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〈正しい〉言葉遣いできなかったくらいで公開叱責される社会もそうそうないから、安心して大丈夫よ、って話ー書店でのマンスプレイニングで考えた、ささやかに抗う働き方

〈正しい〉言葉遣いって、なんだ?

言葉遣いを、指摘される。
常に、〈正しい〉言葉遣いを、と。

大学院生をしながら、合間に働く書店。全国でも随一の規模を誇る大型書店。「学生の割にはしっかりしている」とかなんとかで、当初の予定とは異なり、不本意ながらも、棚よりレジでの接客業務を担当させていただいている(させられている)29歳だ。

先日、社員らしき男性から、言葉遣いの件で指摘を受けた。

「来生さん、気づいてる? クセでなんて言ってるか?『とんでもございません』って、言ってるよ」

一瞬、このひとはこの状況で、何を言い出すのかと、呆然としてしまった。状況を整理しよう。

時刻は、繁忙時間帯の真っ只中。レジのはるか向こうには、お会計待ちのお客さんが、数十人以上、列をなしている。まだかまだか、ここは随分会計を待たせるな、といわんばかりの表情で、退屈そうな面持ちでこちらを見やっている。また、わたしのすぐ隣のレジでは、図書カードの引き落としに言ったっきり、なかなか戻らない学生アルバイトを心配そうに見守るお客さんが、いまかいまかと待ち構えている。

こんな、局面で、だ。
わざわざ、レジの手を止めさせて、次のお客さんを呼ぶ手を止めさせ、あえて、このタイミングで、いま言うことなのだろうか……。

言葉の差し出し方

文化庁の文化審議会は、平成19(2007)年2月に文部科学大臣に答申した「敬語の指針」(「第3章 敬語の具体的な使い方」)の中で、「とんでもございません」について、次のような解説を記し容認する方向を打ち出している。

「『とんでもございません』(『とんでもありません』)は、相手からの褒めや賞賛などを軽く打ち消すときの表現であり、現在では、こうした状況で使うことは問題がないと考えられる」

そう、厳密には誤用かもしれないが、問題はないのだ。わたしは、この事実を知っていながらも、はやいし、クセもあって、言いやすいしで、用いていた。研修時に渡された書店マニュアルにだって、「本来であれば『とんでもないことでございます』が丁寧だが、長ったらしいので、日常業務上の『とんでもございません』の使用は可」と、あった。

呪いの言葉

その社員らしきひとは、続けざまに、こう言った。

「来生さんさ、うちはあまり厳しく言わないほうだからいいけどさ。今後社会に出たりしたら、もっと言われるよ。言葉遣いとか、本当気をつけたほうがいいよ」

(あの、すんません。わたし、もうかれこれ7年前に社会に出とるんですけど……。しかも、なんなら出版社の営業で、長年こちらの書店も担当しておりましたし、なんなら本とかの編集もしちゃって、その本たち、こちらでも結構売ってもらったんですよ)

隣レジのお客さんと、ようやく戻ってきた学生アルバイトさんも、突如始まった公開叱責に驚き、こちらをガン見している。

まさか、学生アルバイトがほとんどを占める書店の現場で、出版社出身の社会人経験者がいるだなんて、思いもよらなかったのだろう。相手が、こちら側の職歴や立場を完全に把握しかねるのは、致し方ない面もあるし、それは、それで、よい。だが、全体の客流や状況を見極め、レジを効率よくまわさねばならぬ立場だろう人間が、わざわざ言葉尻ひとつで、ぐちぐち説教たれる時間ほど、不毛なものもない。

多くの学生も、度々こうした不本意な洗礼を受けるが、その多くが、「研修生」「女性」とラベリングされたひとたちである。客観的にみても、傾向として、男子学生より圧倒的にコミュニケーション能力が高く、接客に向いているだろう女子学生は多い。なのに、だ。

ラベリングと、マンスプレイニング

「研修生で、女性で、まだまだ社会をわかっていない子に、教えてやろう」

男子学生には、さほど注意もせず、いわゆる女性には、粘着質な言葉で、上から目線な態度を振りかざすひとが多いことに、驚く。自らを優位に保つために、より劣位と思しき相手には強気にでる。自らの足場を確保するために、研修生の女性をとくに必要とし、利用する傾向もあると思うのだ。こういうのを、「マンスプレイニング」と言ったりする。

『説教したがる男たち』(レベッカ ソルニット 著、 ハーン小路 恭子 翻訳、左右社、2018年)でも、話題になった。

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もちろん、男性から女性へのそれだけではないし、逆やそれ以外の例もある。わたしは、歳の離れたお姉さん的立場で、年の功というものなのだろうか。書店でアルバイトをする学生さんからも、何かと相談されることが多い。

ある日。
研修生の、とある大学2年の女子学生が、涙ぐんだ声で、こう相談してきた。

「わたし、社会人やっていけるのかなって……。
バイトしてたら、就活前に、すごい不安になってきて」

よくよく話を聞いてみると、レジでの接客中、お客さんに応じて、時折末尾に「〜ね」をつけて話していたところ、わたし同様、お咎め攻撃にあったという。しまいには、例の呪いの言葉「社会に出たら〜」を、かけられたらしい。理由は、「お客様に対して馴れ馴れしく、店の品格を損ねるものだから」だそうだ。

