも、韓国の人たちが頑張って、何ヶ月もかけて準備をしていたことは知っている。「素人の乱」がどんなひどい奴らか知らないけれど──それで韓国で準備しているイベントがキャンセルされることは、ちょっと、なんというか──つまり、「こういうことがあったから、わたしも行かない」という結論が、あまりにも単純というか、安易な道だと思えたんです。韓国で準備を進めていた人たちに対し、アンフェアな形で話が進んでいるのではないかと感じたこともあります。

けれども、批判することは大事です。不参加ではなく、いろいろな形の批判ができると思いました。むしろ、チャットルームでの出来事を契機に起こったことを、中国や台湾など、他の国から来る人にも開いてゆくことが必要ではないかと思い、話し合いを準備することにしたんです(注2)。ノーリミットソウルに参加はする、でもただ参加するのではなく、この批判を受け止めて、中から話し合いをする機会を作ろうと。

「それでもノーリミットに参加するんですか?」

───この後の展開にも関わることなので質問しますが、告発文を書いた人たちとの関わりはあったのでしょうか?

【D】ほとんどは顔と名前を知っているという程度でしたけど、以前から知っている人たちでした。告発した人たちのなかには、仲のいい日本の友人もいて、彼に「(こんな出来事が起こったのに、それでもノーリミットソウルに)参加するんですか」と聞かれたので、わたしの考えを説明しました。彼は、「なるほど、それはいいかもしれない」と。
それで、告発した人たちには、わたしがノーリミットソウル内で話し合いを持とうと思っている動機とか、趣旨は伝わっていると思っていたんです。一緒に話し合いを準備していた友人も、告発をした人たちのなかにやっぱり仲のいい友人がいて、対話を重ねていましたし。

オープン・スペースの運動が直面する課題 ──「ピンジップ」と「素人の乱」は似てる?

───どんな話し合いをしようと思っていたのでしょう?

【D】わたしは「ピンジップ」との関わりの中で、コミュニティの中の性暴力、暴力の問題について、問題意識を持っていました。チャットルームの出来事で、松本哉さんが、自分たちが目指すのは開かれた場所であり、誰でも来ることができる場所、そこで問題が起きたら、そのつどどうしたらいいのか解決方法を考える、あらかじめ決まった解決の方法論、運動論を持っている人たちの集まりではない、という趣旨の発言しているのを読みました。そのとき、「ピンジップ」のアイデアと似ているな、と思ったんです。

誰でも来ていいオープンな場にすると、(運動的な価値観の持ち主だけでなく)普通の人、世間一般の、例えば、家父長的な考えを持つ人たちだってやってくるようになりますよね、するとそこで問題が起きた時、それをどういう風に解決するか、ということが難しくなります。「ピンジップ」は、当初、フェミニズム的な意識、運動的な意識を持つ人たちがはじめた運動でしたが、オープンな場にしたことで「素人の乱」と同じ経験をすることになりました。

「ピンジップ」はそれ以前にソウルにあった運動、イデオロギーの強い運動が失敗した時、どうしたらいいのか、ということに悩み、考えてはじめた運動だとわたしは思っています。日本でも「素人の乱」という似た運動が起こっていた、はじまったばかりの頃は注目を集め、面白いし、希望があると言われた、そして10年経って、同じリミットにぶつかっている、と。

オープンな場である運動で、その場所で起こる暴力の問題をどうするのか考えなければ、それは運動の「運動性」を失うことになって、一般社会と変わらなくなりますよね。ノーリミットソウル内での話し合いでは、そういう話をしようと思ったんです。

───実際に、話し合いを開いてみていかがでしたか?

