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おもてなしの舞台裏

 私の会社では来客の際、暖かい時期は冷たい緑茶を、涼しい時期は温かいコーヒーを用意します。
 しかし最近は感染症対策ということもあり、飲み切りサイズの小さなペットボトルをそのまま出しています。
 なんだか自分が楽をしているかのような少しの罪悪感と、人にお茶を出すという行為に私自身が癒されていたことを実感し、物足りなさを感じます。       

 まあ、自分を満たすためにお客様に飲み物を出しているわけではないので、私が感じていることはどうでも良いです。

 先日仕事の合間に遊びに行かせていただいたお寺で、ご住職にお茶を点てていただきました。最初は、別室でお話をさせていただいていたのですが「お坊さんになってきます」と言って袈裟に着替えられた御住職にお茶室に通していただき、会話も楽しみながらお手前を頂戴いたしました(←合ってるのかな?)。

 嬉しい反面、ちゃんとしたお作法も知らないし、どうしよう…着物まではいかなくてももっとお上品な服を着てこれば良かった…などと考えているうちに、幼稚園時代に、お茶の時間があったことを思い出しました。
 何もわからないまま、ツン、と大人ぶった澄まし顔で座っていた記憶があります。

 大人になった今体験してみると、お作法を知らないながらも、会話はしてはいけないのではないか、とか、お茶菓子をいただくときは音を立てない方が良さそうだな、とか、結構なお点前で…とか言ってるの見たことあるけど何か今言うの不自然じゃない?とか、いろいろなことが頭の中を駆け巡り、最初は楽しむゆとりを無くしていました。

 そんな私の緊張をほぐすかのように、ご住職はゆったりとしたペースで会話を続けてくださり、徐々に、外の日差しが明るくなってきたことに気付いたり、風の吹く音や鳥の鳴き声、鹿威しのカコン…と言う音や鐘の音を楽しむゆとりが出てきました。

 お客様やユーザーさんに、少しでも多く満足していただけるおもてなしやサービスを提供したいなら、まず自分がそれを体感することが必要なんだなあ…と、ここ最近、本当に実感することが多いです。

 そして、自分が居心地が良いと感じたり、一緒にいて落ち着く、ということは、相手がそう感じてもらえるようにいかに気配りをしてくれているかということも、忘れたくはないものです。


 


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