呆れて、何も言えやしない。いや、言える。ご高齢の方や、お子さん連れのご家族など、相手に応じて語感が変わってしまうことなんて、よくある。また、その社員と思しきひとは、果たして、お客さんに聞いたのだろうか。本当に、お相手を不愉快にさせているのだろうか。過度にクレームを恐れ、botのような接客を繰り替えすロボットみたいな店の人間に接客されることを、お客様は、望んでいるのだろうか。

生きた言葉を交わす

わたしたちは、血が通った、人間だ。ここは、国立国会図書館でも、機密情報を扱う書庫でも、なんでもない。ましてや、NHKのアナウンサーでも、公文書を作成する者でも、出版物を念入りにチェックする校正・校閲者でも、ない。いち小売の、書店での、接客販売だ。市井の人々が、目線を、会話を交わす場でもある。いわば、生きた言葉のキャッチボールだ。店員から話しかけられることも少ない書店で、お会計をする最後の最後くらい、あたたかく、「この書店で本を買ってよかったな〜」くらいの感じで、気持ちよく帰ってもらいたいじゃないか。

むろん、寡黙な方や、迅速にお会計を済ませたいお客さんに対しては、臨機応変に柔軟な対応が求められるし、その際にはまたいくつもの然るべき対応が考えられる。その一方で、話したいお客さんがいるのも、事実だ。数十分の長居はさすがに難しいかもしれないが、ちょっとした〈間〉のやり取りや、くだけた言葉遣いがあって、なにがいけないのだろう。

8割以上が〈学生〉を占める場所に、いち〈学生〉として身を置くことで、元版元の人間のわたしには、こんな景色が見えている。

(まだ、社会人経験のない学生に見えるってことは、実年齢より若く見られてるんだな。よっしゃ〜!!!)

残念ながら、そう思える時期は、過ぎ去りし日々の彼方。若返りをはかれたとするのならば、これまた幸い?そんなわけあるかい。だったら、

「学生の割にしっかりしてるから、時給あげたろうかな」

これくらいのほうが、よっぽどありがたい。最低賃金すれすれで、繁忙日には、長時間、飲まず食わず、トイレにも行けず、書店ヒエラルキーの最下位とも言われるレジ現場に立っている。これまでとは違う看板を掲げ、〈学生〉に紛れ立つと、見える景色まで変わってくる。こんな違和感とか、悔しさとか、この先また社会に出ることがあっても、忘れずに携えて、見返してやりたいなーと思いながら、その日は帰宅した。いや「社会に出て」って、なんなんだ。すでに社会に出て、書店で働いてるじゃないか。〈社会〉って、なんなんだ。

ときとしてバカになり、クセとともに〈正しさ〉に抗う

これから社会へ出る、学生のみなさん、など。〈社会〉が変われば、〈正しさ〉も何もかもが、揺らぐ。さまざまな状況で、さまざまな解がある現状を、できうる限りの自分で受け止め、差し出していけば、いい。そう、思う。〈正しさ〉なんて、そのときどきで無数にあるし、そのひとの言うその〈正しさ〉にがんじがらめにされるほど、もったいないことは、ない。

ちょっと脱線するけど、話し言葉にも、書き言葉にも、姿勢にだって、クセは、ある。そのクセの矯正を強制させようとするものに対して「ほんとうにそうなのか?」と、まずは疑うクセをつけてみてほしい。そのクセが、あなたからにじみ出る一部なのだとしたら、簡単に明け渡してしまうのも、なんだか惜しいし、そんなあなたのクセに救われているひとだっているかもしれないのだ。

そして、ちょっとした言葉の誤用を理由に、その人を判断し、精査するほど厳しい社会もそうそうないから、安心してほしい。現に、わたしが出版業界に身を置いてきた、7、8年間、同様の指摘を受ける機会はなかった。

また、かれこれ数十年、タイをはじめ東南アジア各地へ足を運び、フィールドワークをしてきた。生い立ちも、文化も言葉も異なるひとたちと時間を共にさせてもらってきたが、〈正しい〉言葉をも超える現場の生々しさや、そのときどきの無数の正しさというものに出逢ってきた。

〈ただしく〉指摘してくれるひとこそを、どうか信用してほしい。現在の自分が、正面から受け取るべき指摘なのかどうか。それっぽく言ってくるひとは、それっぽく言うこと自体が目的と化してしまっていることが実に多いものだから。真に成長や指導というものを考えるひとこそ、それを手段として活かすものだから。

「はい、以後気をつけますね」

解せぬ物言いには、それっぽい真顔で、こう言っておけば、いい。このご時世、ほとんどのひとがマスクをしているから、口元も隠されたままで、なおさらちょうどいい。意識的に、バカになるのだ。わたしには、そんな呪いは効きませんよ、とばかりに。

わたしは、今日も平然とした顔で「とんでもございません」を言い、あの学生の彼女は「〜ね」と言っている。これが、わたしたちなりの、ささやかな抗い方。適当に、適度に、身を滅ぼさない程度に、やっていこう。

社会人やってきた、29のおせっかいより。
書店から、愛を込めて。

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