【D】やってみると、色々難しくて。一つには、信頼性の問題があったと思います。「ピンジップ」についていえば、彼・彼女らはわたしを知っていたし、お互いに信頼関係があるのでわたしが難しい質問をしても答えてくれるでしょう。でも「素人の乱」はわたしを知りません。チャットルームの出来事で批判を受けている渦中にありましたし、緊張もあったと思います。そのさなかに、知り合いでもないわたしにこういうイベント、話し合いをしたいと言われても、まあ(「素人の乱」側としても)普通、来たくありませんよね。

実は、ノーリミットソウルの準備をしていた人たちにも、こういう話し合いをしたいと思っていることは言わないでいました。負担になると思ったから、ゲリラ的な感じでやったんです。「ピンジップ」と「素人の乱」の経験を共有する、という曖昧な形式をとって、密かに質問の内容を練っていました。長い時間、友人たちと討論をして質問の一覧を作って、イベントの場でいきなり出したんです。松本哉さんは、わたしを警戒したんじゃないかな。

通訳の問題もありました。質問をして、答えが返ってくる、そうしたらまた質問をして、深い対話へ導かなきゃならないのに、中国、韓国、日本語、3ヶ国語の通訳をしていたのですごく時間がかかった。それに、みんなイベントの前夜に深酒をして、朝は運動会をしたらしい(笑)すごく眠そうだった……。途中で「ああこれは無理だな」と。わたしたちのしたかった話はほとんど、五分の一もできませんでした。

画像3

「あなたと同じ空間にはいたくない」

───結論を先に言ってしまいますが、この後、Dは告発した人たちの一部の人々から非難を受けることになりますよね。ノーリミットソウルへの参加、そしてイベント内で話し合いを持ったことは、チャットルームの件で傷ついた「被害者」への「加害行為」である、と。

【D】ノーリミットソウルの告発をした人たちとは、敵対性のない、それなりの関係が作れていると思い込んでいたんです。基本的には彼・彼女らとは、知り合いだったり、友達の友達、といった関係だったんですけど、自分たちがなぜ、こういう話し合いをノーリミットソウルの枠内でしたいか、動機や趣旨も、先方には伝わっていると思っていましたから。わたしはソウルを離れて数年たちますが、顔や名前も知っている人たちでしたし、運動の現場ならではの、緩やかな信頼感も持っていました。

───Dは現在、日本で広まる根拠のないうわさに苦しんでいます。うわさの中で、性暴力事件の加担者とか、加害者と呼ばれてしまっているわけですが、そのいわゆる「証拠」のひとつが、この2017年のノーリミットソウルへの参加でした。
それから、もう一つの加害の「証拠」は、ノーリミットのすぐ後に起きた出来事なんですよね。

【D】ノーリミットソウルのために渡韓していた台湾の知人たちと、オルタナティブカフェに遊びに行くことがあったんです。そこで彼女たちは、ノーリミットソウルの告発をした女性と約束をしていたんですが、わたしも同行していると知ると、その告発をした女性が、「Dと同じ空間にいたくない」と言ったんです。だから、カフェのある建物の屋上でみんなは会うことになり、わたしは、(その女性と顔を合わせないように)下の階にいることになりました。

わたしは本当に混乱しました。他に心当たりもなかったので、ノーリミットソウルのことが原因かな、とは思いましたけど、台湾の知人たちは、それまでほぼ交渉のなかったわたしよりずっと、「素人の乱」と親しい関係にあります。なぜわたしだけが、という思いでした。

そこで、告発をした人たちのひとりでもあるAさんに、メッセンジャーで連絡をとってみたんです。彼女とは、そう親しいというわけでもなかったんですけど── というか、実際に顔を合わせたことも、ほとんど無いくらいだったんですけど── この件が起こるずっと前に、メールやメッセンジャーで3回、短いやり取りをしたことがありました。最後のやり取りはチャットだったんですけど、その中には「イギリスに行くかもしれないので、もし行ったらあなたの部屋で泊まらせてほしい」という内容のメッセージもあったんです。つまり、彼女とはそのくらい、問題のない関係のはずでした。

そのときは、Aさんに聞けば、何か事情がわかるかもしれない、と思ったんです。オルタナティブカフェのあるこの建物には、Aさんが関わる社会運動の事務所も入っていて、わたしは、てっきりAさんもカフェの運営に参加していると、思いこんでいたんですね。それも連絡を取った理由のひとつです。
Aさんからは「自分はノーリミットソウルをボイコットしているから、あなたと会うつもりはない」という返事がありました。このとき彼女に連絡をとったことがのちになぜか問題になり、わたしは、まるでわたしがAさんの「ストーカー」であるかような書かれ方をされてしまって……驚きました。

――このとき、DがAさんに執着していたとは思えません。でも2年後に、あれはDからAさんへの「加害行為」であったと、「告発」をされてしまいます。

韓国で公開された告発文

「ノーリミットセクハラ事件解決およびDさんによる虚偽事実の流布中断のための対策委員会」(注3)の名によって、2019年7月、ネット上にDを告発する文書が発表された。
文書は、DがオルタナティブカフェでAさんにメッセンジャーで連絡を取ったこと、これから当インタビューで取り上げる渋谷の反五輪上映会での出来事を、「2017年、東京とソウルで起きたチャットルーム内のセクハラ」に関連した、「集団的に起きた二次加害事件」である、としている。

 この告発文では、オルタナティブカフェでDがAさんに送ったメッセージが、「運動圏内のセクハラおよび二次加害」の証拠として、Dの同意なく勝手に公になっている。しかしながら、当のDのメールは「ハロー、わたし今、台湾の友達についてきて、**(オルタナティブカフェの名前)に遊びにきたんだけど、今日はいますか? ここ、とてもいいですね、うわあ」で始まり、特に威圧感を感じさせる内容ではない。
(告発文原文は韓国語、日本語は拙訳)。


【D】「あなたと同じ空間にいたくない」と不意にいわれたら、誰だって驚いて、理由を聞いてみたくなるのではないでしょうか。告発文では、まるでわたしがAさんに暴力的につきまとっているかのように描写されていますが、そんなことは絶対にありません。そもそも、彼女に連絡をとったのは、この一度きりです。

――にも関わらず、この後で登場する「反五輪の会」も、基本的にはDがAさんにつきまとい、恐怖を与えている、という見方を踏襲していくんですね。

「とにかく行ってみよう」「自分の目で見てみたい」

───少し話が飛んでしまいましたが、ここで2017年に戻りましょう。この後、Dは「素人の乱」を見に、日本へやってきます。

【D】わたしは韓国と中国を研究しようと思っていたんですけど、ノーリミットソウルの後、これでいよいよ、日本の運動研究はできないだろうな、と思いました。話し合いの場を設定したことで、「素人の乱」の側の信頼を失っているのではないかと思いました。松本哉さんにも、いきなり厳しい質問をしたわけですから、日本に行き、「素人の乱」といい関係を作るのは難しいだろうと。
まあ、これはわたしの思い込みで、「素人の乱」の側では、何も考えてなかったかもしれません(その後、結局、日本の社会運動を研究することになったときには、「素人の乱」やその周辺にいるみなさんには、インタビューへの協力など、色々と助けてもらいました)。

一方で、ノーリミットの後、告発をした人たちから韓国内で関係を切られたことで、「素人の乱」がそんなに悪い奴らなのかどうなのかが、すごく気になるようになりました。自分の目で見たいと思いました。ノーリミットソウルに来なかった韓国の人のたちの大半は、たぶん、東京側の参加者を告発する文章だけを読んで判断したわけですよね、はじめて告発文を読んだときはわたしも「ああ、これは(「素人の乱」は)、ダメだな」と思ったのですが、わたしが韓国国内で受けた釈然としない対応を思うと、告発自体への信頼を持てなくなったんです。簡単に誰かがダメだと決めつけていないか、とか。

とまあ、すごく思いつめていたわけではありませんが、気になって、「とにかく見に行ってみよう」と決めました。それで、「素人の乱」のゲストハウスに一ヶ月滞在しました。

───このとき、Dは初めて日本に来たわけですね。実際、「素人の乱」に行ってみてどうでしたか?

【D】うーん、何もなかった(笑) 
とはいえ、一ヶ月泊まっただけで何かわかるわけでもないんですけどね。それよりもこの件で批判された、いろいろな人たちに会えたことが大きかったです。例えば、チャットルームの中であの出来事があった時、東京側の参加者に対する批判を支持して、「ジェンダートーク」などをその後行った人、彼・彼女らも全部、(「素人の乱」との関わりを続けたことで/ノーリミットに参加したことで)「加害者」になっている、それには違和感を覚えました。「加害者」と呼ばれている人たちにも悩みがあったり……。「素人の乱」って──、誰なのか。

「素人の乱」と言った時に、わたしは松本哉さんしか、思い浮かべることができませんでしたけど、でも実際には松本さん以外にも、告発した人たちの批判の言葉を大事にして重く受け止めた、フェミニストの女性たちがいます。そして、彼女たちはいま「加害者」と呼ばれている、そういう状況があります。「どうしてわたしたちが加害者なの?」という気持ちがあっても、この件について告発した人たちと話し合うこともできない。それをしたら、また「加害」、「二次加害」と言われてしまう。

一度「加害者」と呼ばれてしまうと、何もできない。連絡を取っても、それが「加害」だと言われてしまう。だから、納得ができないまま、諦めることしかできない……。わたしもあとで、同じ経験をすることになりましたし、彼女たちの気持ちがよくわかる気がします。

画像2

「がんばって行ってみようかな」

───それからDは突然、山谷の活動家になり、ここから約一年を山谷で過ごします。すごい行動力ですよね。そして、2018年11月22日、渋谷の反五輪上映会イベントに参加します。

【D】「素人の乱」へ行ったあと、2017年の暮れに偶然、山谷の越年越冬闘争に参加して、すごく面白かったので、「山谷で活動しながら研究もしよう」と思い立ち、そのまま山谷に住むことにしました。住環境や研究テーマといった、自分にとっては大きな変化が続いて、「ノーリミットソウル」のことは思い出すこともあまりなくなっていました。


山谷の運動に参加していたある日、知り合いのGさんから、彼が準備に関わっている渋谷で行われる反五輪イベントで、韓国から人が来るから通訳をしてほしいと頼まれたんです。山谷と渋谷の運動は昔から深い関わりがありますよね。通訳ができるほどの語学力もないし、無理です、と断ったんですけど、イベントそのものには参加しようと思っていました。

誰が韓国から来るのかな、と調べたら、Aさんであることがわかりました。Aさんはこのイベントの主催団体の一つである「平昌オリンピック反対連帯」(以下、「平昌反対連帯」と表記)のメンバーとして登壇するようでした。

Aさんにはよく理由もわからないまま関係を絶たれていますから、とっさに、イベント行くのはやめようと思ったんです。でも考え直しました。「こんな不本意な理由で、本来なら行くはずのイベントに行かないと決めるのもおかしいから、がんばって行ってみようかな」と人に話したのを覚えています。なぜ自分がAさんたちから関係を絶たれたのか、ちょっと知りたい気持ちもありましたけど、イベントの現場であっても、お互いに無視して終わるんだろうな、と思いました。

「どうしてここにいる?!」

【D】午後六時、イベント会場になった渋谷の公園は人でいっぱいで、わたしもその中に座っていました。韓国から複数人が来ているという話でしたが、わたしもイベント会場で、古い韓国の知り合いを見つけました。一緒にセミナーをやったこともあったし、喋ったり、一緒に飲んだりしたような知り合いです。挨拶をしたとき、彼がすごく驚いて、緊張している様子なのに気づきました。怪訝に思いましたけど、「どうしてここにいる?!」といわれて、「通訳、通訳」と答えました。一番簡単な答えだから。
というのも、また別の人からも通訳を頼まれて、なんとなく引き受ける雰囲気になっていたんですね。正式な通訳は別にいて、補佐役だから、という話でした。

韓国の知り合いに山谷の仲間を紹介して、みんなで喋っていたんですけど、いつまでたってもイベントが始まらない。記憶違いもあるかもしれませんけど、覚えているのは、「反五輪の会」のCさんがきて、わたしに「通訳はいらない」と言ったことです。「大丈夫です、通訳をするために来たわけではないし、そもそも正式な通訳だとも聞いてませんでしたし、普通の参加者としてここにいます」と答えました。場の雰囲気はあきらかに妙で、Aさんがわたしについて、何か言ったのかなと思いました。

「わたしはいま、追い出しされているんですか」

───「反五輪の会」を通じて、DはAさんからこの場を立ち去るように言われますね。

【D】その後、「反五輪の会」のEさんとFさんが「話がしたい」と言ってきました。「Aさんが、あなたがいるとこの場に入れないと言っているから、帰ってほしい」と。その時、わたしは抗議をしたんです。ノーリミットソウルの件について言っているのなら、帰る理由がありませんから。「わたしはいま、追い出しされているんですか」という質問に、Eさんは「そうですね」と答えました。あとで「反五輪の会」は、この「そうですね」に排除の意味は無かったと言っています。

ともかく、わたしは運動の現場から排除されなければならないようなことはしていません。韓国でも同じことがあったけれど、そのときは個人的なやり取りの中でのことだったから、諦めました、でも今は違います、一年かかって関係を築いた運動の現場で排除されようしているのですから。

「反五輪の会」の人たちは、すごく困っていました。こうしている間にも、時間はどんどん過ぎていきます。わたしのせいでイベントが壊れかかっているのだと思いました。最後にわたしは「Aさんには絶対に話しかけない、ただ、イベントで上映される映画だけを見て帰る」と言いました。

「日本語もうまくしゃべれない場所で、自分は今「おかしい人」になっているんだ」

【D】「反五輪の会」」は、Aさんに確認を取りに行きましたが、彼女は何も答えなかったそうです。黙認の形でわたしは参加を許されましたが、すべてがショックで、イベントも、映画も、何一つ耳に入ってきせんでした。わけがわからなかった。もしここが韓国だったら、もっとわたしの知り合いがたくさんいたでしょう、わたしがどういう人であるかを知ってくれている人がいたでしょう、でもここにはいない、孤立感をすごく感じました。

「反五輪の会」の人たちについては「いい人たちだな」と尊敬していましたけど、親しいわけではありません。信頼関係もそれほど築けておらず、日本語もうまく喋れない場所で、自分は今、「おかしい人」になっているのだと思いました。だから、運動の現場に入ることができないようなことは自分はした覚えがない、と、「反五輪の会」の人たちにちゃんと説明したかった。「話をしたい」と「反五輪の会」のCさんに伝えてその日は帰りました。

「韓国で、日本の帝国主義者で性差別主義者のすごく悪い奴らがイベントをしたらしい」

───そして、この上映会の出来事は、その場にいなかった人にまで、誤った形で伝わってしまいました。

【D】その週末に山谷で共同炊事があったのですが、炊事の前のみんなが集まる寄り合いの場で、渋谷の反五輪イベントについて報告しなければ、と思っていました。一つには、わたしに通訳を頼んだGさんが、イベント主催者と板挟みになって困っていると思ったからです。すまない気持ちもありました。込み入った話で、説明は難しかったんですけど、「イベントの時、これこれこういうことがあって、それには事情があり、でも、「反五輪の会」と話し合いをすることになりました」というつもりだったんです。

でも話の最中に、Gさんが強い口調で遮り、「ああ、それはね、自分は事情を何も知らなかったからDさんを通訳に誘ってしまったけれど、韓国からきたお客さんが、Dさんがいる場所には入れないと言った。そのせいで、イベントの時間もすごく押した。本当に驚いて、どういうことか「反五輪の会」のCさんに聞いたんだけど、韓国で日本の帝国主義者で性差別主義者のすごく悪い奴らがイベントをして、Aさんは抗議のボイコットをしたけれど、Dさんは彼らと仲良くするために彼らのイベントに参加したらしい。Aさんはそれを許せないんだ」と。

わたしはもう、どういう気持ちで……。渋谷のイベントでの出来事もキツかったのですが、この出来事もこたえました。野宿者の皆さんの前で、いきなり帝国主義者で性差別主義者として、「反五輪の会」から追い出しをされたように言われたのですから。「ああ、本当にこれは、もう」と。でもGさんの立場になってみると、「反五輪の会」のCさんのような、信頼している人が言ったことなら、信じてしまうと思います。韓国で何があったのかわからないけれど、日本に招かれるようなえらい韓国の活動家がそういうのなら、ますます間違いないと思うのではないでしょうか。

この時、「平昌反対連帯」に抗議文を送ろう、と決意したんです。同じことがこの先なんども起こっては困るという不安感もありました。こんなことはこれで終わりにしたかった。「反五輪の会」が、わたしのことをどう見ているのか、Gさんの話でわかったように思いましたけど、事情を話せばきっとわかってもらえると思いました。日本語での直接のやり取りに不安があったので、話し合いの場で参考になればと、文書の準備も始めました。

──前篇了


(注1)チャットルームの出来事……イベント「ノーリミットソウル」準備過程で2017年7月に起きた、日本側参加者による性差別発言から波及した一連の出来事のこと。性差別発言とそれを曖昧にやりすごそうとするチャットルームの空気を批判する告発文発表の後、イベントのハブ的役割を担っていた日本の社会運動団体「素人の乱」に対する疑問や非難の声が日韓双方から起こった。
注2)そこで、話し合いを準備することにしたんです……チャットルームの出来事を受け、Dたちはノーリミットソウル内でイベントを開く。ジェンダー、政治、暴力、共同体、などをテーマにした「話し合い」の場だった。以下に、イベント当日、Dたちが準備した「素人の乱」への質問の一つを掲載する。
……また、開かれた共同体で起きうる様々な暴力と関連して、このような問題をどのように解決するかは、本当に難しい問題だ。(中略)最も解決が困難なのは、このような問題を回避したり、解決したりする試みの中で、私たちが簡単に司法的な言語や、規律や治安、あるいは教育などの体制を招き寄せてしまうという点だろう。あるいは、不快な問題を適当にもみ消し乗り越えることで、共同体の内部の平和(?)を維持するという、韓国や日本の主流社会に蔓延しているやり方を踏襲するというようなケースもあるだろう。治安を構成するにせよ、無視するにせよ、それらの方法は私たちが拒否する国家や権威的な社会を再び呼び寄せてしまうのではないだろうか。そうではないやり方はいかにして可能か。(中略)私たちはどのように既存の社会とは異なるやり方で解決できるだろうか?
(注3)「ノーリミットセクハラ事件解決およびDさんの虚偽事実流布中断のための対策委員会」……渋谷の上映会イベントの後、当インタビューにもあるように、Dは「平昌オリンピック反対連帯」に対し、イベント時におけるAさんの言動に関していくつか質問を投げかけた。「平昌オリンピック反対連帯」からは二度の「回答」があり、二度目の「回答」において、この件に取り組むための団体「ノーリミットセクハラ事件解決およびDさんの虚偽事実流布中断のための対策委員会」が新たに設立されたこと、また、ネット上に公開された同委員会の文書をもって「回答」とすることが、Dに伝えられた。くわしくはインタビュー後篇を参照のこと。

写真:撮影D

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?